HHJ
謀略のパール・ハーバー HHJ VOL.84 2002.2 無意味な破片 特派員―〈アメリカ的原理主義対イスラム原理主義〉と聞いて、変だな、と思いませんか、編集長? 編集長―どれどれ。アメリカ的原理主義って、聞いたことがないな〔1〕。 特派員―アメリカの原理主義とは、〈グローバリズム、市場経済主義、人権主義〉おまけに〈自由や民主主義〉も入る。佐伯啓思(京大大学院人間環境学科教授)が言うには西洋にはヘレニズムから始まってアラブとイスラムの多様なものも含まれているが、〈その上に民主主義とか自由主義とか人権とかいう観念が組み立てられていった。〉これが事実かどうか疑わしいけれど、80年代90年代にアメリカは〈その堆積している部分をほとんど排除してしまって理念だけで世界化しようとするから、原理主義になってしまう。〉だから、イスラム原理主義と対立するということです。 編集長―〈ヘレニズムから始まって〉は、間違いだな。ヨーロッパは地中海周辺のエジプト・アラビアとの対立交流なしには生まれなかったんだから。〈理念だけで世界化〉というのはソ連の共産主義だった。アメリカは賢明なことにハンバーガーとコーラで世界中の精神を養い続けてるよ。 ナモネ氏―この対談では、原理主義を定義してないが、一般的には原理に忠実に生きることだな? 特派員―単純なことです。ある原理が絶対的な規範で、それが真理かどうか正しいかという懐疑を許さない。したがって、強制力がある。 編集長―自由は民主主義の原理でね、原理主義とは本質的に矛盾する。自由にしろ、という命令は強制的な言い方かもしれないが、目の前に白紙を置いて個人の思考や欲求を認めることに他ならない。もちろん、個人の感情も。 特派員―それがぼくの直観したところで、ね、原理主義は現代的な病気に似て、自由であることの不安と孤独に耐えられない人間には特効薬なんですよ。 編集長―それは個人とか個人主義に反対する生き方だな。自分自身で考えたり行動を選んだりすることに疲れた人間の行き着くところだよ。ぼくは原理主義と聞けば、早稲田のキャンパスで韓国の統一教会の学生がマルクス・レーニン主義者の隣で叫んでいたにぎやかな光景を想い出すね。偶然はない、すべては必然だ、と。立て看板に原理主義とあった。今の原理主義も政治のレベルではヨーロッパの科学と自由主義の支配から主体性を奪い返すための解決手段、つまり唯一神の絶対的意志に服従することでしょう。 ナモネ氏―その辺の経緯は戦前日本の軍国主義と似通ってるよ。いや、コンピューターによる情報革命についていけない保守勢力にも、だ。 編集長―そうそう、マシンの間にはさまれて暮らすと、自分の精神は居場所がないような気がしてくるでしょう?実存哲学は20世紀前半に、人間本来の全体存在が失われることに対して危機意識を表明したが、同じ悩みですね。ハイデッガーの用語を借りたけれど、疎外と言ってもいい。それを取り戻す生き方は二つあると思う。個人が全体に同化することと個人が自由に存在の可能性を広げること。前者は政治的には全体主義とか集団主義に、後者は民主主義を選択する。アメリカは旧大陸の第1次大戦に参加するとき、初めて公文書でデモクラシーという言葉を使い、アイデンティティの確立をしてイギリス・フランスの味方をした。旧大陸では食べさせてもらえなかった貧しい移民の集まりだから、デモクラシーという旗と星条旗を振らなければ、移民の子どもたちの共感とコンセンサスを得るのが難しかったのだと思うね。 特派員―デモクラシーは、直訳すれば、民衆主義。アメリカ合衆国が最初に1776年人権宣言をしたという歴史からすれば、不思議だけど、黒人が多い国だから資本家と政治家には危ない理念だったはずですね。 ナモネ氏―偽善的にならざるをえないな。 特派員―ちょっと佐伯の詭弁を聞いてください。〈アメリカは今度のテロを真珠湾攻撃にたとえましたね。そうすることで、真珠湾でのアメリカへの攻撃を世界の民主主義を守るというレトリックへ誘導した60年前を想起させた。〉日本人としてはそれが納得できないというのです。 編集長―〈レトリックへ誘導した〉というのは、ご自分のことだね。アメリカをも原理主義の国としたのは、どんな狙いからだろうか? 特派員―国家の存在価値と力を高めたいようですよ。中西輝政(京大総合人間学部教授)は〈グローバリズム型人間と原理主義型人間という双生児〉が握手できる日は双方が原理主義を放棄しない限りやってこない、と分かりにくいことを言っている。煎じ詰めれば、多国籍と無国籍の対立ですね。ボーダーレスの弊害を取り除くには国家の力しかないと短絡的に考えるのは、市民レベルで対話ができるようになった地球時代への反動ですよ。自民党と外務省の茶番劇のようにNGOをその中に混ぜるのは危険だ。鈴木宗男は怪しいですよ。森政権下の衆院選で自民党のクーデターが失敗したときテレビ朝日の深夜番組で菅直人に田舎訛りで食ってかかっていた。 編集長―多国籍も無国籍も、関係する国家の制度や意思から自由に活動しているわけではないね。その人の無意識を翻訳すると、アメリカはハンバーガ ーを放棄しなければいけない。先進国は製品の輸出ができなくなる。製品というものは多かれ少なかれ精神の表われなんだから。 特派員―砂漠でカップ・ラーメンを食うと、武士道精神に染まりますよ。 ナモネ氏―まあ、しかし、現実はテロリストのように自由と単独行動主義を攻撃する論調が目立つねえ、日本では。山崎正和(劇作家・東亜大学長)はその対談の前に〈テロリズムは犯罪でしかない〉と題して、グローバル化に反対する評論を責めている。それは歴史の自然だ、と。 特派員―とはいっても、山崎はインターネットが引き起こす世界的なアナーキズムを恐れている。情報が権力のない無名の市民グループや住民から世界中に広がり自由な対話がいつでも可能なことは、国家と個人のアンバランスを修正する。情報のアナーキズムは、政治機関とマス・メディアという権力的な組織が日夜作り上げている一種の幻想を破壊する力がある。 編集長―アナーキズムは無政府主義と誤解されるが、現実的には権力の支配から主体性を解放することだね。デュラント(Will Durant)の言うように統治の理想的な在り方はそれが不存在であることだとすれば〔2〕、情報操作はファシズムより民主主義の社会での方がそうと分からない形で日常的に行なわれる。情報の欠如は第三者には特に認識が難しい。しかし、この人もやはり国家の力に頼り、代表権をゆるがせるべきでないと国体護持のような結論を下してるね。〈秩序維持の実力機関〉は国家のもので、国家間の同盟によってのみ分有されるべきだから、と。国連の出る幕がないのは、妙だ。現実的な解決は、テロ資金を根絶やしにすることなんだ。 特派員―そう、日本の政治は会社封建主義の権力を土台にしているから、民主的な個人はまずそこから解放される必要がありますね。 編集長―ぼくも読ませたい資料があったんで、コピーを取ったよ。《天皇独白録》の付録、寺崎英成御用係日記〔3〕。昭和21年12月8日のページ。 半分半分放送局長・特派員―PEARL HARBOR!! 放送局長―ああ、知ってるさ。ワシントンの野村吉三郎大使の補佐として中国から赴いた外交官だろう。昭和16年。 編集長―寺崎のことは序文にFBIの報告が載ってる。〈かれは米国内におけ る日本の諜報作戦に関する調整、指導に責任を持っている。〉寺崎はアメリカとの和平交渉が暗礁に乗り上げたとき活躍する。来栖三郎全権大使の指令でメソジスト派教会の長老スタンレイ・ジョーンズに頼んで、ルーズベルト(F.D.Roosevelt)大統領の親電を外務省を通さないで直接天皇に送る極秘工作を試みる。12月6日ハル(Cordell Hull)国務長官は東京のアメリカ大使館に打電。日本の電信局が受信したのは7日正午だが、陸軍がグルー (J.C.Grew)大使に届けるのを遅らせる命令を出したので、グルーから天皇に伝えられたのはパール・ハーバー奇襲攻撃の30分前だったということだ。奇妙なことにワシントンでは6日夜、ブラジル転勤の内示を受けていた寺崎らの歓送会が開かれていた。7日日曜日はアメリカ人の妻グエンと一人娘マリコを連れてドライブに出かけた。パール・ハーバーの悲劇の後抑留されて、17年日本に帰り、蓼科などで捕虜待遇の惨めな生活を送るが、敗戦後通訳として天皇の御用係を務めた。極東軍事裁判を控えていたので、寺崎の仕事はきわめて重大だった。独白録は寺崎と4人の側近がまとめたものだ。 特派員―これは、しかし、恐ろしいエピローグですね。パール・ハーバーでアメリカの飛行機はたった2機しか飛べなかった。映画の中ではヒーロー二人が乗って活躍して、それから17年4月にはドゥリットル飛行隊に参加して東京空襲の決死の報復をする。B-25爆撃機が空母から飛びたてるとは思いませんでしたね。燃料がないから、中国には不時着ですよ〔4〕。 編集長―意外にも独白録にそれが出てくる。撃墜された飛行機の乗組員が何人かいて、天皇は、軍事施設への攻撃だから無罪だと考える。首相の東条英機の意見で裁判にするが、参謀本部が全員死刑というところを東条が反対して一番責任のある3人だけを銃殺刑にした。 放送局長―映画《パール・ハーバー》には恰好いいヒーローしか出ないぜ。アメリカは強くなければアメリカでない、ということだな。
編集長―そう。車が故障して、パトナム大佐の車に乗る。日記に出るのはその日だけだが、アメリカ時代の話をしたんだろうね。大佐は〈真珠湾の際飛行戦を戦い有功賞をもらった人〉だということを聞かされる。これが仕組まれたドラマでないとしたら、いったい何だろうか? 放送局長―神の意志ということになるだろうな。真珠湾奇襲の成功みたいに。
編集長―ほとんどないな。将校たち8人の名前をそれから横に並べて短いコメントをつけてるのも、他に例がない。〈スベンソン大佐、日本語を読む人〉〈ジョーダン中佐、十羽とった人〉…パトナムが鴨を3羽くれたとあるから、猟に誘われて行ったたらしい。真珠湾でのようにバード・ハンティングを。 放送局長―ふう。ジョーダン中佐は日本語の冗談だったのか! 特派員―そうすると、つまり、アメリカはあの親電工作は油断させるための陰謀だったと解釈したわけでしょうね?寺崎は本当に開戦阻止のためにがんばったとしたら、まるで話が逆で、切なかったに違いないな。 編集長―日記には食べ物の話が多くて、それについても全然書き残していない。独白録で東郷茂徳外相が親電を渡して答えないほうがいいと言ったというショッキングな話を聞いて操られたと思っていたのか、進駐軍のチェックを恐れたのか、何とも言いようがないね。 放送局長―理解できるのは、ルーズベルト大統領が7日の朝パープル暗号文書のいわゆる最後通牒を読んで〈これは戦争ということだな〉と言ったとき、親電工作の目的を悟ったということだ。 特派員―天皇の返事を待っていたら、パール・ハーバーの大量虐殺。 編集長―大事なのは、アメリカは天皇への親電をワシントン時間6日午後9時東京に送るとき、1時間20分前に新聞発表していることだ。それに希望を繋いでいた国民もいたわけだよ。しかし、天皇は舞台裏については何も知らされていなかったね。親電事件についてはたぶん筆記者の寺崎自身が質問したのだと推測するが、〈黙殺出来たのは、不幸中の幸〉と答えている。寺崎は、それでアメリカでの親電工作の苦労を打ち明けたと思うね。進駐軍との交渉係にしては妙に親密な関係になる。 放送局長―おれは、ジョーダン中佐が《My name is Jordan ねえ》と言ったときの寺崎の顔を見たかったよ。登場人物の名前にメッセージを込めてるんだから、君、これは値千金の歴史的事実だよ。 特派員―そういうシナリオが得意なのは、イギリスや日本のような国家としての歴史の古い国ですね。アメリカはあれからイギリスを手本にした。 編集長―ヤンキーはいつでも野球帽をかぶってる。 放送局長―グローブも離さない。冗談はともかく、ハセの広尾の伯母さんと結婚したアメリカ人はまさかジョーダン中佐じゃないだろうな? 編集長―さあ。分かっていれば、49年になくなった広尾の伯母さんのことが書いてあるんじゃないかと思って寺崎の日記を読んだかな?
注 1 中央公論2001.11---特集 米国テロと日本 2 アメリカの歴史学者 :《STORY OF CIVILIZATION》 3
天皇独白録 : 文芸春秋社。解説 半藤一利。 昭和21年3月から4月に行なわれた回想だが、公表は1990年12月雑誌〈文芸春秋〉。 御用係日記 : 昭和20年から23年までの寺崎英成(1900〜1951)の 私的な日記。パトナム大佐とのエピソードは下に引用する。 4 PEARL
HARBOR : 監督Michael Bay
制作 2001年
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3 パール・ハーバーの影
寺崎英成御用係日記 昭和21年12月8日(日) 七時自動車来る。グエン、まり子と共に越ヶ谷に、途中、車故障、パトナム大佐〔参謀第二部民間検閲支隊〕夫妻の車に乗せられた。パトナム大佐ハ真珠湾の際、飛行戦を戦ひ、有功賞を貰ふた人の由 妻君、赤い着物(ガイトウ)を着た無邪気な人 プリアム大佐〔公安課長〕、帝国ホテルに来て欲しいといった人 ホーマン中佐〔スペシャル・サービス局〕、菓子をくれた人 ぺスーン大佐〔参謀第二部〕夫妻、鳥好き 文鳥やり度し スナイダー少佐に初めて会ふ スベンソン大佐、日本語を読む人 ジョーダン中佐 十羽とった人 マリック中佐 隣りで喰べた人 ダフ大佐〔参謀第二部民間情報局〕眉雪の老人と云った感じの人 パトナム大佐の車で送らるる、鴨三羽貰ふ 一羽運転手に 一羽吉田に 夜中野加藤よりの魚持参 |
天皇独白録 開戦の決定 昭和16年 注 ; この昭和天皇のクーデタ発言に関しては、ジョン・ガンサーの『マ ッヵーサーの謎』に、奇妙なほど照合する一節がある。真偽確かめるべく もないが、戦後の昭和二十年九月二十七日、天皇がはじめてマッカーサー 元帥と会見したとき、次のような会話がかわされたと、ガンサーは記して いるのである〔1〕。 「(この第一回の会見で)天皇は今度の戦争に遺憾の意を表し、自分は『これを防止したいと思った』といった。するとマッカーサーは相手の顔をじっと見つめながら、『もしそれが本当とするならば、なぜその希望を実行に移すことができなかったか』とたずねた。裕仁の答は大体次のようなものだった。 『わたしの国民はわたしが非常に好きである。わたしを好いているからこ そ、もしわたしが戦争に反対したり、平和の努力をやったりしたならば、 国民はわたしを精神病院か何かにいれて、戦争が終わるまで、そこに押し こめておいたにちがいない。また、国民がわたしを愛していなかったなら ば、彼らは簡単にわたしの首をちょんぎったでしょう』と」 1
The Riddle of
MacArthur ; John Gunther 時事通信社 昭和26年発行 絶版 秋田県立図書館所蔵の日本語訳の本と照合して、括弧内の文を補った。会談の内容については、その他の記述はない。 |