HALF AND HALF JOURNAL
無 意味 な 破 片 無意味な破片
Fragments
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★グッドマンの〈アフター アワーズ〉は後片付けのムード〔A〕 ☆ ☆ ☆ Updated 2006.4.29 ナモネ氏―岩手の帝王が復活したな。 特派員―予想が外れました。
アロマ―何のこと? 特派員―あっ、無理はないね。イラン情勢が電波をジャミングしたりして。つまり、4月9日民主党の代表を選ぶ選挙で小沢一郎が菅直人に47票の大差をつけて勝った。小沢一郎は岩手県の実質的な支配者みたいな衆院議員だから、そういう呼び方をしたんだ。彼が自由党の代表だったとき看板を下げて民主党に合体したから、今度の勝利は復活なんだ。 半分半分放送局長―おれが予想したとおりだろう?日本の政党は何なのか、定義しようがない生物だよ、まったく。
放送局長―ウィスキーは、もちろんカティ・サーク。 アロマ―これ、カティ・サーク? 特派員―話を合わせよう。 ☆ ナモネ氏―それにしても、八幡平の東が恰好つけてばかりいるのは許しがたい。 編集長―ぼくも同感です。小岩井農場で戦前から牛乳やバターを作ってイメージがいい地域だけど、八幡平の西、秋田県側ではそれと対照的に最近豚の飼育と豚肉の加工販売のプロジェクトを大規模にやってる。秋田県と満州をごた混ぜにしてもらいたくないな。 特派員―岩手山麓っていうところは、どういうわけか、支配階級とつながりが深いですね。小岩井農場の製品は皇族や華族などの御用達だった、と聞いたことがあります。東八幡平スキー場は宮様が遊ばされるスキー場として有名です。したがって、周辺のリゾート地帯はその恩恵を受けて、明るい光に満ちあふれている。 放送局長―やはり、君、明治維新のとき東北列藩同盟を裏切った秋田県に対する憎悪が潜んでる、よな。最近気がついたことだが、帝国時代の秋田には著名な人物が見当たらないというのは、何か気持悪い。山口県なんかと反対だ。 編集長―酒を飲んでばかりいた、ということになる。小岩井農場は、秋田県と違って米が取れない自然条件だから、作られたが、その始まりには三菱財閥が係わっていて、なかなかおもしろい。 特派員―1890年、明治23年の11月1日に東北本線が盛岡駅まで延びたのが契機ですね。翌年日本鉄道会社副社長の小野義真(おのぎしん)、三菱社社長岩崎弥之助、鉄道庁長官井上勝が共同創始者になって、三名の頭文字を並べて小岩井農場と名付けた。岩崎家の所有になるのは、意外に早く9年後です〔1〕。 ☆ 放送局長―ふうむ、そうか…あのバターは上品な味だ。学生のとき、あの瓶詰めをいつも買えれば、と思ったもんだ。ジャスコのあのバターのモデルだ。 編集長―ああ、病みつきになったら、悔しがらせのように製造中止になったんで、HHJは対話の素材にして優れた作品に仕上げた。不滅の勝利だ。 ナモネ氏―芸術は、そうでなけりゃあ。 放送局長―100円玉しかもらえなかったら、それを作品にして100万円で売る。 アロマ―名もない川のドキュメンタリーを制作して、永遠のコレクションにする。 ナモネ氏―あの静かなインパクトは、何なのか?それを感じるのか?野原を流れる目立たない小さな川を眺めると、今では涙が浮かぶ。 放送局長―おれなんか、さ、あの構想を知ったとき、郊外の小川のほとりに行って、この流れに何度ゴミを捨てたか、残飯を投げたか、と思ったよ。 ☆ ☆ ☆ A After Hours : Benny Goodman Quartet 1 wikipedia バターが対話の素材になると… イニシャルの連想 |
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☆デューク・エリントンが出なけりゃ、歴史はナンセンス、というわけで 懐かしの〈イン ナ メロー トーン〉[A] ☆ ☆ ☆ Updated 2006.4.4
アンブレラとライト ☆ 編集長―テルは、やはり長谷川のイメージと共通する点がある。弱者に対する慈愛の感情が強い。父の話では、長谷川喜之助は孤児を十数人育てた。しかし、この二人の長谷川の間に線を引くことはできなかった。 ナモネ氏―国際的なエスペラント組織の存在がおもしろい。 半分半分放送局長―大学時代のハセを想い出させるよ。話がうまい。どこにでもいて、何でもやってるイメージがある。 編集長―遺伝子的なつながりがある、と思ってる。 放送局長―テルが東京放送局で働こうとした動機には、政治的な情熱が潜んでると思う。しかし、エスペランチストはファシストに嫌われたはずだよ。あとで分かることだが。 特派員―実際ショッキングなエピソードだな。遺伝子の予定表なんでしょうか?これにも、何かあるでしょうね?このあいだ日本映画のヴィデオを目で追っていたら、吉永小百合のコーナーに履歴が添えられてあった。1969年早稲田大学卒業。 放送局長―君、あの当時の日本人には常識だ。日活映画のスター、ミリオン・ヒットの清純派歌手が、あの早大文学部に入った。なぜ、あの、なのかな? 編集長―妹のはるみが、2度目の心臓手術の前だったと思うが、映画《愛と死を見つめて》を見て以来熱烈なファンで、ね。ぼくはテレビでしか見たことはなかったが、大学生活を始めるために東京に行った日のことは話さなければいけない。青いバッグ一つ下げて地下鉄の駅から坂の上のアパートに向かって歩いて行くと、通りの反対側にある文学部の人影のない広場を、黒いスーツを着た吉永小百合が友達と二人並んでにこやかに話しながら、歩いてきた。ちょうど卒業式の日だった。立ち止まって、眺めたよ。この出会いで忘れていけないのは、舞台装置だ。 放送局長―吉永小百合はスロープに沿って歩いてきた。あのスロープ… 編集長―そう、かなり傾斜のゆるやかなスロープだ。それから3か月後、ぼくは迷って赤坂に行き、何となくTBS(東京放送局)のスロープを歩く。この一致は、長谷川テルに関する話をするまで気づかなかった。あのスロープが何かを想い出させようとしていたのかもしれない、大学のスロープが。 放送局長―夢のようなストーリー、ということだよ。つまり、キャンパスでの出会いのとき視野に何となく入っていたスロープを、夢の中で見て、今度は好奇心に駆られてそれを途中まで昇る。ありふれた夢のパターンだ。 編集長―それはあとで考えよう。 ☆ ☆ ☆ □
V字型の階段の記憶 3 A In A Mellow Tone :
Duke Ellington and his Orchestra 1 長谷川テル作品集 : 宮本正男 亜紀書房 1979年 |
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★〈靴磨きの少年〉をベニー・グッドマンが音楽にした〔A〕 ☆ ☆ ☆ Updated 2006.3.17
特派員―それは編集長の仮説で、反対しませんが、さっそく問題になるのは頭山満が西郷隆盛を崇拝していたことです。徳川幕府を倒したのは、薩摩藩の軍事力ですよ。西郷は官軍が江戸に侵攻したとき、有栖川宮熾仁(たるひと)親王の下で東征大総督参謀として無血開城させた。 旧映画館入口の上部 ナモネ氏―江戸城が明治6年5月5日女官の過失で丸焼けになったために仮住まいしてたから、まあ、自然な配慮だろうな〔1〕。しかし、公式発表はそんな理由をつけてない。 編集長―西郷隆盛の二面性は、明治政府に批判的な者たちや徳川派の封建主義者に絶好の隠れ蓑を与えてしまった。近代化を否定しないが、新しい国家の在り方はいわゆる官軍の絶対的な権力で決めるべきではない、と考える立場は、表面的には民主主義に向かうように見える。頭山満は萩の不平士族の反乱で逮捕されたあと自由民権運動に接近した一人だが、まもなくアジアを視野に入れた民族主義の組織玄洋社を結成する。明治14年のことだ〔2〕。これには、明治22(1889)年2月に制定された帝国憲法と対立する思想はなかったが、行動は本質を語っている。テロリスムだ。その年の10月に不平等条約改正問題で国内初の爆弾テロを決行して、大隈外務大臣の改正案を潰した。黒田清隆内閣も崩壊した。動機は何であれ、言論の価値と西洋的な人間観に対する激しい侮蔑を宣伝した、と言うべきだ。 アロマ―うん、日本民族は暴力に対する認識が狂ってるのよ、ね。 ☆ 放送局長―シナリオを書いた者が起訴されなかったので、嫌でも背後関係の複雑さを想像してしまうよ、な? 特派員―爆弾をどこで手に入れたのかと推理してみたら、玄洋社の本拠地福岡の背後には炭鉱地帯が広がってるんですね。日本の近代工業と海軍を支えた筑豊炭鉱が。エネルギー源の石炭がなければ、機械は動かない。それに目をつけて、玄洋社は活動資金稼ぎのため石炭が眠る鉱区を取得して高く売りつけた、三菱や三井に〔2〕。北海道の夕張炭鉱も、そうです。 ナモネ氏―鉱山経営より利益は安定していたはずだな。金以外のメリットも大きい。松方正義は信用できないよ。ダレナニ君のメモによれば、日本銀行を設立した功績のある薩摩出身の元老だとあるが、外交官の次男正作は三菱財閥2代目総帥岩崎弥之助の娘を嫁にもらった〔3〕。 特派員―玄洋社がそういう利巧な商売に手をつけたのが、明治21年憲法が発布される前年から。不思議ですね。 放送局長―爆弾テロ計画と並行する。偶然と思うのは、馬鹿だ。 編集長―議会制度の横の方に法律対テロという構造ができたわけだ。 特派員―筑豊炭鉱が蒸気機関の導入で機械化されたのがやはり明治20年代で、三菱や三井といった財閥と裏で組むのは、当然の成り行きでしょうね〔4〕。 編集長―日清戦争以後、帝国の発展につれて玄洋社などの暴力主義的な結社が海外にも勢力を伸ばしたが、その理由がやっと分かりかけてきたよ。この事件についてはもっと調べなければいけない。今日インターネットで見つけた情報によれば、事件の始まりから1年後原敬首相が東京駅で暗殺された事件には皇居のきわめて曖昧なドラマが密接にからんでる。2年後の2月山県有朋が枢密院議長在職中に死んだが、葬儀の参列者はほとんどいなかった〔5〕… ☆ ☆ ☆ Updated 2006.3.19 特派員―図書館でアメリカ人が書いた昭和天皇の伝記を見つけたけど、それによれば、頭山は東宮(とうぐう)御学問所の教育係じゃなくて、杉浦の親友ですね〔6〕。 編集長―枢密院については、どうだ? 特派員―存在してないような書き方ですね。 ☆ ☆ ☆ □
東京駅暗殺事件~16 後編 前編 A Shoe Shine Boy : Benny Goodman and His Orchestra 1 明治天皇 : ドナルド・キーン(Donald
Keene) 新潮社 2 人ありて
Web : 読売新聞社
井川聡、小林寛 3 wikipedia 4 山田市HP 5 wikipedia, History of Modern Japan HP 宮中に関するデータベース 6 昭和天皇 Hirohito and
The making of Modern Japan Herbert
P.Bix 講談社 2002年 大隈重信の銅像に関する早大キャンパスのエピソード |
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★ナチスも聴いたグレン・ミラー楽団による〈私の理想〉〔A〕 ☆ ☆ ☆ Updated 2006.3.14
編集長―頭山満が皇太子に倫理を教える役を受け持ったことに対して批判が渦巻いたと思いたいが、あいにく資料がない。 アロマ―それが重大事件なのよ。 編集長―そうだ。皇太子裕仁は敬遠したと思う。イギリス風のリベラルな性格と理知的な話し方は、あんな野蛮な考え方や暴力主義とは正反対だ。 カーテンとアンブレラ 編集長―それが明治憲法の規定にしたがって決まったとすれば、天皇の諮問機関枢密院を通過したと考えられるね。枢密院が議決して、大正天皇が承認した結果だ〔1〕。当時の議長は最高実力者の元老山県有朋。大正9 (1920) 年11月11日、その人が西園寺公望というもう一人の元老と原敬首相とともに異議を唱えたのは、教育係の行動に対してではない。 放送局長―例えば、玄洋社は中国でこういう悪事を働いてる、ということじゃない。 編集長―2年前に決定された皇太子の婚約に文句をつけたのだ。反対理由は久邇宮(くにのみや)家の良子(ながこ)の母方の島津家に色盲の欠陥があるということだが、これはどうも重大事件というよりは喜劇の幕開けだ〔2〕。ところが、伝統的な道徳にこりかたまる杉浦重剛や頭山満は笑わない。山県の反対は薩摩と長州の藩閥感情から出たもので一度決定したことは取り消されない、と硬直的に批判。天皇の管理事務係内大臣松方正義、大隈重信、憲政会が右翼に味方して、ついには元老山県有朋暗殺計画にまで発展する。大隈は、勝海舟と同じく頭山満を愛国者と思っていたようだ〔3〕。新聞雑誌は某重大事件に関する報道を止められたので、噂だけが広がった。そして、翌年の2月婚約変更はないという宮内省の決定が公表された。玄洋社と関係の深い緒方竹虎は、何をしていたか分からない。朝日新聞社に入って10年目の優秀でない若い記者だが、2年前の白虹(はっこう)事件というデモクラシー弾圧で論説委員の長谷川如是閑が追放されたあと、〈発言権〉を強めたということだ〔4〕。喜劇の終わりは、明治維新と近代国家建設の功労者山県有朋元帥の敗北だった。彼は宮中でも権威を持つ元老の一人でありながら、追いつめられて枢密院議長を辞任した。 ☆ 放送局長―日の丸の旗がやっと世界の五大国の地位に昇りつめたとき、哀れ、この老人に花道は用意されていなかったのであります、ということだな。 編集長―そういうことだ。大正天皇は脳の病気だから、よく言われるように〈明治は遠く過ぎ去った〉 ナモネ氏―演劇的になった。後藤新平が市長に就任したのは、喜劇の幕が上がってから1か月後。〈大正維新〉という妙な言葉を使った官僚政治家、医者上がりの怪物だ〔5〕。 特派員―裏を調べてみると、ええと、東京市会の推薦候補者から天皇が裁可した〔6〕…要するに、そういうことですね、はい。色盲検査をやるために東京市長になった。 アロマ―何でも《レッド》に見えてしまう病気が色盲ね。あたしのジョークに感動したみたい?一休みしましょう。 ☆ ☆ ☆ □ 東京駅暗殺事件~16 前編 後編 A My Ideal : Glenn Miller and The Army
Force Band 1
小学館 世界大百科事典, wikipedia 山県有朋(やまがたありとも) 1838~1922 長州藩下級武士の子。松下村塾に学ぶ。奇兵隊を率いて尊王攘夷運動に参加。近代装備の軍制確立。日清戦争の第一軍司令官、日露戦争の参謀総長。元帥。政治家としては、内相、陸相、法相、首相2度、枢密院議長3度。 2 大系日本の歴史 14: 江口圭一 愛知大学教授 小学館 1989年 皇族 : 広岡裕児 読売新聞社
1998年 3 人ありて Web : 読売新聞社 井川聡、小林寛 4
wikipedia ,History of Modern Japan HP 長谷川 如是閑(にょぜかん) 1875年11月30日 - 1969年11月11日 ジャーナリスト。雑誌《我等》を中心に大正デモクラシーを推進した。 5 「国際化」の中の帝国日本 日本の近代化 4 1905~1924 : 有馬学 九州大学教授 中央公論新社 1999年 6 wikipedia |
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★アーティ・ショウ楽団の〈スター・ダスト〉がせつなく響く。〔A〕 ☆ ☆ ☆ Updated 2006.3.1
半分半分放送局長―そうだといいが。消極的な態度を見せると、信用がなくなるから。しかし、学者だけでは、ねえ。日本人は権力に弱いんだ。自由がない知性に過去の事実がどう見えるか、と思うと、恐ろしいね。一枚の紙切れだろう。事実というのは、それの周囲を回ってみて、いろんな角度から考察しなければいけないんだ。 編集長―もちろんだ、と言う人はいっぱいいるはずだ。しかし、歴史はテーブルを見るようにはいかない。意識が習慣にしばられているから、な。 壊れた時計 放送局長―誰にでもできるのは、対話だよ。 編集長―特に、自分と感じ方や考え方が違う人間との対話だな。 特派員―他の人たちの思考をうまくまとめれば、時間の無駄もはぶける。なるほど。でも、そういうチャンスがない人や感情的になる人も多い。負けん気が強くて主題を壊す人もいる。 編集長―苦手な人もいる。いずれにしても、最終的には自分自身で考えるだろう。想像力があれば、自由に見ることが可能だ。 放送局長―想像力は否定の働きである、とサルトル(Jean-Paul Sartre)が書いている〔2〕。この事実は間違いだ、とか、この点がおかしい、とか思うこと、それが想像力のスタートだ。 放送局長―水源は、デカルト(Descartes)の懐疑だろう〔3〕。自分の考えることはどれも間違いだ、という態度を取るんだ。 ☆ ☆ ☆ A Star dust : Artie Shaw and his orchestra 1 産経新聞 2月21日 北京 赤地真志帆 2
想像力の問題 3
方法序説 |
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★グレン・ミラーの〈アメリカン・パトロール〉がなければ…〔A〕 ☆ ☆ ☆ Updated 2006.2.21
ナモネ氏―MPは入口で苦笑いするだけだ。ジープで駆けつけたのは、馬鹿騒ぎに対する苦情を聞いたからじゃなかったようだな。今見ると、この苦笑いは説明が必要だ。日本人の馬鹿騒ぎを取り締まるのは日本の警察なんだから、なあ。 テーブルの下 特派員―たぶんね。MPはある程度日本語を知ってますね。理由が分かって、おかしな単語があるもんだ、と思ったのかもしれません。 放送局長―分からない観客が多いはずだよ。説明の会話を入れなければ、君。黒沢明の余計な遠慮だ。実に惜しい。敗戦後の時代を生きた人や当時の歴史に強い人向けの映画だ。 編集長―まあ、そうだな。この映画は、そこで意味の変換が起きる。記号論で言うと、指示記号の方向が変わって別の薄暗いネットワークの世界に滑りこんでゆく。酒を飲んで笑ってばかりの退屈なストーリーが、急に影を引きずるようになる。 放送局長―そういう言葉の潜在的なネットワークは不安と恐怖をそそるときがあるよ、な。あの宴会では教え子の一人が釧路から鹿児島まで各駅停車で駅名をしゃべる。白けるのも気にしないで、宴会の終わりまで孤独にやってる…けれど、鉄道事故という単語が浮かび上がるまで、そう時間はかからないね。 特派員―《まあだたよ》にはまだまだ思いがけないリンクがあるけど、その話はみなさんに100円でじっくり映画を見てもらってからにしませんか? 編集長―そうだな。映画館ではできないことだ。 ☆ ☆ ☆ A
American Patrol : Glenn Miller and his Orchestra この対話の前 |
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★アニタ・オディが歌う〈”Murder “ he says〉で混乱〔A〕 ☆ ☆ ☆ Updated 2006.1.29 ナモネ氏―何だ、二人で留守番か? 特派員―というわけじゃないけど、編集長は今除雪の最中です。
特派員―じゃあ、呼んで来ましょう。 編集長―今あの話をするのは、まずいな。 ナモネ氏―いや、今だよ、タイミングは。 編集長―そのドアは、木工所の工場の扉を再利用したものです。 ナモネ氏―芸術作品だ。昔はペンキを塗ってなかった。 編集長―共同通信その他の大手メディアが、ライブドアへの配信を拒否したので、傍観していられないな、と思ってたところですが、ね。 ナモネ氏―ライブドアの社長ら幹部が東京拘置所送りだぞ。 こおりついた街灯 特派員―つまり、謀略機関が犯罪カードを切ったので、ナモネ氏と編集長は対抗しなければいけないと判断した。分かりました。それで、重要な資料とは、下山事件が起きたとき昭電事件関係者が線路脇の東京拘置所に入っていたかどうか、という疑問に関することですね? 編集長―ああ、そうだ。悪気があって、黙ってたんじゃない。 特派員―組織の幹部が使う決まり文句ですよ。マス・メディアの完全犯罪です。民主主義の国が強いのは、どんな個人でも必要な情報を与えられて自由に考えることができる環境が整ってるからです。 編集長―そうすれば、アロマも即興的に編集長の役を立派にこなせる。ナモネ氏のコピーはそこにある。読んでくれ。 ☆ 特派員―ウィロビー(Charles Wiloughby)の回想ですか…〈GS(民政局)が支援していた片山、芦田両革新系内閣が倒れ、芦田前首相は小菅刑務所に送られ、ついに第2次吉田政権の成立となった。GSは吉田内閣を快く思わず、妨害を画策していたが、その頃私はたびたび帝国ホテルで吉田首相と会っていた。〉〈朝鮮戦争前夜に奏でられた狂想曲の序曲であった〉〈この序曲が30年後の今日まで継続的に持ち越されてきたことに、日本の政治、経済、社会の意識構造が問われなければならないと思う。〉〔1〕 ナモネ氏―侵略戦争の反省が中途半端だ、という意味だ。 編集長―意識の構造というのは、絶望的な見方だな。その封建的な構造が外界の知覚や認識、それから行為と生活を習慣的に支えているんだから。白黒のTVはカラー放送の電波を受信できない。 特派員―受信しても、再現できない。理解したような気分です。ちょっと確認すると、小菅(こすげ)刑務所は、荒川のほとりにある東京拘置所のことですね。それ以前は池袋の巣鴨にあった〔2〕。極東国際軍事裁判のA級戦犯が収容され、今はサンシャイン・シティがある、とインターネットの百科事典がわざわざ記述してました。 ナモネ氏―芦田均の他にも大勢そこにぶち込まれたということになるな。 特派員―金をばら撒いたと供述した昭和電工の日野原節三社長も、そうでしょう。 編集長―刑務所のわきを通る線路で国鉄総裁が無残な轢死体になって発見されたという報道を知って、彼らは言いようのない恐怖に襲われたはずだ。問題は、それだ。 ☆ 特派員―今日のスィング・ジャズは、これですね。〈人殺し、と彼は言う “Murder” he says〉 アロマ―ジャズのスタンダード・ナンバーをサーチで見ると、なぜかHHJに出会うというわけなの。 編集長―インターネットの音楽ファンは非常に多いですから、ね。 アロマ―歌を聴いて。 ナモネ氏―私はあの事件を想い出すたびに震えてしまうんだが、なあ。今日のおしゃべりは載せてもらいたくない。家に帰りますよ、私は。CDなんか、とても聴けるような気分じゃない。何、まぁだー? アロマ―あら、日本語なのよ。日本と戦ってるときのヒット・ソングなのよ。 編集長―三人目の〈Day〉! 特派員―《ER》…アメリカの人気TVドラマの題名として復活した。 編集長―病院が舞台だから、当たり前だ。 ナモネ氏―いや、黒沢明の最後の作品《まぁだだよ》だ〔3〕。 編集長―アメリカ人がおもしろがる駄洒落ですよ。1953年朝鮮戦争のとき制作されたミュージカル《バンド・ワゴン BAND WAGON》には、クライマックスでそれが上演作品のタイトルとして出てくる〔4〕。〈GIRL
HUNT A Murder Mystery In Jazz〉 ナモネ氏―ううむ、やっぱり今日は帰ろう。《白い恐怖 Spellbound》だ〔5〕。 編集長―今日のはB級の娯楽作品だが、それで勝てば楽しいんじゃないか? ☆ ☆ ☆ □ カレンダーのある事件 2 A “Murder” he says : Anita O’day Gene Krupa & His Orchestra.
Recorded between 1941 & 1945. 1
戦後秘史; 大森実 当時毎日新聞記者 2
Free Difinition HP 3 1993年 制作 大映,電通,黒沢プロダクション 監督・脚本 黒沢明 主演 松村達雄 香川京子 4 制作 MGM 監督 Vincent Mineri 主演 Fred Astaire Cyd Charisse 5 1946年制作 監督 Alfred Hitchcock 主演 Ingrid Bergman
Gregory Peck ▼ List 1 V字型の階段の記憶; 第一ホテルで憲法草案とスウィング・ジャズ |
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★チャーリー・バーネット楽団の〈マイ・オールド・フレイム〉がいい〔A〕 ☆ ☆ ☆ Updated 2006.1.11 特派員―今年は中国と笑顔で交流しなければいけないと思うけれど、ぼくには日本と中国の懸け橋になれるような自信がないので、せめて歴史のページから方向を探りたいですね。
特派員―水に流せる事柄か、そうしてはいけない事柄か、戦後生まれとして考えたい。 編集長―外国人の立場で見る必要もある。 特派員―あれから、ぼくがときどき考えたのは長谷川テルという女性の存在です。 アロマ―はあい、日本のみなさん、こちらはチョンキン(重慶)放送局です。 橋の上の傘 編集長―ないんだなあ。しかし、何か関係があるような気がしないでもない。ぼくが長谷川テルについて知ったのは寺崎英成の日記とパール・ハーバーに関する対話から寺崎の娘マリコのノン・フィクションを読んだときだ〔1〕。表紙を開くと、少女時代のマリコの写真があって、隣に日本人の女の子がいるんだが、説明にその名前があった。名前だけなので、高名な女性だろうと思ったが、本には出ないので、おかしいと思った。忘れていたら、中国の臨時首都だった重慶に対する日本の爆撃物語に、その女性が登場した〔2〕。彼女の活躍ぶりには驚いたね。 アロマ―アナウンサーよ。 編集長―1993年小坂に研修に来た冶金学の技師ジャン(張)さんがぼくに友愛の情を感じたのは、そんな歴史的な背景のせいだったと思う。リストが見つからないので、フル・ネームが分からないが、重慶に近い成都(チェンツー)が故郷だから、他の中国人よりも長谷川テルのことはよく知っていたはずだ。その話はしなかったが、互いに了解しあえる関係だったからじゃないか?一点を除けば、つまり、彼はゴルバチョフを軟弱だと批判したが、ぼくはゴルバチョフ(Mikhail S. Gorbachev)を評価していた。しかし、彼は上流の育ちのいいインテリだったね。 アロマ―ヴィデオ・カメラが気に入って、撮影の練習してたわね。 ナモネ氏―米代川ドキュメンタリーの撮影に使ってたカメラを、な。 半分半分放送局長―いやはや、長谷川テルが何者か知らなかったとは、なあ。 アロマ―インターネットでサーチしたら、それが出てた。1980年TBSが制作したドラマ《望郷の星》…栗原小巻が売国奴呼ばわりされた大胆不敵な才女を演じる〔3〕。 ☆ 編集長―見たかったな。残念ながら70年代はラジオしか持たなかった。しかし、先に赤坂のオールド・ストーリーを片付けよう。ぼくが寝ながら聞いた祖父母の想い出話の中には小林多喜二の悲劇もあったかもしれない、ということだ。といっても、ぼくは下川沿生まれのプロレタリア作家の小説についてほとんど関心がなかった。歴史には興味を持っていたが、プロレタリア文学は時代遅れの芸術だと考えていた。しかし、駒場公園にある近代文学館でガラス・ケースの中に収まった《蟹工船》の初版本を見たとき、そこが旧侯爵邸だから、時代の移り変わりというよりも嫌な感じがした。すると、ある日近所の八百屋さんが商店街の映画優待券をくれた〔4〕。1974年評判になった映画《多喜二》だった。六本木の俳優座で上映していた。山本圭の主演は、いい配役だと思ったね。新人作家が小樽から東京に出て地下生活を始めたのは、理解できない。共産党の大失敗だ。海外に脱出すれば世界史が変わったが、昭和8(1933)年2月赤坂の裏通りで仲間の裏切りにあって逮捕される。赤坂での出来事だということはその映画を見るまで知らなかったよ。長谷川喜之助とハルはどうだったかと言うと、二人はその頃北秋田に帰り、大館に住んだ。祖母から聞いたことだと覚えてるが、父が3才のとき東京の深川から田舎に帰った。昔の年齢の数え方は誕生の日が1才だから、昭和6(1931)年のことだ。それに気づいたのは、母が、喜之助とハルが東京から帰ったのは浜口内閣のときだった、と去年話してくれたからだ。要するに、昭和5(1930)年3月多喜二が東京で地下生活、11月浜口雄幸(おさち)首相が狙撃され、翌年3月桜会によるクーデター未遂事件、そして、4月浜口内閣崩壊、その時期に祖父母は子どもを連れて汽車で東京を離れた。母が言うには、東京にいる親戚の人たちもみんな歩いて引き上げたということだ。奥羽本線の距離で約600km。当時は世界的な恐慌が荒れ狂っていたが、一族がみんな北秋田に帰ってきた理由は他にあると思ってる。 ナモネ氏―喜之助とハルさんが連れてきた赤ん坊が問題なんだ、なあ。昭和11年コンクリートの大館橋が完成して何年かあとのことだが、長谷川木工所の前を通りかかると、自家用のフォードに少年が乗ろうとしていた。赤いカーペットがドアの横に敷いてあった。フォードは、運転業の根本さんが運転してた。ガソリンの甘い匂いを撒き散らして、さあっと大館橋を渡ったもんだ。 放送局長―浜口内閣が倒れてからまもなく、5月の有楽町で緒方竹虎が朝日新聞編集局長になる。9月には満州事変だ。満州鉄道が爆破されて、日中戦争が火を噴く… ☆ ☆ ☆ □ V字型の階段の記憶 2 A Charlie Barnet and
his orchestra ; My old flame 1 マリコ; 柳田邦男 当時NHK記者 1980年発行 2 戦略爆撃の思想; 前田哲男 3 演出 森開逞次 脚本 岩間芳樹 ---DWELL INFOMATION HP スカンタン通信 151号 1999.12.1 4 1974年 制作 多喜二プロ 監督 今井正 |
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