日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |
合掌。夏と冬の間に秋をおきました・・・♫の候。私は秋が大好きです。過ごしやすいし、実りの秋ですから食べ物、飲み物、当然、お酒も美味しい季節です。素晴らしき実りの秋。太ってしまうことだけが玉に瑕ですが、それは置いといて先ず、キノコは絶対に頂きたい。キノコを惜しげも無く鍋につっこみ、里芋と鶏肉を足して醤油仕立てに煮込めば秋の味覚の始まりです。レンコンは薄切りにして油でカリッと仕上げたら岩塩をふってチップスに!秋刀魚は出来れば炭でじっくり焼き上げたい。戻り鰹は強火で炙って油を落とし、ショウガ醤油でもポン酢でも何でもござれ!もしも藁で焼くことができたなら感動の美味しさが味わえます。鯖は何をしても美味しいのですが、アニサキスが怖い(4回やられてます)のでパスします(苦笑)サツマイモは石焼き芋が一番美味しいのですが甘いものはお酒に合わないので夜の食卓には上りません。石焼き芋と言えば昔、おじさんがリヤカーを引いてカランカランと鐘を鳴らして売り歩いてましたね。何か、とても懐かしく感じます。あの鐘の音は今どこに・・・
ところで「晩酌の流儀」という番組をご存知ですか?ある女性が夜の晩酌を如何に美味しく頂くかを一番に考えて一日の生活を送るというドラマです。これに出てくる料理が本当に美味しそうで、ついつい引き込まれてしまいます。料理が美味しいとみんなが笑顔になって、会話も進み、お酒も進む。良いことだらけです。お酒が進むのが良いことかどうかは更に横に置いといて、少なくともその場の雰囲気は良くなることでしょう。美味しい物は人を幸せにします。
先号で人は「もしかしたら120才まで生きられるのかも知れません。」と書きましたが、どうやら人の体は本当に120才まで生きられるみたいです。但し、一切のストレスなく、最適な食事・睡眠・労働(体を動かす)による完璧な管理が出来ればの話です。逆を言えば与えられた命を様々な形で減らしていくのが我々なのです。私の両親も祖父母も長くは生きませんでした。この短命のDNAを受け継いでいる私はもっと「健康に気遣いをしなければイケないのだなあ」と、たった今、パソコンに向かいながら感じているところです。が・・・最近は時間がなくてウォーキングもサボりっぱなしです。
あっ! DNAと言えば!!!我がベイスターズが苦節26年1998年以来の日本一に輝きました。ありがとうございます。う~泣ける・・・メジャーではドジャース大谷・山本が勝ち、日本では我がベイスターズが優勝です。こんな嬉しいことがありますか?野球大好き!以前から応援している今永選手も、かなり頑張りました。来年のメジャーはシカゴカブスに優勝して欲しいです。日本はベイの連覇でお願いしたい。嬉しくて、また飲んじゃいます。
お酒と言えば「日本全国酒飲み音頭」という歌を知っていますか? 一年を通してお酒を飲む口実を歌にして、一番は行事を理由に、二番はご当地の物をダシにお酒を飲みます。私もそれに習ってやってみると。1月は正月でおせちを食べて酒が飲めるぞ・・・2月は豆まきと雪見で。3月はひな祭りで蛤と蕗の薹で。4月は花見にシラスと初鰹で。5月は五月晴れに表へ出て。6月は梅雨空に、そら豆で。7月はナイター中継観て、野球にはビールが似合うと言って、枝豆で。8月は高校野球観て、ゴーヤチャンプルーを泡盛で。9月はまたまたナイター中継観て秋茄子で。10月は愈々クライマックスナイター中継観てお会式で大変だけど。11月は野球が観れなくなってさみしいけど食べ物が美味しいから。12月は超忙しいけど鍋が美味しい季節なので・・・と。我ながら呆れたもんです・・・
涼しくなり野球もやらないので、これからは本を読みまくります。読書の秋です。いくらか年をとったせいか本を読んでも内容を覚えられなくなり、頭に入ってこないのが困ります。つい最近本を買って読み始めたのですが半分くらい読んで、「あれっ?」この本読んだかも・・・となりました。一瞬愕然としましたが仕方ないので切り替えて、同じ本で二回楽しめたから得をした!とポジティブに考えることにしました。悩んで落ち込んだり、本の代金を損した、と考えるより、新鮮な気持ちでもう一度楽しめたと考える方が健康によろしいのです。こんな私、120才まで生きられるかな? 無理だろうなぁ・・・南無妙法蓮華経
さてさて、皆さま「お酒の話が多いなぁ」とお思いでしょう。私もそう思います。それでは、そろそろ真面目な話しをしましょう・・・
日蓮聖人はお酒を飲まれたのでしょうか? 残されているお手紙から拝察すると飲まれていたようです。寒さ厳しい身延山で体を温めるために飲んだのでしょう。お酒を送って頂いた信徒へのお礼の手紙には「温めて飲んだら体がまるでお湯に浸かったように温まりました・・・有り難くて涙がとまりません」というような表現をされています。当時の身延の冬は想像を超える寒さだったようです。しかも着る物は薄く、暖と言えば火鉢くらいですから寒いに決まってます。現代の人間がそこに行けば、3日ともたないでしょう。因みに飲んだ量は一回にコップ半分くらいだと思われます。私は心底反省しなければなりません・・・
ここでお酒に纏わる法話を一つ・・・『衣裏繋珠のたとえ』
諸国を放浪していた貧しい者がいました。ある時、旧友と出会い、酒を酌み交わし、飲み過ぎて眠ってしまいました。旧友は他に用事があり、出かけなければなりませんが、貧しい友人をこのままにして良いのか気になります。そこで、いざという時に役立つようにと、高価な宝珠を寝ている彼の衣服に縫い付けました。やがて目を覚ました彼は、再び旅へと出かけていきました。それから時は過ぎ、二人は再会したのですが、彼は貧しいままでした。旧友は驚き、「衣服に綣い付けた宝珠は?」と尋ねました。彼は全く気づいておらず、その時初めて衣服に縫い付けられた宝珠を見つけ、その後は幸せな生活を送ることができました。というお話しです。これは、貧しい彼が私たち迷える凡夫、旧友はお釈迦様です。お釈迦様は宝珠をとっくの昔に私たちに下さっているのに、私たちはそれに気づかずに悩みの尽きない毎日を送っているのです。酒を飲んで酔っ払って寝てしまった彼は、まさしく私たち・・・毎日飲んで(欲に執着し煩悩だらけで)寝てしまえば大事なことに気がつかないのはあたりまえです。またまた心底反省しなければなりません・・・酒など飲まずに、その宝珠(良薬)を口にしなければならないのです。
南無妙法蓮華経と・・・
※副住職の一言はお休みします(私の話が長すぎて・・・)