日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |

ひとこと

寺報第66号より

合掌。目には青葉、山時鳥、初鰹 ・・・新緑が美しく初夏のさわやかな、一番気持ちの良い季節です。(と、思っていたら梅雨入りしてしまいました・・・)私は戻り鰹のほうが美味しいかなぁと思います。藁焼は本当に絶品です。アスパラ、そら豆、新じゃが、タマネギ・・・パクチはお願いご勘弁(苦笑)ビールに焼酎、日本酒、ワイン。ウィスキーがあったら最高です。それでも何故かカクテル飲めない私です・・・皆さまは旬の食べ物を楽しんでいますか? 物価の高騰で食べ物を楽しむというような状況ではないかも知れません。しかしやはり旬のものを、その季節に頂いて体の細胞が喜ぶのを感じたいものです。自然の恵みに感謝しながら美味しく頂くことで心も癒され、身体も養われます。以前に「私は本が好きで、ゆっくりと本を読む時間が至福の時」というお話しをしましたが、特に「池波正太郎」の本が大好きで、その中でも料理とお酒の描写はたまりません。季節感、心模様、料理が人を笑顔にさせ、お酒が五臓六腑に染み渡る・・・まるでそこに居るような情景が、空気感が自分を包みこむようなペン捌きは流石です。『次に軍鶏の臓物の鍋が出た。新鮮な臓物を、初夏のころから出回る新牛蒡のササガキといっしょに、出汁で煮ながら食べる。熱いのをふうふういいながら汗をぬぐいぬぐい食べるのは、夏の快味であった。「うう・・・こいつはどうも、たまらなく、もったいない」』どうですか?目の前に軍鶏と牛蒡の鍋が見えてきたでしょう。(知人に軍鶏を可愛いペットとして飼っている方がいるので、その人の前でこの話は出来ません・・・) 真夏の鍋、夏だけれど鍋には日本酒。鍋に合う夏酒を探してしっかり冷やして頂きたい。どなたかお付き合いくださいませ。池波さんは散歩のときに何か食べたくなるようですが、私も散歩のときに色々な発見があることを知りました。今までは散歩など全くしませんでしたがこの頃は健康に気遣ってスタスタと歩いたりします。普段は車や自転車で通る道も歩いてみると今まで知らなかった発見がたくさんあります。少し紹介しますね。先ずは最近ではすっかり見なくなった土筆です。昔は佃煮にして食べましたが今は中々見れません。それが群生してました。一面に土筆だらけです。誰も食べないのですね。次はローズマリー満開です。数十メートルにわたって咲いていました。とても綺麗です。国道の排水溝に野いちご。アスファルトを割って咲くすみれ。銀杏にへばりついて咲く鬼田平子。どれも必死に生きてるのです。生きると言うことは美しい。だが、残酷なシーンも多々あります。

生き物は基本、弱肉強食です。我々も毎日毎日数知れず、多種多様の命を頂きながら自分の命を繋いでいます。感謝しなくてはいけません。「いのちに合掌」です。たま~にですが、「生きるということ・・・いのちに合掌」というテーマでSNSあげさせて頂いてます。命について考える散歩。そんな大層なことでありませんが「ちいさんぽ」ならぬ「ほうゆう散歩」→「FOR YOU 散歩」と名付けて新たな発見をしたいと思います。梅雨に入り、そして暑い夏がやって来ます。散歩も熱中症に気をつけて歩かなければ命がけです・・・

さて、夏と言えばお盆・お施餓鬼の供養です。他人に施すことをせずに生涯を過ごし、地獄・餓鬼道におちた母を救う説話。突然、死を告げられた者が餓鬼に供養し、寿命を延ばすことができたことで供養の大切さ、他人に施すことの大切さを示す説話。これがお盆と施餓鬼の意味でしたね。私たちは自分(家族)のことだけを考えて過ごしがちですが、周囲も含めた幸せを求めて生きなければならないのです。そして誤った生き方で死後に苦しい思いをしている霊には施餓鬼供養をしてあげることが唯一の救いです。供養を致しましょう。昔からある、お寺での施餓鬼供養会や代々引き継がれるお盆の風習で他人に施すことの大切さを学びましょう。さすれば巡り巡ってその功徳が自分に回ってきます。世のため人のため・・・それこそが菩薩の歩みです。毎日が修行です。

さて、先号で日蓮聖人が文永十一年(1274)に身延へ遁世し、法華経を後世に弘める為、著述活動を持続したことをお知らせしましたが、その日々の生活の中で聖人は、両親への不孝を思い出し、毎日のように身延山頂に登り、はるかに安房小湊(今の千葉県鴨川市)に向かって両親を拝み続けたそうです(この場所は今、思親閣と名付けられています)。身延での生活の間、蒙古来襲による博多の惨状を聞いては心を痛め、師匠道善房の訃報に涙しながらも布教の精神を貫き通した聖人には色々な説話があります。七面天女が龍となって説法を聞きに来たこと、また真言宗善智法印が法論に負け、毒まんじゅうで聖人を殺そうとし、白犬が身代わりとなったことなど、歴史を辿ってみても面白いはずです。あしかけおよそ九年での身延の暮らしも冬はかなり辛かったそうです。そして、冷えに苛まれた聖人の身体を病魔がむしばみ、力を奪っていきました。段々と身体が弱まっていく中、常陸の温泉での療養を決意し、身延を離れ、今の東京池上の大工宗仲・宗長兄弟の家に到着されたときには、筆を持つ元気さえありませんでした。

寒さが近づいた十月のある日、弟子たちを集め、日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持という本弟子六人の六老僧を定め、仏像やお経本などの遺品分けをされました。肌身離さず持っていたお母さんの髪の毛は、いつも聖人のお世話をした日朗上人に託され、手取り足取り指導した経一丸(後の日像上人)には、京都への布教を託されたのでした。伝えるべきことを伝え、床の間に本尊を掲げ、弟子信者とともにお題目を唱えながら、弘安五年(1282)十月十三日午前八時、六十一歳の生涯を終えられました。この時、池上の山に季節外れの桜の花が咲き、日昭上人の打つ臨終を知らせる鐘の音が悲しく響いたといいます。現在の東京池上本門寺の本堂に安置された聖人像の払子は日朗上人に預けた母の髪で作られたものだそうです。


お知らせ

七月二十七日
新盆・施餓鬼供養会
お会式
今年のお会式 十月一日は開催の方向で考えています。どなたか知り合いにキッチンカーやってる方いませんか?
こども食堂
こども食堂始めようと思います。予定では七月二十四日に第一回目を開催予定です。小さく始めて、もし軌道に乗れば、いずれはそこで勉強も教えられればいいな~と思ってます。どなたかボランティアで子供に勉強を教えられる方いませんか?
インスタグラム
インスタグラムを始めました。
https://www.instagram.com/shinryuji1624/

南無妙法蓮華経