日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |

ひとこと

寺報第65号より

合掌。暦の上での令和四年 新年明けましておめでとうございます。そうです二月四日から新しい今年の「気」が始まったのです。だから昔から二月の三日を節分として豆まきして厄を払います。豆は元気よくまきましたか? 法華経の精神では鬼ですら、法華経を聞いて改心すれば守護の善神となりますから「鬼は外!」はナシです。以前は「福はうち~ 鬼もうち~」と言ってまきましたが今年は「南無妙法蓮華経~」にしました。この一言で全て網羅・・・福はうち、そして鬼も魔も厄神も悪も何もかもが善となります。世界が平和になるように、もっともっと「南無妙法蓮華経」です。

お寺の節分会では年間祈祷のお経があがります。祈祷と言えば皆さま、祈願札を申し込むときに祈願をかけますね。「家内安全」とか「身体健全」「社運隆盛」「商売繁盛」「交通安全」「進学成就」と色々です。年末に申し込まれる祈願札も十人十色で多種多様な願い事があります。ここで皆さまに大事なことを申し上げます。どんな祈願でも神頼みしただけでは意味がありません。もちろん霊験灼か、法華経は「如来秘密 神通之力」で、とても力がありますが、神仏の感応を得ることが大切で、ただの神頼みではこの感応は得られないのです。言ってみれば祈願は自分の「誓願」です。例えば「商売繁盛」の祈願だとします。これは自らの誓願です。「私は商売繁盛するように日々努力します。仏さま宜しくお見守り下さい」ということです。「身体健全」もそうです。身体健全を願っていて毎日、暴飲暴食を繰り返していれば身体が健全になるわけがないのです。家内安全を祈願して家族に暴力を振るう人・・・商売繁盛を祈願して商売にやる気のない人・・・お解りですね。祈願とは「私はこれに向かって頑張ります。努力しますから見守って下さい。」と宣言して、「力を貸して下さい」と願うものです。そして「南無妙法蓮華経」です。御札を普段から見える所に置いて毎日自分の誓願と向き合う。これが御札を持つ意味です。毎日仏壇や神棚でお参りの時に御札を見ます。そこには一年間、仏さまに祈願した自分の誓願が書かれています。それに向き合うことで日々の努力へと繋がり、目標に一歩ずつ近づくのです。「頼んだよ~」と言われて何もナシでは神仏も応えようがありません。コロナ禍があけたら是非とも祈願祭に参加して、お経の力を全身に浴びて頂きたい。お経は聞くだけでも功徳があり、毛穴からも功徳が入るほどだと言われています。ましてや自分が唱えるお題目はどれだけ有り難いか・・・です。

「南無妙法蓮華経」と唱えれば心が変わる。心が変われば習慣が変わる。習慣が変われば行動が変わる。行動が変われば縁が変わる。良い行動は良い縁を運び、運気が上がり、自ずと厄は退きます。また、厄を払いたければ人の役にたつ行動をすれば良いのです。これもまた良い運気をもたらします。常に自分で行動しましょう。

さて、今年は五黄土星年です。五黄の年は何が起こるか分かりません。過去にも戦争や大地震、自然災害や大きな事件事故はこの年回りに起こっています。今、緊張が続いているウクライナ情勢ですが、決して楽観視できません。平和の祭典オリンピックが行われている裏側でとんでもない危機が、天秤の上でゆらゆらとしているのです。勿論、外交努力で戦争にならないように交渉が続けられていますが五黄の年というのは「こんなはずじゃなかった・・・」という自滅スパイラルが起こってしまうから恐いのです。日本にいると遠い国の出来事のように思えてしまうかも知れませんが万が一、ロシアがウクライナに侵攻すればNATOは黙っているわけにはいきません。ウクライナはNATOに加盟していませんから直接的な戦闘にはならないでしょうが、もしアメリカが黙っていれば今度は中国が「あれ?侵攻しても良いんだ!」と言いながら台湾を攻めるでしょう。こうなればアメリカの立場がなくなり、北朝鮮もじっとしてはいない。極論、いずれ尖閣は取られ、沖縄も危うくなります。極論とは言え、決して遠い国の話ではありません。今のウクライナ危機は、こんな局面も後ろに控えている大問題なのではないでしょうか。戦争は避けなければなりません。世界の要人に任せるしかないのですが、せめて祈りたいものです。世界の平和は人類恒久の願いです。全世界の人々が祈らなければ実現できません。人任せではダメですね。日蓮聖人の生きた時代も自然災害が頻発して飢饉により人々が道端に野垂れ死にする様相を目の当たりにしていた時代です。更に聖人は『法華経』が広まらなければ、「外国が攻めてくる・・・内乱が起こる・・・」と『立正安国論』で予言されています。果たして蒙古(モンゴル)が攻めてきて、後には内乱も起こり、次第次第に国内は戦国時代に突入していったのです。

昨今、自然災害が頻発し、世界情勢が危機的な状態です。私たちができることは自らお題目「南無妙法蓮華経」を唱え、誰もが持っている仏心を蘇生させることです。私たち一人一人が仏さまに近づけば戦争なんか起こりっこないのです。多くの人が仏さまに頂いた仏の種を忘れている・・・もしくはその種を腐らせてしまっているのです。お題目を唱えれば種は蘇生され、芽を出す可能性がでてきます。仏になるとはこういうことです。誰でもない、私自身が仏さまになり得るのです。お題目を唱えましょう。「南無妙法蓮華経」

ここからは日蓮聖人のご生涯 前回(前々回)の続きです。

激動の時代、法華経に生命を捧げた日蓮聖人。命にも及ぶ四度の法難を受け、後に佐渡流罪を赦免され、鎌倉に戻りますが幕府は聖人の言葉に耳を傾けません。「三度諫めて聞かずば山にくだる・・・」との故事にならい聖人は身延の山へと隠遁します。文永十一年(1274)のことです。五月十七日、当時既に日蓮門下になっていた南部実長(波木井実長)が地頭として治める甲斐国身延(山梨県身延町)に入りました。そして佐渡流罪中に完成された法華経観を弟子や信徒に伝え、『法華経』を後世に弘める為、著述活動を持続したのです。身延山には今でも聖人が住んでいた草庵跡(建物はありません)が残されており、苔むした石畳が七百数十年の時を感じさせます。皆さまも是非ご参拝下さい。日蓮聖人御廟所跡の左手にあります。聖人はその場所の様子を次のように手紙に残されています。

「今又此山に五箇年あり。北は身延山と申て天にはしだて南は鷹取と申て鶏足山の如し。西はなないたがれ(七面山)と申て鉄門に似たり。東は天子が嶽と申て富士の御山に対したり。四の山は屏風の如し。北に大河あり早河と名く。早き事箭をいるが如し。南に河あり。波木井河と名く。大石を木葉の如く流す。東には富士河、北より南へ流たり。~中略~ 此内に狭小の地あり。日蓮が庵室なり。深山なれば昼も日を見奉らず。夜も月を詠る事なし。~中略~ 訪人なければ命もつぎがたし。はだへをかくす衣も候はざりつるに、かゝる衣を送らせ給こそ、いかにとも申ばかりなく候へ」

着るものを送ってくれた信徒への手紙です。身延山は聖人が実際に暮らした場所です。山を歩けば今でもその足取りを感じられるところもあります。三月の末には枝垂れ桜が山中に咲き誇ります。参拝されてみては如何でしょう。元気のある方は階段数二八七段の菩提梯を登ったり、奥の院、七面山もあります。マンボウが解除されて皆さまが気持ちよく参拝できることを切に願います。


お知らせ

三月十八日~二十四日
春季彼岸会(十九日に彼岸法要)
四月八日
釈尊降誕会 今年も行事はナシ(来年こそ復活)

南無妙法蓮華経