日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |

境内案内

寺所蔵指定重要文化財  木造日蓮坐像

寺所蔵指定重要文化財・木造日蓮坐像
~説明文の内容~
永禄7年(1564)
全国の日蓮像の中でも古い方に属し、茅ヶ崎市の重要文化財に指定され、本堂にまつられています。 像高42.0cm 袖張65.6cm 膝張35.5cm。
木造日蓮坐像解説
寄木造り。玉眼嵌入。彩色(後補)。
頭体は一材を頚部で割りはなち、耳後ろで前後に矧ぐ。
体部は、六材を割り矧ぐ。
胎内背面に向かって右から『八月十三日/法主日口坊/南無妙法蓮華経/願主仏国寺善行坊/日受/敬白/干時永禄七年甲子』と墨書銘り、江戸時代まで今宿にあった仏国寺から移されたものであることがわかります。

本  堂




欄間にほどこされた彫刻は、法華経の世界をあらわします。

御寶前

御寶前
大仏師  渡辺勢山  作

御寶前は、日蓮大聖人の顕された大曼荼羅を掲げ、中央に久遠本佛釈迦牟尼如来と日蓮大聖人を、脇座には、上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩の四菩薩を安置しています。

無辺行菩薩立像

日蓮大聖人尊像

日蓮聖人像

鰐  口


鰐口(わにぐち)は仏具の一つで、寺社の堂前の軒下につるして、参詣者が布で編んだ綱を振り動かして打ち鳴らすものです。
形は中空になっており、上方の外側には「耳」と呼ばれる左右に二つの鉄輪を通すつり手があります。耳の下方には左右につきだした円筒形の「目」があり、目と目を結ぶ下側のすき間は「口」と呼ばれます。この口が大きく裂けているところから鰐口の名が出たと思われます。

信隆寺は昭和20年7月16日夜の平塚市空襲のときに焼けていますが、この鰐口は幸い難をまぬかれたそうです。そのときが原因かどうかわかりませんが、現状は表の向かって右側の「目」と銘帯の一部、それに下方の「口」と裏右側の銘帯の一部が欠損しています。その銘帯には上から左右にふりわけて次のような文字が刻まれています。

表(右)奉建立相州高座郡妙厳山信隆寺右為先祖菩提也大願主
表(左)當寺開基檀那従多田満中四代(欠落)三郎義光公
裏(右)十六代後胤(欠落)信就信隆院日閑敬白
裏(左)豈寛永元年甲子五月吉祥日

信隆寺とこの鰐口のことは、天保12年(1841)にできた『新編相模国風土紀稿』に記されていて、その記事と銘文から、信隆寺は、多田満仲から4代目の新羅三郎義光の十六代後の、甲州武田家の士族、武田信就(のぶなり)が先祖の菩提を弔うために、寛永元年(1624)に建立した寺であることが知られます。信就は眼病で失明し、剃髪して信隆院日閑法印と号し、明暦2年(1656)に亡くなっています。そして、この鰐口は境内にあった七面堂の前にかけられてあったとあります。寺の建立に際して造られたものなのでしょう。