日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |

ひとこと

余命一ヶ月の花嫁

だいぶ前になりますが「余命一ヶ月の花嫁」という番組を見ました。
結果から言うと ボロボロに泣いてしまったわけですが・・・
見た人いますか?
簡単にいうと こんな話しです。

父と娘の二人暮らし 彼女は明るい性格でおまけに美人です。
知り合った男性に交際を申し込まれ、幸せな日を暮らしていました。
そんな彼女にある日 不幸が襲いました。
乳がん です  辛い 闘病生活が始まります。
彼女は彼にそのことを打ち明け 付き合うことは出来ませんといいました。
ところがその彼は それでも別れずにそばにいて彼女を見守り続けたいと言ったのです。

治療をし、回復し 旅行に行ったりして人生を楽しんで このまま完治するので はないかと思われたほどでしたが 再発・・・さらにこの時は 余命一ヶ月です。
もちろん彼女は知りません。
(でも実はこのとき彼女は自分が余命一年くらいだとおもっていたらしいのです)
彼女の周りにはいつも人があふれていました。
彼女はインタビューでこんなことを言っていました。
「幸せ・・・だってこうして生きているんだもの」
「生きていることが幸せ・・・」

この言葉は忘れられません。
彼女は心のそこから 「幸せだ」と 言ったのです。
たくさんの物に支えられて生きている自分を見つけ 幸せだとかんじたのでしょう。
そしてみんなの愛に包まれて死んでいきました・・・

私たちはどうでしょう
人は幸福の時にはその与えられた幸福になかなか気付かないものです。
幸福であるのに、もっと上を見ては「私には何がない・・・これが足りない・・・」と、自分の不幸を嘆く・・・
食べるものがあり 寝るふとんがあり 雨をしのぐ屋根がある。
でも私たちは もっと幸せになりたいと言う・・・
もっともっと幸せになりたいと・・・
発展途上国の子供達に中には 二日に1回 一切れのパンしか食べられない子供 達がたくさんいます。 それでもそのパンを人に分け与えようとします・・・

私たちが、お盆のこの時期に必ず行う施餓鬼供養はそれはありがたい供養ですが、たくさんの食べ物をもつ我々がする供養と二日に一切れのパンしか持てないもの達が分け与えようとする行いとは同じではないと思います。
私たちは神仏やご先祖様やたくさんのめに見えないものたちに支えれらて生きています。
私たちが出来ることを今一度 お盆に向けて考えてみましょう
簡略 省略 粗略 ・・・と、流れる今の世の中です。

今年は一品 供物を多く供えてみませんか?
手作りなら尚すばらしいと思います。
私たちは生かされています。
そして 今 生きていられるんです。
食べるものがあり 寝るふとんがあり 雨をしのぐ屋根がある

とても幸せ・・・
だってこうして生きているんだもの・・・