日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |
合掌。立春が過ぎて令和七己巳年が始まりました。今年の立春は二月三日午後十一時十六分でしたので節分(大晦日)は二日でした。恒例の節分会消難水行には七人の勇者が参加、水は冷たく、体から湯気が立ち上り、有り難くも身の引き締まる思いが致します。お題目を唱えながらの水行で悪しきものを清め、守護神を呼び寄せます。慣れないうちはガタガタと震えてしまうものですが、慣れてくると姿勢も伸びてシャキッとした姿が美しく見えてきます。
私が水行を始めたのは平成四年に荒行に行った後からです。あれから毎年、寒の時期に立春までの寒水行を三十年近く行ってきましたが愈々副住職に譲る時がきました。体力が落ちてきたのもそうですが昨年末、先号のタイムスを出した後に強烈なギックリ腰に・・・しかもその一週間後には尿路結石で救急車に乗るはめに・・・そりゃまあ痛かったこと痛かったこと。ギックリ腰は外で大きな植木鉢を一輪車に乗せようとして「アッ!」と言ったきり倒れて動けず、数十分後に家族に発見されて救出。病院にも行かなかったせいか、未だに痛みを引きずっています。結石のほうは、ある朝いきなり鳩尾から左胸辺りに痛みがはしり、しゃべることも出来ず冷や汗が止まらずで、一時間ほど我慢したのですが痛みに勝てず、救急車を呼んでもらいました。法事のお檀家さんにも迷惑をかけてしまい、すいませんでした。
そんなこんなで水行を無理して「ギクっ」となって、びしょ濡れのまま外で唸るのは避けたいし、迷惑もかかるので気持ちは水行をしたいのですがやめることにしました。
子どもの頃、大人が集まると「病気と薬の話しかしない」と思っていましたが自分がそういう年齢になったことを痛感させられる今日この頃です。
と言うことで、昨年も盛大に行われた「こども食堂餅つき大会」ですが、私は杵を持ちませんでした。いつも優しい妻に「ギックリ餅」とあだ名をつけられるとイケないので・・・
こどもたちは楽しそうに、そして美味しそうにお餅を食べてくれましたし、こどもみたいな大人達も楽しそうでした(笑)
大勢で何かをしたり、美味しいものを食べるのって楽しいですよね。「こども食堂」もそういう場で、大人もこどももみんな一緒になって食べるから楽しいし美味しい。孤食を癒す場であればありがたいと思います。お寺ってそういう場ですし・・・
お寺に来る人たちの顔を仏さまは見ておられます。仏さまに顔を覚えられたらラッキーです。功徳を譲り与えられるのですから。
仏さまの慈悲や守護の力は空から降る雨のように誰にも平等に降り注ぎます。ですがその人の受け皿によって与えられる水の量は違います。持って生まれたものや、普段の行いにもよりますが、それは大きくもなり小さくもなるのです。「人の為に良い行いをする」「陰徳を積む」「お題目を唱える」様々な手段でその受け皿は大きく出来ます。全てが自分の行いによる(依る・拠る・因る)のです。
因果応報 南無妙法蓮華経
先日、品川のお寺さんで開かれた「一日中お経を読む会」に参加してきました。そのお寺さんには駐車場がないので近くにある商店街の駐車場に車を停めます。その駐車場というのは何を隠そう、今の信隆寺の住職がまだ学生だった頃にアルバイトをしていた場所です。いまでこそ全自動でゲートも開き、精算もしてくれますが、住職が働いてた頃は全て人力。白線もない広場で、お客さんからカギを預って空いてるスペースにどんどん車を詰め込んでいく、前後は一センチ、隣とスレッスレに駐車なんて当たり前のようにやっていたと当の本人は豪語しています。今や、どこの駐車場も無人で、精算も機械がやってくれる時代になりました。そんな時だからこそ、このお話しが心に刺さります・・・
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田中さん(仮称)は自分の事務所の近くに駐車場を借りました。その駐車場には初老の管理人さんがいます。田中さんが駐車場に車を停めるたびにいつも明るい笑顔で「おはようございます、今日も気をつけていってらっしゃい」と声を掛けてきます。
急なにわか雨に降られ、車から出られないでいると「傘、忘れたんか?これ使いな」と傘を差しだしてくれたり、他のお客さんが満車で停められない時には自ら入口に立ち、「ただいま満車です。申し訳ございませんが他をご利用ください」と一台一台に声を掛ける。時に文句やクレームを言われたら、その車が見えなくなるまで頭を下げ、見送っていました。
ある日、田中さんが車を停め、いつものように挨拶をすると、おじさんは「今週いっぱいで辞めます、お世話になりました」と言います。残念に思いながらも最後の日、感謝の気持ちを込めて手土産を渡そうと駐車場に着いたとき、田中さんは自分の目を疑います。
小さなプレハブの管理人室の周りがたくさんの人で溢れていました。そして管理人室の中も外もたくさんの手土産や花でいっぱいになっています。その駐車場の利用者が管理人さんの仕事最終日に集まり、そこはさながら送迎会のようになっていたのです。
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まさにこれが「仕事」なのではないでしょうか。派手さはなく誰でもできるようなことであっても、他人のことを想い、その一つ一つに真心込めて丁寧に行う。簡単なようで難しいことです。「誰かのために」行動できる人になれるよう、今日もお題目をお唱えいたします。世のため人のために生きることを菩薩行と言います(拝)