日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |
合掌。梅雨が長かったので夏があっという間に過ぎた感もありますが、やはり今年も暑かったですね。暑いさなかのお参りご苦労様でした。お施餓鬼の法要も沢山の人がお参りに来られ皆様のご先祖様を思う気持ちが伝わります。殊に新盆の供養は故人にとっては初めてのお盆を迎える際の施餓鬼供養ですからとても大切で特に気持ちも入ります。法話によって、お盆やお施餓鬼供養の意味が分って頂けたと思います。今後のお参りの仕方や手を合わせるときの心の持ちようがだいぶん変わってくるのではないでしょうか。他者の為に手を合わせるとき・・・祈りを捧げるとき・・・皆様のその姿は仏さまに見えることでしょう。ありがたい・・・
人類の始め 猿~猿人アウストラロピテクスと進化し個々の種属が命を繋げていきました。その中でも我々の祖先はホモ・サピエンスだと言われています。後の原人 ホモ・エレクトでジャワ原人や北京原人(ゼンジー北京は違います)などです。彼らは過酷な氷河期を乗り越えるのですが、実は別にもう一つの人属(ひとぞく)がいたそうです。それがネアンデルタール人です。そして、こちらは絶滅してしまいます。その理由はネアンデルタール人が、地球の激しい気候変動に対応できず、食料を確保できなかったためとされています。では逆に何故、ホモ・サピエンスは環境にうまく適応できたのでしょうか?最近の研究ではその理由が分かりかけてきたようです。ネアンデルタール人は、優秀な種属でした。狩猟能力や戦闘能力、知識も体力もサピエンスを超越していたと考えられるそうです。但し、一つだけサピエンスの方が優れていた点があったのです。それは集団で暮らす力です。ネアンデルタール人が十人くらいの小集団で暮らしていたのに対し、サピエンスは、100人~400人の大集団で暮らしていたと言われています。果たしてこの差が絶滅とそれを逃れ、命を繋くことができた種属とに分かれたのです。
では何故、大人数が良かったのか? この生き残りの差、理由は大きく分けて二つあるそうです。一つは宗教です。宗教の心が共同体を維持する力を持っていたのです。サピエンスは、原始的な宗教心を持ち、それがネアンデルタール人との運命を分けました。信仰があると、助け合って暮らそうとし、共同体ができます。そして助け合いの精神が食料の確保に繋がり結果、環境の変動にも対応して命を繋いだことになります。宗教というのは、心をひとつにするのに重要な役割を果たします。一方、個を重んじ助け合うことなく、弱者は去り、強者だけが生き残るシステムを選んだ種属は滅んだのです。強者も環境の大変動の前には無力だったと言うわけです。もう一つの理由は道具です。ネアンデルタール人は、長い間、道具を進化させることなく、その場その場で力づくに動物を倒し獲物を得ていました。それで少人数を食べさせていけたからです。一方、サピエンスは大勢を食べさせなければなりませんから効率的に獲物を仕留めるための方法を次々と開発していきます。道具の進化です。これで食糧を確保し大集団を維持することができ、この差がやがて来る氷河期を乗り越える力となったのです。自分だけではなく、他のために力を尽し、助け合って生きてゆく。人は原始の時からこうして命を繋いできたのです。宗教を捨て、集団よりも個を重視する現代・・・滅びへと足を進めている気が致します。
日本に於いては縄文の始まりがおよそ一万六千五百年前だと言われていますので、原始の世界はニ万年以上前のことです。地球の最終氷期が終わったのが今から一万年前だとされていますので縄文の人は氷期を乗り越えたのですね。原始宗教がどのようなものだったかは分りませんがその後に、今の日本人に受け継がれたDNAを思えば、自然崇拝に始まり、ありとあらゆるものに感謝をする多神教的要素があったことでしょう。大和政権を経て聖徳太子の頃になると仏教が伝わり日本人の宗教観と見事に融合したのです。仏教文化は発展し、仏法が大切にされ、十七条の憲法で和が重要視されました。人々が深く三宝を敬い、飛鳥・奈良・平安と煌びやかな時代が過ぎました。平安で裕福な時が続くと人は感謝の心を忘れます。和を尊び助け合う心を忘れ、個が出てきます。
そして鎌倉時代・・・日蓮聖人が生きた時代は天変地異が続発し、大地震や日照りによる大飢饉で人々が大勢、野垂れ死にをしました。聖人は書籍・仏典を学びに学んでその原因を国や人が正しい教えに背いているからだと結論づけました。この国を守護する神仏が去ってしまい七難に襲われているのだと・・・
聖人は他国侵逼(たこくしんぴつ・他国に攻め込まれる)・自界叛逆(じかいほんぎゃく・自国内での反乱)が起きると『立正安国論』の中で予言されました。これは蒙古の襲来と、幕府の内乱という形で実現してしまいます。然して国内は室町から下克上、戦乱の世に入っていくのです。そして長い戦乱の時が過ぎ、徳川の時代に入ると一時の平和が訪れます。見方によっては色々な意見があるでしょうが、私は三百年近くの平和を維持させた徳川の功績は凄いのだと思っています。仏法を大切にし、八百万の神々を崇め、お家という共同体で平和に暮らしていました。ところが豊かで平和な時が長く続くとまた人は感謝や敬いの心を忘れます。形は違いますが黒船の来航という他国侵逼があり、国内には内乱が起きます。明治維新という言葉は何か格好良いイメージがあるようですが私はそうは思いません。逆に戦乱の門を再び開けてしまった様な気がします。やがて廃仏毀釈により仏法は捨てられ、この国からまたもや神仏が去って行きました。結果、この国は他の国に侵略されました。皆様の家には守護神がちゃんと居てくださいますか? 仏壇に御曼荼羅を掲げ、法華経「南無妙法蓮華経」を身と口と心に唱え、深く三宝を敬って下さい。人の祈りや、思いは目に見えませんが、何かを動かす力があると私は信じます。毎日、日本中のお寺で御宝前にお経があがり、世界の平和と日本国の安泰と人々の幸せが祈られています。これって凄いことだと思います。この世からみな(全体)の幸せを願う祈りが消えたら・・・と思うと恐ろしくなります。和を以て尊し 深く三宝を敬う 我が国最初の憲法を今一度心に刻み、個ではなく手に手をとって生きていくことを大切にしましょう。
それまで教えや導きなどの宗教が無かった日本に仏教が伝えられ、元々の自然崇拝と見事に融合し日本人独特の宗教ができあがり定着しました。
今、世界に賞賛されている日本の心はこのような所に基本があるのではないでしょうか。
南無妙法蓮華経