春を待つ桜の木

著者の本では前に『震災トラウマと復興ストレス』(岩波ブックレット、2011)を読んだことがある。本書はブックレットでは簡潔にしか触れられなかった環状島モデルを詳述し、トラウマという概念について概観する。非常に丁寧な説明で、トラウマとは何か、どのような場合に生じるか、どのようにして回復するか、そうした基本的な事項が整理している。

新しい知見は「PTSDはトラウマの代名詞のように用いられがちですが、実際にはトラウマ反応の一部にすぎません」という点(第1章 トラウマとは何か)。

PTSDは、過覚醒、再体験、回避、否定的認知の症状を呈する。トラウマ反応には、加えて解離や喪失・悲嘆も含まれる。

トラウマとはどういうものか、ということはよくわかった。そこで問題は、私が抱えている「秘密」はトラウマだろうか、という疑問

二つの出来事が、私の中でトラウマになっているのではないか、と常々思っている。ただ、うつ病の治療で診察してもらっているS先生はそうは考えていない様子。「考え過ぎ」と言われたこともあるし、日常生活が脅かされてなければ異常ではない、と言われたこともある。

その一方で、常日頃から感じている不安を相談したところ、それはうつ病ではない症状で別の専門家に診てもらわなければならないとも漏らしている。

さらに本書で次の記述を見たとき、自分の心境に当てはまっていたので非常に困惑した。

   英国に住む友人で、小さい頃に性的虐待を受けた男性がいます。彼は五年に一回は引っ越すことに決めていると言います。それは、五年くらい経つとだんだん仲のよい友だちや仲間ができてきて、これ以上親しくなると、つい自分の秘密を打ち明けたくなるからだといいます。秘密を持ったまま、誰かと親しくなるのは難しい。特にその秘密が自分にとって今もとても重くて、苦しんでいるものだからこそ、と彼は言います。語らないまま、秘密を抱え続けることは、生きる世界をひどく縮小させてしまうのです。
(第2章 傷を抱えて生きる 1 埋もれていくトラウマ)

引越こそしないけど、親しくなった人には秘密を打ち明けたくなり、秘密を打ち明けると重い荷物を渡してしまったようで疎遠になる。そういう交際を何度も繰り返してきた。

この一致をどう考えればいいのだろうか。


自己診断してみると、PTSDの諸症状、過覚醒、再体験、回避、否定的認知はある。大きな喪失感や深い悲嘆も感じている。とすれば、やはりトラウマなのだろうか。

二つのトラウマ(的)体験をしている。自己診断ではそうなる。

一つは、異常な管理と暴力に溢れた中学生活。馬鹿げた校則に縛られて、体罰という名の教員による暴力を日常的に目撃して、また自分も激しい暴力を受けた。

暴力という不正を黙認し、教員に従順な優等生だったという罪責感も小さくない。傷つけられた恥辱感も大きい。

ただ、中学時代のことについては何度も文章にしているし、いまも、こうして書いている。秘密にしているわけではない。

もう一つの体験は、『庭』のなかでもはっきりとは書いていない。現実世界の友人知人に対しては「秘密」にしている。『庭』を少しでも読んだ人ならば、それはすでに「秘密」ではなく、あからさまに書かれていると思うだろう。それでも直接的には書いてはいない。今でも直接的に書くことについてはためらいがある。

二つの体験がトラウマなのかどうかは専門家ではないので私にはわからない。それでも、本書の記述に従えば、トラウマ的、とは言えるのだろう。

S先生はまだうつ病の治療中である私がトラウマの深みにはまることを恐れて、あえて触れないでいるのではないだろうか。そんな気がする。


それでは、トラウマ的体験はどのようにすれば、解消されるのだろうか。

著者は「トラウマを耕す」と述べる。人生にとって否定的に見えるトラウマを「耕す」とはどういうことか。著者はトラウマを通じて人は学び、成長できると考えているようにみえる。

著者が唱える「トラウマから学べること」。

  1. 人間の弱さと不完全さを認識させてくれる
  2. 人間の持つ復元力(レジリエンス)への信頼と尊重を学ばせてくれる
  3. 創造力や想像力、知恵の泉になる

言葉の上ではわからないことではない。私も「ある種の心的外傷は「良心」あるいは「超自我」に通じる地下通路を持つのであるまいか」という中井久夫の言葉に触発されて、トラウマを「種子」と喩えたことがある

たとえば、種という言葉はどうだろう。心の底に知らない間に埋め込まれた種子。この比喩であれば、芽を出すときの苦しみや花を咲かせるまでに育てる苦労も込められる。芽を出す種もあれば、土深く眠ったままの種もある。種によっては、甘い実にもなれば、毒の花にもなる。どう育つかは、水の遣り方と土の手入れ次第。

ただし、言うは易し行うは難し。著者は本書の結語部分でトラウマを「表現」を通じて「昇華」させるとまで書いている。種子から芽吹かせて、茎を高く伸ばして花を咲かせるのは簡単なことではない。しかも種子はまだ固い土の中に埋まっている。この岩のような土地をどう耕せばいいのか。レジリエンスへの信頼と尊重は、私にはまだ厚くない。


本書は、これまで断片的だったトラウマに関する知識を整理してくれた。また、その解決に向けてのヒントもくれた。「入門書」としてとてもよくできている。

入門書を読んだら、実践は自分一人でしなければならない。

2002年から小さな庭を耕してきた。いまだに日陰の固い裏庭は耕せないできる。

これからどうするか。また、草の上に腰を下ろしてしばらく考えてみることにする。


さくいん:宮地尚子秘密悲嘆中井久夫