日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |
合掌。まだまだ猛暑の候。日本の気候はまさに亜熱帯と言うに相応しくなりつつあります。暑さが厳しすぎますね。昔は部活動をやっていて真夏に外で練習している時も水を飲んではいけないと、指導されていました。今、そんなことしたら死んでしまいます。「適度にエアコンを使用し、熱中症を防ぎましょう」と、国が言うのですからただ事ではありません。エアコンを使わなければ、死ぬかもしれないほど暑い夏・・・困ったものです。そしてこの夏、テレビは言いました「電力が不足しています。節電にご協力下さい」と。
エアコンの温度設定を上げるとか無駄な電気を使わないとか、みなさんも色々と節約を試みたことでしょう。協力は大事なことです。でもどうですか?スーパーやデパート、コンビニ、電車の中・・・寒くないですか?この身体の私が・・・見た目にも暑苦しいこの私が出かけるときには一枚上着を持って出かけるのです。何故か?それは何処も彼処もエアコンが効き過ぎて、寒いからです。節電の必要があるのは家庭のエアコンより、こちらではないでしょうか・・・そもそもコンビニのアイス売り場は何故フタが無いのか?他の冷蔵物もそうですけど、コンビニ全体がデッカい冷蔵庫です。ホームセンターやスーパーへ行けば出入口は開け広げ状態です。もちろん上手いこと冷気が外へ出ないように工夫はされていると思いますが、それでもドアを閉めたほうが効率的なのは明かでしょう。会社勤めされている方々も寒さの中で仕事をなさって大変です。クールビズって何でしたっけ?・・・テレビなどでこのようなところを発信して国民の声を聞き、社会にうったえかけてほしいものです。しかしそうはなりません。原発を動かすため、国民に向けての事前アナウンスとみれば、「さもあらん」と言ったところでしょうか・・・大きな権力に言われてそうしているのかなあ・・・
熱中症にならないようにエアコンをつける。電力が不足する。現在の発電の70%を占めるのは火力発電なので温暖化が進む。それではダメだから再生可能エネルギーに頼ろうとするが全然足りない。究極のクリーンエネルギー「原発」の出番がやってくる。また電気をたくさん使いまくる。いつかきっと放射能漏れが起こる。その時、我々は誰のせいにするのだろう? 根本を見ることを忘れた生き物は同じ過ちを繰り返す・・・決して頭ごなしに原発を反対しているわけではありません。頼りすぎるのは怖いなあと思うだけです。皆が張りぼての正義を盲信して一つの方向に向かって盲進し、気がつけば後戻りの出来ない場所でもがき苦しむ構造です。
思い出しませんか?そもそも地球温暖化が世間を騒がせたのって三十年以上前ですよ。その間、私たちはこれまでに何をしてきたのでしょうか?クリーンエネルギーとされた原発に頼るだけであとは便利さを求め続け、温暖化を助長させただけではないでしょうか? そして思い出しませんか?紙袋がビニ-ル袋に替わった時のことを。森林破壊を止めるために正義として現われたプラスチックやビニ-ル袋は過去に一度世界を救ったのです。ですが今や悪の権化です。今度はプラを廃し、紙への移行が始まりました。もちろん悪いことではありません。しかし紙製品を作るのに果たしてどれだけのエネルギーが必要なのか考えたことはありますか?このことだけでは無く一時が万事、よく考えて足もとを見つめたいと思います。簡単なことです、全ての人がポイ捨てしなければ、自分たちの手で世界は救えます。「も~しん つくつく も~しん つくつく」 あっ・・・夏の終わりを知らせる声が聞えてきた。
さて日蓮聖人が今、この世にいたらどうしたでしょうね?辻説法で有名な日蓮聖人です。決して黙ってはいなかったでしょう。国会前に立ち、国会議員達に向かって説法をしたか、はたまた国連で世界に向けてお題目を発信したかも知れません。国を救うため、苦しむ人々を救うため街角(辻)に立ち「法華経」を弘めようとされた聖人。鎌倉時代、時の権力者北条氏に諌言の書を送ったことは前代未聞の出来事でした。『立正安国論』文応元年(1270)
「汝早く信仰の寸心を改めて、速かに実乗の一善に帰せよ。しかればすなわち三界は皆仏国なり。仏国それ衰えんや。十方は悉く宝土なり。宝土何ぞ壊れんや。国に衰微なく、土は破壊なくんば、身はこれ安全にして、心はこれ禅定ならん。この詞、この言、信ずべく崇むべし。」分かりやすく文章を変換すると次のようになります。「貴方は一刻も早く邪まな信仰を捨てて、ただちに唯一真実の教えである法華経に帰依しなさい。そうするならば、この世界はそのまま仏の国となります。仏の国は決して衰えることなく十方の世界はそのまま浄土となります。浄土は決して破壊されることはありません。国が衰えることなく、世界が破壊されなければ、身は安全で、心は平和でありましょう。この言葉は真実です。信じるべきであり、そして崇めなければなりません。」時の最高権力者にして鎌倉幕府第五代執権の北条時頼に放った言葉です。この頃は自然災害が頻発し、天地は乱れ、人心は荒廃していました。人々が、この世を捨てあの世に救いを求める信仰をしていれば、国を守る善神は去り、世は乱れ、国が滅ぶ。聖人は国家存亡の危機を感じていたのです。だからこそ人々が、自らの行いでこの世を浄土とする法華経の教えに寄り添ったのです。この『立正安国論』には二つの予言がなされていましたが、後に現実のものとなります。一つは日本国の内乱。もう一つは他国からの侵略です。自然災害や隣国の状況を鑑みれば今、この時こそお題目を唱えるべき時かも知れません
南無妙法蓮華経