HALF AND HALF JOURNAL

                                                     

 

 

無 意味 な

破 片

 


無意味な破片

 

 

 

 

           

Fragments

HHJ

             inutiles

 

 

 

。。。

〈時の過ぎ行くままに〉の名曲がなければ、ドラマも始まらなかった[A]

☆ ☆   Updated 2009.2.27       

 

廃墟から復興した大町

特派員―あっさり停電なんて、どうかしてるよ

アロマ―どこで?

特派員―津軽海峡の南、青森。21日午前1時すぎに青森市や五所川原市など、津軽地方を中心に19の市町村、約5万世帯で停電が起きたということだ1

アロマ―強風で?

特派員―そう、電線が切れたり電柱が折れたりして、と言ってるけど、あの地域だけがなぜ、と疑問を感じるよ。

半分半分放送局長―東北電力のミスだ。青森と五所川原の住民に不満があったのかもしれないな、無意識的な。しかし、ラッキーだ。火事の報告が1件もない。

特派員―ええ、報告は、ね。

編集長―電線はやはり地中に埋設した方がいいと思うね。これで何度目か、分からないが、ライフラインなんだから、なあ。

アロマ―電化アパートというのが大館で流行してるけど、あれなんか電気が来なくなったら、どうしようもないわね。石油ストーブが あれば、助かるけど。

放送局長―なるほど。凍えた人がいっぱいいただろうな。

ナモネ氏―220日は小林多喜二が拷問されて死んだ日だが、函館大火について書いた人がいる。

 

常盤木町交差点から見た大町

編集長―ええ、暴風雪が荒れ狂って函館にいるような気分になった。それだけのことですよ。放火の線で追ってるけれど、犠牲者が多い原因を探ってみると、住吉町で火事が発生する前に風速30メートルの暴風で午後6時ごろ市街全域で停電が起きていた2。暗闇の中をさまよったということだ。

放送局長―死者2166人のうち溺死者が917人というのは、どういうことなんだ 

編集長―市街地の東、大森海岸に逃げた人たちが火に追い立てられて海に入ったという説明を見つけた2。しかし、湯の川温泉方面に向かって新川を渡ろうとした避難民にも溺死者がいたかもしれない。非常に運が悪いことに三つの橋が焼け落ちていた。下森橋、高森橋、新川橋。コンクリートの橋でなかったのだ。

特派員―〈逃げ場をうしなった〉とあるから、川に飛び込んだんでしょう 

編集長―それからどうなったのかな ?避難民は炎で完全に囲まれた感じがしたのかな ?…函館湾の方に避難民が行ったという記事は見てないね。

放送局長―しかし、吹雪の中で火が簡単に飛び移るもんか、ね?

ナモネ氏―雪と暴風なら空中で消えてしまうと思うが。まるで多喜二虐殺事件のような大火だ。この地方は言葉が灰になってしまった。

放送局長―函館大火と言えば、啄木が新聞社に勤めていたときの大火が有名だけど、これはパニック映画の迫力があるよ。

ナモネ氏―大館大火も映画にぴったりだ。昭和31818日の夜更け。はせ川食堂の地下で林などと飲んで帰ったあと、東大館駅前が赤く燃え上がった。大館駅裏の長屋から見ると、食堂が燃えてるように見えたから、みんな 慌てたよ。

アロマ―ラスト・シーンがおもしろいの。

ナモネ氏―朝日新聞社のセスナ機が廃墟の上を飛んで、記念撮影。見出しには、〈空襲の跡〉という文句があった。

編集長―学生のとき国会図書館のマイクロ・フィルムで見ましたよ。その日の朝は小雨が降って、本多食堂を見に行こう、と父が車で連れて行ってくれたので、ぼくは大町にいたね。デパートがある辺りで残り火が揺れてるんだ。焼け跡には水道の蛇口が残っていた。

特派員―強烈な原点!しかし、その年の春に起きた能代大火も記念しなければ…明日は函館大火の日だなあ、と思ってたら、中心街が灰になってしまった、奇怪なカタストロフ。

ナモネ氏―あっという間に灰になってしまったなあ。忘れていけないのは、まだある。ハチ公の青銅の像、あれの除幕式が行なわれた421日。

特派員―函館大火は、じゃあ、ちょうど1か月前 !

             

A  As time goes by ; Dooly Wilson

1  NHK 2009/02/22

2 大正・昭和・平成事件簿---Microsoft(R) Encarta(R) Reference Library 2003

 

歴史の一断面

▼ 高松宮日記より : なぜ函館大火を書かないのか ?

写真集はこちら

 函館大火資料館

ハチ公に関するストーリー

 歌内川宇田川

 

 

 

 

 

 

 

 


〈真夜中をすぎて〉はモダン・ジャズの夜明けに響いた名曲[A]

☆ ☆        Updated 2009.2.10

 

ある地点から見た花輪スキー場

ナモネ氏― 暖かいから、ちょっと回り道してきたよ。ハチ公号で市内一周の旅だ。大館ケーブルテレビが市議会の生中継を始めたが、知ってるか ?

特派員―ええ、刺激的ですね。それはいいとして、放送局長のプログラムを聞きますか ?

放送局長―大したことじゃない。NHKが出版した放送に関連する本にスポット・ライトを当てたいんだ。まず《アナウンサーたちの70》から初代女性アナウンサー翠川(みどりかわ)秋子の心中事件。

アロマ―翠川秋子、本名は萩野千代。この人は1925年、大正146月東京放送局総裁あのモンスター後藤新平の推薦で採用試験を受けて、入社した。モダン・ガールで才能豊かだけれど、受け持ったのは料理番組など頭を使わなくてもいい仕事だった。人気があったけれど、おそらくそれが不満で次の年の1月さっさと退職した。そして、10年後ラジオのファンにその声を悲しく想い出させる。千葉県坂田海岸で心中したのだった。奇妙なことに最後に泊まった旅館にはJOAKのテキストが残されていた。短冊の辞世 〈四十年 有耶無耶にして今朝の露〉…そういうことですね。これはあたしが書いた原稿。

放送局長―これがミステリーだと思うのは、最後の夜に東京放送局のテキストが残されていたというところなんだ。

編集長―どんなテキストなのかな?

放送局長―書いてないね。無関係なんだから、テキストを持ってるのはおかしい。40年うやむやに生きて露のように消え去るとは、フランス風の実存的な知性だな。ずっと訳が分からない状況だったんだろう。

特派員―そう解釈すると、現代と共通する悩みですね。うやむやは誰でも嫌う。

演技がうまければ、気楽ですよ。        

☆      

放送局長―次に〈[放送文化]誌に見る日本放送史〉から昭和42 1月号に掲載されたラジオ第一声 (放送開始前後)〉これは座談会で、NHKサービスセンター副理事長島浦精二が出席しているが、その話は省略して、当時朝日新聞の記者だった石井光次郎衆議院議長と元活動弁士徳川夢声の話を引用する。石井新聞社というものは何でもかんでも新しい企画のものをつかまえて…ひとつこれをというんでわれわれ(朝日新聞社)もやったし、各社ねらいだしました。徳川〈ミロのビーナスでもうけようというんじゃないですね()〉笑って他の話に移るが、この言葉は聞き流せないと思う。

編集長―ラジオ放送局の設立とギリシア彫刻の間にどんな関係があるのかな?

放送局長―活動弁士の花形が想い出して何気なくしゃべったことだ。この人は映画で西洋文化のパワーを十分認識してる。映画は科学技術の最先端、そして、スクリーンに映る映像は西洋文化そのものだ。古代ギリシアの大理石彫刻を映画で見て感動した経験があると思うね。

編集長―写真と映画の次にラジオ…視覚の機械装置と聴覚の機械装置が新しい世界を夢見させたと考えていいな。徳川夢声という名前は象徴的だ。しかし、そのせりふは笑いを誘発するような冗談か?

ナモネ氏― ふうむ、そこで笑いマークが出るというのは、な。

         

            ■ ショー・タウン---2  1  3

A  Round midnight; Thelonius Monk

 

▼ 女性アナウンサーの自殺に疑問

 

 

 

 

 

 

 

 

 


〈スィート・アンド・ラブリィ〉を聞きながら食べると ?[A]

☆ ☆        Updated 2009.2.1

 

アトリエの黒いテーブル

編集長―しかし、日記には広尾に関連するようなことは何もなかった1。ただ、昭和211012には奇妙な偶然が待っていた。寺崎は天皇と一緒に御文庫で夕食のテーブルにつく名誉を授かり、そのとき会食した人たちの位置を図で表わしている。天皇の左右には永積と寺崎、向かい合った皇后の左右に入江相政(すけまさ)と侍医の小島憲。そして、長方形のテーブルの両端に二人の女官がいる。日記に女官が出るのは、その日以外にない。

アロマ―ナプキンがないのはおかしい、と余白に書いてるけど、失礼よ。

半分半分放送局長―軽口だね。

アロマ―食べ物も書いてる。鳥と松たけのスープ、アスパラ、リンゴ。

放送局長―赤いリンゴ…しかし、分からないのは侍従長と女官長がいないっていうことだな。

編集長―そう、当時の侍従長は大金益次郎で、入江は侍従なんだ。永積は侍従次長永積寅彦のことらしい。

特派員―晩餐とは書いてない。普通の会食形式なんでしょうか、ね?

ナモネ氏―違うんじゃないか?外務省の寺崎だから。

放送局長―極東軍事裁判が53日開廷。113日日本国憲法公布。

アロマ―会話の中味が書かれていれば、ね 。たった二つだけ。天皇、外務省は野球が弱いようだね。寺崎、地震で食い逃げした。

編集長―あまりに私的なところは削った、と編集者が断りを入れてる。文芸春秋の意向だろう。

特派員―しかし、その日の午後には衝撃的な出会いが…

編集長―それは複雑になるから、あとで問題にしよう。ぼくはその名前を見ても、当然誰なのか分からなかった。 ずっと最後のページまで時間の無駄で、ね、パール・ハーバー関連や東京裁判などのおもしろい記事を見つけてラッキーだと思った。ところが、娘のマリコさんが後書きで残りの日記が存在しないことに不満をぶつけているんだ2。〈1948215で突然日記を書かなくなるわけはない〉と言って。そのとき、ぼくは想い出した。最後の日付215日は父の誕生日なんだ。1929年、昭和4215日セント・ヴァレンタイン・デイの次の日だ。

      

編集長―言葉がないのは無理もないな。チョコレートでも味わってみるか?

アロマ―ええ、そうしましょう。珠美さんが贈ってくれた明治屋のギフトなの。

放送局長―おお、珠美を忘れてたな。あのオーヴァー・ジェスチャーは問題だよ、な ?

編集長―妹はちょっとデリケートな役割なんだ。

アロマ―天使が書いたシナリオでは、ね。

放送局長―忘れてなければいいよ。ところで、東京のヴァレンタイン・デーは終戦後じゃなかったかな?

編集長―味のある疑問だ。

ナモネ氏―大館はアメッコ市の日だぞ。

放送局長―京橋と言えば、明治屋ストアと国立近代フィルム・センターだ。

特派員山本嘉次郎が育った街3。映画監督の東京昔話が聞けたら、なあ。

放送局長―京橋は人情味があるダウンタウンだ。明治屋ストアでハセと一緒にアルバイトをやったことがあるけど、銀座とは違う。

編集長―名前の通りだな。明治屋は日本で最初に缶詰を作ったところなんだ。寺崎の日記にも出るけれど、舶来の高級な食料品がいっぱい詰まってる。

放送局長―アメリカのチョコレートで、おいしいのがあったな。

アロマ―ハーシー(Hersheys)ね。

放送局長―ハーシーは人の名前なんだ。進駐軍のドラマにも登場する。

特派員212日寺崎は〈奇想天外の夢を見た〉と書いてるけど、気になりませんか?天皇陛下と一緒にいる夢が奇想天外というのはおかしい。

編集長―映画的な長い夢だろうな。しかし、自由連想法的なおしゃべりはこの辺で終わりにしよう。

☆ ☆       

□ V字型の階段の記憶 17

A Sweet and lovely ; George Shearing

1 謀略のパール・ハーバー

2 ある外交官の挫折と栄光

3 ハチ公を出演させた映画監督山本嘉次郎

 

 

▼ V字型の階段の記憶 16

▼ シリーズ 敗戦後劇場

 

 

 

 

 

 

 

 

 


古風でエレガントなピアノがいい〈モア・ザン・ユー・ノー〉[A]

☆ ☆      Updated 2009.1.20

 

リヴァー・ポート入口

アロマ―編集長はアナウンサーになろうと思ったこと、ないんですか

編集長―そうだな、ぼくがなりたかったのは医者、プロ野球選手、それから高校のときは新聞記者だったよ。ただ、朗読は好きだったね。うぬぼれになるけれど、結構受けた。どういう気まぐれか、高校の文化祭で戯曲を書いて芝居を演出したこともある。

半分半分放送局長―しかし、ハセの人柄から言えば、アウトドア、現地、現場、だな。原稿を読むだけの仕事なんて、才人がやることじゃない。

アロマ―それは失礼よ。あたしの観察では、自分の利益ばかり追ってる人は他人にうるさいけれど、自分のことはオープンにしたがらない。

放送局長広尾のおばさんはたぶん放送関係の仕事をしていたと思ったのは間違いだったかな ?…長谷川テルのストーリーを追いながら、どこかで、と期待したけど、最後まで接点はなかった。

アロマ―でも、影が見える。

編集長―そうだなV字型の階段のオリジナルと広尾のおばさんに関して何か分かれば、と思っていたけれど1

特派員―この対話を始めようとしたとき、編集長はこう切り出した。広尾のおばさんの名前は自分が言うまで聞かないでくれ、と。どうにかこうにか敗戦後の東京にもどったんだから、広尾関連ストーリーを少しでも現実的にしてはどうでしょうか 

放送局長―そう言えば、広尾が空襲で焼けたあとから現実離れしたロマンになったな。派手な女たちも登場して。

編集長―ぼくは本気で小説を書いたとき、個人的な現実の出来事を書かないように決めた。苦手だから、という理由もあるが、哲学的に困ることだった。この対話をV字型の階段の秘密を探るという設定にしたのは、自分を少しでも自由にするためだ。

放送局長気楽に書けるフィクションで真実に迫る、と言ってもいいな。

特派員―予期しなかった人たちが思いがけない役割で登場したけど、やはり広尾のドラマはない。じれったいですよ。

   

編集長―もう一度寺崎の日記の話にもどろうか2?敗戦後昭和天皇の御用係を勤めた外交官の日記、あれを2002年熱心に読んだのは最初に〈謀略のパール・ハーバー〉で言ったように広尾のおばさんに関連する何かが書かれてあるんじゃないか、と思ったからだ。しかし、なぜそう思ったか、ということには触れなかった。

放送局長―そうだったな。それを聞かなければ先に進めないな。

編集長―理由はいくつもある。第一に、ぼくには広尾のおばさんを想い出させる何かがある…これについては二科展のシーンで話したけれど、そういう事実はもっとあった3。父もその一人に入れていい。何かとは、おそらく半音低いハスキー・ボイスでフランス語も話せるコスモポリタン、美意識がすぐれて社交的でノーブル、その他

特派員―それから、娘のマリコが序文に書いてるけど、1988寺崎の孫コールが発見するまで《昭和天皇独白録》と日記の存在が世に知られていなかったことでしょう?出版は1991年だった。

編集長―そう、ミステリーだ。戦争と敗戦後の暗い秘密を想像させたね。父を生んだ女性は女官だった。米代川ドキュメンタリーの撮影が半分でストップしていたとき、95年あたりだったか、父がやっと話してくれたことだ。女官というと、王朝絵巻のイメージしか浮かばないけれど、要するに、天皇に仕える女性だ。それに対して、ぼくは言葉が出なかった。しかし、王朝絵巻は学生時代から遠回りに予感していたことだったかもしれないな4

放送局長―東京某重大事件だ。

      

□ V字型の階段の記憶 16

A More than you know ; Teddy Wilson

1 V字型の階段の記憶 1

2 謀略のパール・ハーバー

3  V字型の階段の記憶 5

4 有栖川宮公園のミステリー 

   V字型の階段の記憶  2

 

▼ シリーズ 敗戦後劇場

 

 

 

 

 

 

 

 

 


食い道楽の映画監督に贈る〈ぼくは気ままに〉[A]

☆ ☆      Updated 2009.1.8

 

達子森スキー場

特派員―ハチ公が白い犬だっていうのは、ショッキングですね。どこで見つけたんですか?

編集長―犀川の撮影のあと達子森のハチ公温泉に行ってみたら、廊下の壁に写真があった。科学博物館に保存された剥製だ。

特派員《ハチ公物語》という映画は、やはり信用が置けませんね1

ナモネ氏―そうだ。冒頭で大文字焼きの大の字が出るから、これはいい加減なのだ。当時ああいうのはなかった。

特派員―ええ、それを聞いてしばらくしてから北秋田市の全国植樹祭に天皇皇后様が出席するために大館市の秋北ホテルに宿泊して、そのとき、接待する関係者がアクセサリーのように一冊の本を部屋に置いた。

アロマ―市民の千葉雄という人が書いた《忠犬ハチ公物語》

ナモネ氏―それを読むと、興味深い事実があった。

アロマ―聞かせて。

ナモネ氏―まず上野英三郎博士の家がどこにあったか、ということだが、東急百貨店本店の裏だった。コピーで分かるとおり高台に家があった。手前に見える大向小学校の校舎の跡地、ちょうどそこが現在の百貨店だろう

半分半分放送局長―この校舎は結構ハイカラな建物のように見えるな。

ナモネ氏―そう思えるな。元東京証券取引所理事長の長岡弘という方の想い出によれば、この家と高台はハチ公付きで友だちの父親が買ったということだ。おそらくハチ公が渋谷にもどって駅に通うようになった頃だ。

放送局長―買い取った人の氏名を言わないんだから、何かあるな。

アロマ―ハチ公も買い取ったっていうのは、絶対に変よ、ね。

    

ナモネ氏―それから、映画では上野博士は仲代達也が演じて講義の最中に前のめりに倒れて死ぬが、その本に大正14521日東京帝国大学農学部の教授会後、吉川教授の部屋で椅子に腰かけた途端倒れたとある。死因は脳溢血55才というから、まだ若いな。

編集長―教室で死ねば、証人が大勢いることになる

ナモネ氏―他に意見がないようだから、先に進むよ。映画は当時の渋谷駅前を再現して話題を呼んだ。しかし、ハチ公の銅像という重要な出来事は描かれない。それと同じ年に駅にオープンした東横百貨店もやはり存在しないかのような映画だった。

アロマ―駅の建物は、写真で見ると、モダンだけど、映画の中では改札口しか見えない。

特派員―ナモネ氏は大館駅のロケに協力したとか ?

ナモネ氏―まあ、そうだ。獅子が森の家具木工組合の工場を当時の大館駅に改装して撮影したんで、 あれこれ裏方の仕事を手伝ったよ。私がその本で感動したのは、映画監督の山本嘉次郎さんが人気者のハチ公を映画《アルプス大将》の一場面に出演させていたということだ。この人は戦後ときどき本場のきりたんぽを食べるために扇田に遊びに来たが、大館周辺が本場だというのは知られてなかった時代だ。その記事を読むたび感心したものだった。

編集長―山本嘉次郎という名前はただそれで親しみを持ってるけれど、そうだったんですか ?立派な紳士でしたね2

ナモネ氏―慶応ボーイだ。京橋生まれで、親子丼を発明した食堂で育って、

大正時代から活躍してる3。黒沢明を育てた監督だよ。ハチ公のお祭騒ぎについてはよく知ってた人だと思うんだが、な

放送局長―新春懐かしの名画劇場《ある映画監督のプライベートな旅行》

ナモネ氏―映画の撮影でこの地方に来たことはないな。

編集長―さりげなさが粋ですね。ロケの裏話だけど、弟が大館駅前の通行人のエキストラで出るかもしれないと言ったら、雪のシーンだから、父が黒っぽい外套を見せた。終戦後、新橋の闇市が盛んだったころ、まだ二十才前、〈銀座BIENビヤン〉で仕立てた外套で、着心地がいいので、びっくりしたね。しかし、ぼくはそれまで見たことがない。

      

A  Day dreaming; Bing Crosby

 

1 1987年公開 制作 :松竹富士

  監督 : 神山征二郎 脚本 : 新藤兼人

2  1902315 - 1974921

3 wikipedia

 

 歌内川宇田川

▼ ハチ公の制作者

▼ List 1 V字型の階段の記憶 23; 宮様が小坂鉱山事務所と康楽館に対抗

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ハワイ観光にぴったりな〈イッツ・ア・グッド・ディ〉[A]

☆ ☆      Updated 2009.1.1

 

沼館温泉のクリスマス

半分半分放送局長―衆議院議長河野洋平がパール・ハーバー攻撃の犠牲者が眠る墓地を訪問したってな?

特派員―ええ、現地時間28日ホノルルにあるアメリカ国立太平洋記念墓地を訪れて追悼した。京都新聞のインターネット版で読んだけど、共同通信の配信記事ですね1

アロマ―NHKは黙殺よ。TVのニュースでやったようだけれど。

編集長―NHKが正常な放送局にならなければ、日本の明日は陰惨だな。

放送局長―新しい放送計画を読んだが、冗談がひどすぎる。誠実さが欠けてるんだ。

特派員―真実も当然欠けてる。

☆    

特派員―笑わせるつもりはなかったんですが、3分間の中断…

アロマ―オアフ島の停電みたいに。

特派員―ところで、衆議院議長の訪問は初めてだそうですが、歴代の政府で大臣が追悼に行った例はありますか ?

ナモネ氏―そんなのは聞いたことがないな。追悼するというのは謝罪に等しいと考えてたのかどうか、分からんが…

特派員―そうすると、河野議長の訪問はぺロシ(Nancy Pelosi)下院議長が今年の9月広島の原爆慰霊碑を犠牲者の冥福を祈ったことへの返礼だと書いてるけれど、目的は何なのかな ?

ナモネ氏―要するに、返礼だよ。

放送局長―儒教的な礼儀作法の本にある。

編集長―そう、返礼も目的だと考えるべきだろうな。河野議長は声明の中で言ってる。(両議長の訪問が)今後の真の日米関係の発展に資することを強く願っている〉と。

アロマ―資するって、資本を出すこと?

編集長―この場合は役立つという意味だよ。

アロマ―あっ、資生堂ね。

編集長―ラスト・シーンにファースト・シーンを釣り合わせたというのは、おもしろいね アメリカと日本は外交関係のマスクを取る時なんだろう。

      

A It’s a good day ; Peggy Lee

1 京都新聞 2008/12/30  共同通信  2008/12/29 16:09  

 

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