日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |

ひとこと

寺報第58号より

向寒の候。もう年末です・・・今年は何もしないまま一年が過ぎてゆきました。ずうっと草むしりをしていたように思えます。むしってもむしっても限りなく雑草は出ます。季節によって違う雑草が出てくることを今更ながら知りました。一筋縄ではいきません。特に、こうぶしとタンポポは厄介です。(またタンポポの話 )根が深い上に根を残すと復活して出てきます。スズメノカタビラも隙をついてはびこります。スズメノカタビラの花言葉を知っていますか?「私を踏まないで」です。思わず踏んでやろうかと思いますがこの草は根が浅いので引っこ抜きます。問題は根が深い雑草です。どうしたものかと考えた結果、取り敢えず一つの方法を試してみることにしました。そこで、実際に試してみたのですが・・・

「お上人! タップダンスでも習い始めたのですか?」と言われてしまいました。「いえいえ 違いますよ 雑草退治です・・・」

何のことか分らないと思いますので解説しますね。実は根が深い雑草、特にタンポポなどはむしっても根が残ってしまい、次から次へと生えてくるので根を弱らせるためにとにかく葉を見たらつぶせ!の勢いで養分を根に送らせない作戦に出たわけです。むしらなくても葉を直ぐに取る作戦です。葉を取ってしまえばそのうちに根に養分が行かなくなり枯れるだろうと思ったのです。ですから歩きながらそやつの葉を踏みつぶして葉を取っていたのです。しかし当初は想像以上に奴がたくさんいたので次から次へと踏みつぶしていたらこれがタップダンスをしているように見えたというわけです。時には憎しみを込めてツイストになったりもします。

古すぎますかね・・・ 決して「私を踏まないで」と言っているあの人を思い浮かべながらタップダンスとツイストを踏んでいるわけではございません。その前にあの人は「私を踏まないで」とは言いません「やれるもんなら やってみな~ 踏み返してやるわ」と返り討ちにあうのが関の山です・・・(夫婦ネタもそろそろ限界です )

ところで雑草も毛嫌いするばかりではダメなようです。中には漢方になるようなものもあり食材にもなります。ドクダミなどは最たるものですが、こうぶしのあの憎たらしい根はなんと消化、発汗、解鬱、浄血、通経、鎮痛などに効果があるようです。無駄なものはないのです。

食材としてはやはりヨモギを筆頭に春の七草でしょうかね。大根と蕪は雑草ではありませんが、なずなは雑草として見られることが多いでしょう。ペンペン草などと言われてます。ハート型のチャラチャラが三味線のバチに似ているからぺんぺんなのだとか・・・子供の頃はあれで良く遊びました。七草は、せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろで、今はスーパーでパック売りされていますが、ごぎょう・はこべらは、なんとなく怪しいものが入っているときがありますね。まあ毒さえ無ければ良いですが・・・ほとけのざはキク科とシソ科があり、食べる方はキク科の黄色い花の方、庭の隅で雑草としてよく見る紫の方は食べるのにはむきません。でも花の蜜はイケるみたいなので嘗めてみて下さい。七草の話をしていたらなんとなくおかゆを食べたくなってきました。あの匂いがたまらなく好きです。せりなどは根っこの部分が一番美味しいと思うので私は根っこばかりを食べています。大地の恵みです。雑草退治などと言ってはいけません。タンポポも食べられるかも知れませんし、仏教の教えでは基本、「退治」は致しません。「妙法蓮華経」の前では全てのものが開会(かいえ)されます。言葉が難しいですが今回はこのまま進みます。(お寺に来ているウチにいずれ分ってきます )お祓いという言葉もあまり使いません。そのように言ったほうが分りやすいときに使うこともありますが意味的には払うイメージはありません。以前にもお話ししましたが、その土地に住む邪鬼や霊を払うのではなく住まわせてもらうために供養を捧げるのです。供養されたものたちは納得してその土地に落ち着きます。逆に「あっちへ行け」などとお祓いされれば怒って災いを示すことでしょう。長年その土地に居たのに後からやって来た人間に急に出て行けと言われても納得するわけがありませんね。きちんとした形で地鎮祭を行い供養されれば、鬼だろうが悪魔だろうが悪霊だろうが悪鬼・邪気だろうがお題目の光明に照らされて成仏の道が開かれます。そして守護の一分となってその土地を守ろうとさえしてくれるはずです。そのくらいお題目の力は凄いのです。みなさんも良く知っている話があります。人の子供の肉を食らう鬼、鬼子母神様の話です。ご存じですよね?あの鬼神でさえお釈迦様の教えに帰依し、法華経の守護神となったのです。如何に況んや何者であれ・・・「妙法蓮華経=お題目」の前では善となり得るのです。

さてさて、それではお題目を唱えれば幸せになれるのか? 簡単にそうとは限りません。罪障が吹き出すことも多々あります。胸に手をあてれば分ります(たまに分らない人もいますね )私たち次第です。ですが必ず導きがありプラスの方向へ向かう作用があります。日蓮聖人はこのことを「転重軽受の法門」と言っています。法華経を手にしたときに過去世や今までの罪障が出て、今生にて苦を受けることになると言うのです。イヤですね・・・誰しも苦労を背負うのはイヤだと思います。ですがこれが罪障消滅の一歩であり、地獄へ向かわずに済むと言うことなのです。目に見えない者が動き出すのは恐いことですが、良い方向へと向かい、何かが変わってくるはずです。私はお題目の力を信じます。不思議力です。如来秘密 神通之力 南無妙法蓮華経

先号で聖人が二十一歳の時に比叡山へ勉学の旅にでるところまでお話ししましたが、比叡山では横川の定光院というお堂に籠もり勉学修行に励まれたそうです。以前、団参でも行きましたし私も何度も訪れましたが今でも日蓮宗の寺院として残されています。他にも薬師寺・高野山・仁和寺などで仏教の教えを十数年の間、徹底的に学びました。 その結果、来世ではなく現世での在り方を問い、「今をいきいきと生きること」を説いた「法華経」こそ、人々を救うお釈迦さまの真の教えであると確信を得たのです。建長五年(1253年)四月二十八日 清澄寺に戻った聖人は旭ヶ森で、東の海から登る朝日に向かい初めて「妙法蓮華経=法華経」こそ真実の教えであると高らかに宣言し、お題目「南無妙法蓮華経」と唱えたのです。時に聖人三十二歳、自らを新たに「日蓮」と名乗り、闇を破す日の如く明らかで、泥中に咲く蓮華の如く清らかでありたいと願い、更に法華経の行者として生き抜く不惜身命の決意、三つの誓願を立てられました。「我れ日本の柱とならん 我れ日本の眼目とならん 我れ日本と大船とならん」これが日蓮宗のはじまり、立教開宗の日です。この続きはまた今度・・・


お知らせ

12月19日 (土) 自由参拝
11時 大黒祭 守護神幣束取り替え繁栄祈願
14時 星祭り 令和3年度年間祈祷会 各種お札開眼
令和3年1月元旦 初参り 自由参拝
0時00分 元旦祝祷会 0時丁度に本堂にてご本尊様へ年明けのご挨拶 その後、本堂内にて皆さまにご挨拶して終了。地下ホールにての茶話会は、なしですがお年玉くじは実施します。皆さまに福を届けたいと思います。
正月三が日は通常参拝です。お参り下さい。

南無妙法蓮華経