日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |
お釈迦さまが亡くなって火葬ののち、その御遺骨はマカダ国などに8等分されそれぞれ報恩供養の塔(仏舎利塔)が建てられました。インドは暑さが厳しいので「お釈迦さまが暑くては・・・」と塔に日除けの傘を立てる風習があり、仏塔の初期は日傘がついていました。(図1)
さらに壇を高く重ね、日傘も数が多くなり(図2)、ついでアショカ王はインド隔離に8万4千の仏塔を造立、仏教徒の重要な礼拝の対象とされました。
中国では、楼閣建築と結びついて重層の塔となり(図3)、更に三重・五重の塔に発展し(図4)、朝鮮半島を経て日本に伝わりました。そして、功徳を積むには誰もが建てられる五輪の塔が造られました。この五重・五輪には古代インドにおける五大(地水火風空)の配置がなされていて塔婆も刻みが入り、五重の塔に模されています。(図5)
図1 | 図2 | 図3 | 図4 | 図5 |
お釈迦さまの残された経文には「塔を建てて供養すべし」とありますが、我々は簡単に仏舎利塔や五重塔を建てることは出来ません。従ってそれを模した卒塔婆を建て功徳の一端とするのです。
また、日蓮聖人は、お塔婆供養の功徳について、ご信者の中興入道殿へのお手紙で次のように述べられております。
前文略~去ぬる幼子のむすめ御前の十三年に、丈六のそとば(卒堵波)をたてゝ、其面に南無妙法蓮華経の七字を顕してをはしませば、北風吹ば南海のいろくづ(魚族)、其風にあたりて大海の苦をはなれ、東風きたれば西山の鳥鹿、其風を身にふれて畜生道をまぬかれて都卒の内院に生れん。況やかのそとばに随喜をなし、手をふれ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母も彼そとばの功徳によりて、天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並に妻子は現世には寿を百二十年持て、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水すめば月うつり、つづみ(鼓)をうてばひびきのあるがごとしとをぼしめし候へ等云云。此より後々の御そとばにも法華経の題目を顕し給へ。
幼くして亡くなられたお嬢さんの13年の供養に、南無妙法蓮華経と書かれたお塔婆を建てられましたが、この塔婆に北風が吹けばお題目に触れたその風は南の海に届き、そこに住む魚は大海の苦しみから救われ、東風が来れば西の山に栖む鳥や鹿は畜生道から逃れられ、天上界に生まれかかわることができるのです。
まして、その塔婆を自らすすんで建てる人や、それに触れる人たちは計りしれない功徳を得ることができます。また亡きご両親もこの塔婆の功徳により浄土でやすらぐことができます。更に追善に孝養をした人々は長寿を保ち、後生には父母と共に霊山浄土に住むことができるのです。お題目の書かれた卒塔婆はこれほどの功徳があります。
ですから、お塔婆を建てるときは、必ず法華経のお題目を書くのです。
お塔婆を建てるということはこれほどの功徳があります。
父母孝養の為、または亡くなった方の魂の供養のため…そして今を生きる全ての生き物、更には己自身の為にも卒塔婆の供養は大きな功徳を積むことが出来るのです。
など 申し込みは「塔婆申し込み用紙」にご記入の上お申し込み下さい。