日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |
合掌。「芒種」とは、一年を二十四に分けた節気の一つで、稲や麦などの穀物の種をまくとされる時期を表す言葉ですの候。
古来より日本人は一年を四季、二十四節気、七十二候に区分して、季節のうつろいを楽しんできました。最近は季節の変化を感じづらくなってきましたがそれでも春が去り、夏を迎える間近、一雨ごとに気温が上がり湿気も増してくるのが分かります。桔梗の花が咲き、紫陽花の蕾が今か今かとふくれ、雑草もうなりをあげて生い茂り、トマトは美味しく実り、海では青い魚が飛び跳ねる。和菓子屋さんでは涼しげな夏のお菓子が彩りよく並べられ、日本人はなんとお洒落な民族なんだろうと感心します。
芒種の頃は田んぼに稲が植えられます。雨で水量を増した川から用水路に水が渡され、田んぼに水が引き込まれれば、時期を待ちわびた生きものたちは今年も命を与えられるのです。小さな命の営みの中で稲はすくすくと成長し、いずれ稲穂が頭を垂れる頃、金色に輝く実りが私たちにまた新たな命を・・・幸福を与えてくれます。このめくるめく季節の循環を体で感じるからこそ感謝の心が生じるのです。お金を出せばお店で何でも買えてしまう時代。素材を買って調理すればまだマシ・・・買って食べるだけ、レンジでチンして三分で出来上がり・・・これではどこに感謝して良いのか分からなくなっても仕方無いのかも知れません。こうやって人の心は変わっていってしまうのです。太陽や水の恵み、そして自然への畏敬の念。お父さんやお母さん、お爺さんやお婆さん、友人や親戚、近所の人、そうでない人。全てに感謝。このようなことは本来、普段の生活の中で自然と教えられ、自然と感じて来たはずです。ですが、現代はこれを感じにくい世の中になってしまいました。コンクリートの壁とアスファルトの道を歩いているだけでは季節を感じるのも一苦労です。個人があまりにも重要視され、人の中で生きることが出来ないからです。
先日ラーメンを食べに行きました。美味しいラーメン屋だと聞いていたお店です。中に入ると直ぐに券売機で券を買います。席に座るとなんと隣の席との間に壁(間仕切り)があります。カウンターの正面も閉じられていて、ボタンを押すと目の前の目隠しが開けられる。券を渡すとまた目の前が「シャッと」閉じられる。暫くすると前が「シャッと」開き、ラーメンが出され、また「シャッと」閉められる・・・食べ終わって店から出る。
ラーメンは美味しかった・・・しかし何という空虚感でしょう・・・
人に接することなく一言も発することなくラーメンをすする音だけが虚しく響く。こんな世の中に誰がした・・・とは大袈裟ですが一時が万事、段々と人間同士の関係が希薄になっていくのです。
そんなに人と接することが嫌なのでしょうか? そりゃあ人同士が顔をつきあわせれば嫌なこともあります。私だって腹が立つこともあるし、不快な思いもしたくないです。でも自分の間違いに気づくのはきっとそういう時です。知らず知らずに他人が教えてくれる。その様なことが人を成長させるのではないでしょうか。悩んだり、傷ついたり、嫌な思いをしたからこそ、人に優しくできることもある。そうでないと傲慢になるばかりです。お釈迦様は生きる苦しみ、老いる苦しみ、病になる苦しみ、死の苦しみを「生老病死」とし、私達を「四苦に迷える凡夫」と名付け、生きる苦しみを和らげるのは「他人を敬う心」と教えました。今更原始的に生きることは不可能でしょうが、人間の根本はどうだったのかを考えながら今の生活を見直しても良いのではないでしょうか・・・
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」日本には素晴らしい俳句や諺がたくさんありますが、その中に仏さまの教えが伝えられています。普段の生活に仏さまの教えが生きていたのです。
しかしそれは自然が身近にあったからこそで、自然の減少に比例して心の豊かさも減っていくような気がします。SDGsにかこつけてあらゆる分野でとんでもないことが起こっています。例えば再生可能エネルギーを代表する太陽光パネル。長野県では素晴らしい景色の山々が削られ、木がなぎ倒され、膨大な広さの土地に太陽光パネルが設置され、鹿児島の綺麗な島々も島一個まるごとパネルで覆われたりしています。本末転倒・・・利権がらみの自然大破壊ですよ。太陽光パネル自体に反対するのではありません。既存の屋根やビル、駐車場や高速道路(一般道だって良い)。自然を破壊しないで設置できるところは山ほどあるでしょう。皆様はどう思いますか?知らなかった人も多いのでは?報道されませんからね。私たちに知られたくないことや国に都合の悪いことは報道されないのです。ロシアや中国や北朝鮮を見ていて「国民は何も知らされていないのだなあ」と感じたことはないですか?日本も同じです。因みに「報道の自由度ランキング」は七十位 G7では最下位です。知らない事実がたくさんあって、都合良く誘導される情報が流される国なのです。こども達にこのままバトンを渡して良いのだろうか・・・たった一つでも大切なことを伝えて行きたいと思います。
【よりよく生きるために・・・】
「運がいいとか悪いとかは長い目で見て判断すべし」
私は令和二年に布教研修所という半年間の日蓮宗の研修機関に参加するつもりでした。願書も提出し、いざ面接!と言う時に「本年はコロナの影響で中止にします」と。さらに翌年の令和三年には百日間の大荒行堂に入る予定だったのも直前になって結局中止・・・当時は「ライフプランがどんどん崩れてく・・・最悪だ~」などと思ったものでした。月日は流れ昨年、念願叶って令和五年度の布教研修所に行くことが出来た訳ですが、そこでの出会いが素晴らしいものでした。指導して下さる先生方はじめ、半年間の間に出会った方々、何より半年間共に過ごした仲間達。結果的に見れば昨年で良かったと心から思ってます。もし今、不幸のどん底にいるのだとしたならば、それはもうすぐやってくる幸せの一歩手前・・・その幸せと私たちを結びつけてくださるのがお釈迦様の縁、「佛縁」です。その佛縁に感謝を表わし今日も南無妙法蓮華経のお題目をお唱えいたしましょう。 (拝)