日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |
合掌。体温より気温が高いので風邪をひいて発熱した時のようにクラクラしてしまうの候。皆さまご無事でお過ごしですか?
曽て古代の文明が栄えた場所が、今や砂漠と化しているのが不思議ではないと思えるようになってきました。まるで砂漠にいるような暑さですね。都会はコンクリートジャングルで緑や土がないので当に砂漠状態です。このままで良いのでしょうか?先号で田んぼのことについて少し触れましたが6月にこども食堂に関わるみんなで田植えをしました。泥だらけになって手で植えたのです。
私も含め大人も子どもも大はしゃぎです。はじめは泥に足を入れただけで「キャ~キャ~」言ってましたが夢中で稲を植えていきます。子ども達はすぐに飽きて、どじょうや虫をつかまえて、そのうちただの泥遊びになっていましたが。秋には稲刈りが待ってます。仕事ではないから楽しかったのでしょうけれども、良い体験をしたと思います。参加した人の心にも自然への感謝や食べ物を無駄にしない気持ちといった、何かしらの大切な「宝物」が植えられたと思います。もしかするとこの子ども達の中に将来「フードロス」を無くす仕事に就く子がいるかも・・・政治を大改革し農業を守り、日本の食料自給率をあげてくれる子が現れるかもしれない・・・そんな勝手な想像をしてワクワクしてます。未来を担うのは子ども達です。
ご存知の通り、日本は戦争に負けました。その原因は様々ですが大きな原因の一つに資源不足があげられています。それは未だに続いていて石油やガス、レアメタルを高い価格で輸入しなければなりません。更に食料も輸入に頼っています。外交に弱い一要因ですね。しかも・・・輸入すると言うことは船便で何ヶ月もかけて赤道直下を通ってやって来るわけですから普通なら腐るかカビが生えます。そうならないのは何故か? もしかして「薬づけ」・・・
食料輸入の裏話を聞いたら愕然とします。輸入物はもはや毒です。
日本語に「身土不二」「地産地消」という言葉がありますが、本来人は先祖代々暮らしてきた土地とは切っても切れない関係にあり、生まれ育った土地に実った食物を食べる事で健康を保つことが出来るという考え方です。ご飯と味噌汁、ぬか漬け、庭で飼ってるニワトリの卵と絞めた鶏肉、田んぼや畑で体を動かし、米の恵みの日本酒を頂いて疲れを取れば、もしかしたら百二十才まで生きられるのかも知れません。たまには麦の恵みを頂いてビールやウィスキー、葡萄からワイン。米・麦・芋で焼酎となれば満点の笑顔です。「笑う門に福来たる」「酒は百薬の長」なんて言いますから益々日本人は長寿国となるでしょう。米粉でパンが作れるのだから小麦なんか輸入しないで国内で賄えばもっと豊かな国になり得るのに。いつまでアメリカの言いなりで暮らさなくてはイケないのでしょうか?お店の棚からお米が消える日はそう遠くないのです・・・
大地の恵みに感謝しながら生きていた私たちの先祖の生き様に想いを馳せ、更にはこの国に住む家族を守ろうとして散っていった英霊や本土襲撃で犠牲になった戦没者の心のうちを想像しながら今年の夏も、お盆が過ぎようとしています。南無妙法蓮華経
【学ぶはまねる お釈迦様を目指して ~まねるの三段活用で進化する~】
生涯学習というととても聞こえのいい言葉で、なんだかかっこいいですよね。自分もやってみたい! なんて意気込んだりしますが、三日坊主にすらならない残念さ…学ぶというのは子どもに限らず大人にとっても大変なものです…
ところで「学ぶ」という言葉は「教えを受ける・勉強する」といった意味がありますが、その語源は「まねぶ」にあたります。そしてこの「まねぶ」は「まねをする(真に似せる)」という意味があり、つまるところ「学ぶ」は「真似をする」という意味になります。皆さまはこの「まねる」の三段活用なるものをご存じですか?
一、徹底的にまねる
二、ちょっと変えてまねる
三、思い切り変えてまねる…
この三段活用を身に付けると、学ぶことが楽しくなりそうです! 今井むつみさんの『学びとは何か』という著書には、「楽器の演奏にしろ、スポーツにしろ、それ以外の技術にしろほとんどの場合、私たちは誰か(多くは先生やコーチ)がそれをしているのを見て、真似することから始める」と書かれています。確かに私たちの周りで一番の学び(まねぶ→まねる)上手である赤ちゃんは周りの大人たちの行動をじっと観察し、同じように真似することでできることが増えていきます。
また、武道や茶道・華道で言われる「守破離」も同じです。最初は師匠の教え通りにやり、だんだん自分の色を出していく…基本ができての応用を「型破り」、基本ができてないのは「型なし」…私も最近お経を読んでいるときにだんだんと猫背になっていることに気づきました。お釈迦様や日蓮聖人は座っていても背筋が伸びて綺麗です。まずは姿勢という形から真似をします。いずれお釈迦様から「型破りだね 👏」と言って頂けることを目指して… 今日もお題目をお唱え致します。(拝)
副住職のお話に「守破離」の話がありました。どの「道」も厳しい作法と精神があります。そしてマニュアルでは到底書き表せない微妙な呼吸や「わび・さび」があります。これは日本独特の世界観というか精神論で成り立っています。
この夏のオリンピックで私は「柔道はこんなスポーツだったのか?」と感じました。多くの方が同じような違和感を覚えたのではないでしょうか? オリンピックの時は「柔道」という名前を変更した方が良いとさえ思いました。「道」を感じないからです。「道」の観念を諸外国の方に理解してもらうのは中々に難しいだろうと思います。因みに仏道は本来「離」がない方が良い。「破」の型破りまでは良しとしても自らの考えで仏さまの教えから離れて一流派を立ち上げてはならず、それこそ仏さまの遺言「依法不依人=法に依って人に依らざれ」に反するからです。難しい話はここまで・・・「守破離」と言えば京都のお酒で「澤屋まつもと(守破離)」というお酒があります。とても美味しいのでご賞味下さい。この時期、あてはナスの揚げ浸しなんかあったら最高です。 南無妙法蓮華経