日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |

日蓮宗

法華経の伝来

法華経は諸経の王

法華経は釈尊(お釈迦さま)の説かれた一切経の頂点、最高の位、諸経の王といわれる。
◆爾於此経中 法華最第一(法師品)
◆最為其尊 諸経中王(薬王品)

日蓮聖人も「お釈迦様ご一代の教説のなかで、法華経が最もすぐれている」と確信をもたれ、法華経の占める位置を「最在其上」と述べられておられます。

法華経の伝来

お釈迦さまはブッダガヤでお悟りを開かれて40余年、方便の教えを説いて回りました。そして仏法の完成をめざして霊鷲山で真の教え、本当に説きたかった教え「妙法蓮華経」を8年間かけて説き明かされました。お釈迦さまが亡くなられたあと、500人のお弟子たちは、王舎城に集まり、教えをもれなくまとめました。これを第一結集といいます。その後、2回・3回と結集が行われ、お釈迦さまの教えを文字に表し、教典をつくりました。

インドからシルクロードを経由して中国に伝えられた仏教経典は漢文に翻訳されました。特に鳩摩羅汁(くまらじゅう)の漢訳した「妙法華経」は普及し、その後、天台大師は天台宗をひらき法華経を広めました。日本に伝わった法華経は、聖徳太子や伝教大師によって広く伝えられ、日蓮聖人により深く信仰されました。

法華経を広めた人々

鳩摩羅什(くまらじゅう)

中央アジアの亀茲国(クチャ)の人で幼い頃から優れていた。その後、数奇な運命をたどったが、後漢王に長安へ迎えられ「妙法蓮華経」をはじめ、多くの経典を漢文に翻訳した。

天台大師(てんだいだいし)

中国天台宗の開祖。各地で修行の後に天台山に籠り、天台教学を確立した。特に、法華経が仏教の中心であることを広め、法華文句・法華玄義・摩訶止観の三大部を説いた。

聖徳太子(しょうとくたいし)

推古天皇の摂政として、仏教精神による政治を行った。十七条憲法を定め、自ら法華経を講義し、法華義疏を著して大きな影響を与えた。四天王寺、法隆寺等を建立した。

伝教大師(でんきょうだいし)≪最澄≫

比叡山において諸経典を研究し、法華経の一乗の教えこそが、仏教の基本であることを主張。入唐して、密教・禅・戒律等を学び、帰国して天台宗を開き、法華経を中心とした仏教の総合化をめざした。

日蓮聖人(にちれんしょうにん)

清澄山から比叡山に登って学修。高野山、四天王寺なども遊学したが法華経こそが釈迦一代の肝要と自覚して清澄に帰り「南無妙法蓮華経」と題目を唱えることによって、その真理と一体になれると説いた。日蓮宗を開き、大難四ケ度、小難数しれずの迫害にもめげず鎌倉を中心に法華経の正しい教えを弘通した。