日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |
合掌。晩夏の候。涼風やツクツクボウシが鳴いて夏、終わりかな・・・
カナカナと鳴くヒグラシ、その日暮らし・・・😃 度々のお出まし恐縮です😅
日毎猛暑が続きますが皆さま夏バテなどしていませんか? まだまだ涼風とはいきませんが、ツクツクボウシの鳴き声が聞こえてきたら秋はもうすぐそこです。もう蝉にオシッコをかけられることもありません。ところでツクツクボウシの鳴き声はどんな風に聞こえてますか? インターネットで調べてみると「ジー ツクツクボウシ ツクツクボウシ ウイヨース ウイヨース ジー」だそうですが、私にはそうは聞こえません。ちなみに私は「ジー・・・オーシン ツクツク オーシン ツクツク オーシン ツクツク 中略 オギョイーヨーギイ オギョイーヨーギイ オギョイーヨーギイ ジー」と、聞こえます。ヒグラシは「カナカナ」と鳴くそうですが、これも私は「カナカナ」とは聞こえません。カタカナにするのは中々難しいのでやめときます。ハトはどうですか? きりがありませんね。絶対とは言い切れませんがおそらく皆がそう聞こえているであろうニワトリの「コケコッコー」これでさえアメリカ人には「クックドゥードゥルドゥ」と聞こえるらしいのです。以前私は「クックドゥードゥルドゥ」とはどうやっても聞こえないだろうと言っていましたが、今は反省しております。同じ日本人でさえ違うように聞こえるのだから人種が違えばそりゃ違って聞こえても当たりまえです。と、なれば男と女はどうでしょう? 男と女ほどに生物学的に違う生き物なら聞こえる音も違えば見えるものも違うし感じるものも全然違うはずです。話が違ってきそうですが続けます・・・「あ~言った」「こ~言った」や「聞いてない」「おぼえがない」・・・よくありますよね? 勘違いや行き違いやすれ違いもよくあります。「あたしはこんなふうに思うの」「あんたは何も感じないの?」とか「夫婦の会話をしなさいっ!👹」・・・「まったく男ってしょうがないんだから・・・😤」と、なります。そこのご主人は大丈夫ですか?困ったものです・・・でもしょうがない・・・違う生き物なのだから。いっそのこと交換日記でもしようかしら・・・文字には統一感があります。但し今度はその文字も見方によって、そして人によって違うとらえ方をされてしまうことがあります。同じ文章を読んでも違うとらえ方をする場合が多々ありますね。顔を見ながら話をするのとは違ってきます。今の時代、インターネットが普及し、メールなどの活用で、とても便利ではありますが人と人とが顔を合わせずに居ることが多くなりました。意思の疎通が不足してきているわけです。文章では温かみが伝わりにくい、ましてやメールや印刷物でその温かみを伝えるのは至難の業です。だから多くの人がメールを打つときに絵文字を使うのですね。少しでも気持ち的なものを伝えたり、自分の顔の表情や、手振りを添えて補助的な役割を絵文字に託しているのです。若い世代は絵文字のないメールに冷たさを感じるそうです。手書きはまだなんとなく有機的なものが含まれている感覚が残りますが、活字に無機質さを感じる人は少なくないでしょう。昔から「会えば伝わる」「話せばわかり合える」などと言いますが、その通りかも知れません。勿論、自分勝手な考えのごり押しではそうはいきませんが、人と人とが目を合わせて同じ空気感の中で話せば、相手への思いは大概、通じるのではないでしょうか。(毎日一緒に居ても分らないことだらけの場合もありますが🤪)
ここは内緒でお願いします。できれば あぶり出しにしておきたい・・・🤫
お釈迦様も悩んだと思います。自分の伝えたいことが本当にうまく万民に伝わるのかと・・・「あーでもない・・・こーでもない」「あんなことがありました・・・こんなこともありました」と色々な喩え話しで導くのです。経典で、もし絵文字を使っていたらどうなってましたかね? 先号は「良医治子」の話しを紹介しましたが今回は「髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ)」という喩え話を紹介します。 転輪聖王という王と、その兵士の話しです。
王様は戦に勝って領土が広がるたびに兵士に対してその手柄に従って城や田畑、衣服、金銀財宝などを次々に与えていきました。兵士達も褒美がもらえる喜びで、どんどん手柄をあげていきます。しかし最後の最後まで誰にも与えなかったものがあります。それは王様の髻(まげ、もとどり)の中に隠してある宝珠です。この宝珠は最高の宝で、これをみだりに与えれば逆に皆が驚き怪しんで疑念を抱かせることになるからです。お釈迦様は「妙法蓮華経=(法華経)」を説くときに「この教えが転輪聖王の宝珠と同じなのだ」と言ったわけです。もう分かりましたね。王様=お釈迦様。兵士=真実を知らない弟子。褒美の財宝=法華経以前の教え。宝珠=法華経(南無妙法蓮華経)ということです。「妙法蓮華経」はずうっと隠されていた本物の宝珠だったわけです。どんな財宝よりも価値のある宝珠をお釈迦様は私たちに譲り与えて下さったのです。逆を返せば、転輪聖王が宝珠をむやみに与えなかったと同じようにお釈迦様も「妙法蓮華経」を説くことを最後まで慎重に控えていたということです。勘違いされてはいけない肝心なことを言う前には前準備が必要なのです。(詳細を知りたい方はそのうち法話でお話しします)
施餓鬼会の折に「新型コロナウィルス犠牲者」の追悼供養塔婆をあげて下さった方々に御礼申し上げます。頂いた塔婆供養料につきましては今回、日本赤十字社に寄付を致しました。
お会式について
先号でお知らせの通り本年のお会式で第二部(夜の部)万灯練り供養、出店、カラオケその他は中止と致します。場合によっては信隆寺信和会のみで纏奉納をするかも知れませんが予定としては第一部(昼の部)のみの開催と致します。十四時から法要。その後、法話の流れです。法要は施餓鬼会同様に自由参拝の形で行い、本堂内はおよそ三十人程度とし、外はフリーにします。お焼香は皆さまにして頂けるよう準備を致します。
こうなると、十二月の星祭り・大黒祭&餅つき大会、元旦祝祷会も怪しくなってきます・・・熟慮いたします。
このところ続けてペットについて話しをしてますが、ペットロスなのでお許し下さい。皆さまはペットの移動火葬車をご存じですか? 私の知り合いがそれをやっていて自宅まで火葬をしにきてくれるのです。自宅前での火葬が嫌な方はお寺に来て頂ければ、こちらで出来ます。ご依頼頂ければお経もあげます。お骨は当山愛玩動物供養塔でも預かれますし、もちろん自宅に持ち帰ることも可能です。ご相談下さい。因みに人間はNGです。こういう話をすると「ウチのうるさい婆さんも燃してくれるかぁ?」とか「うちの旦那も庭で燃しちゃってよ」とか言う人が必ずいるので・・・ 人間はNGです。小型動物のみです。
裏の駐車場ですが、土埃が凄いので防止策として芝生を植えております。まだ根付かないので出来れば芝生の薄いところはなるべく避けて通って頂き、更にはハンドルをきるときはグリグリやらないで下さい。動きながらゆっくりとハンドルを回しましょう。車の重さに加え、タイヤをグリグリやられてしまうと芝生はひとたまりもありません。優しくお願いします。土日の午前中以外はしばらくの間、一号線側の駐車場を使って頂けると有難いです。
南無妙法蓮華経