日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |
初冬の候。 今の季節が一番好きです。実りの秋・・・食べ物は美味しく、お酒も美味しい(笑) 人恋しい季節と言われるのも何だか好きです。本当なら落ち葉焚きをして焼き芋でも焼きたいところです・・・今は焚火も出来ませんからね・・・「あ~焚火したい!」 誰か私の心を暖めて下さい。なんてね♡
さて・・・見かけましたよ、またもや年配の道徳知らず。シリーズ化出来そうです。駅前の道で車の中から見た光景です。見たところ七十前後のオジサマ。歩きながら美味しそうに缶ジュースを飲んでいたのですが、飲んだ後に空き缶を道端の自転車のカゴにポイット捨てました・・・「え~~~」道端アンジェリカもびっくりですよ。今時なら「びっくりぽん」ですよ。自分の自転車のカゴにゴミが捨てられたらどうするのでしょうかね?何とも思わないのだろうか? 今度、ついて行って庭にゴミを捨ててあげましょうか・・・などと考えてしまいます。(やりませんが・・・)相手がどんな思いをするのか考えたことがないのでしょうね。あの方は若い者や子供にものを教えられるのでしょうか?イヤイヤやめて頂きたい・・・あなたがもう一度子供からやり直して下さい・・・とお願いしたいものです。すごく小さいことですが、人は一人で生きているのではないから大事なことです。互いのことを思いやり、協力しあって生きていくのです。万物全ての存在が必要の物であり、全てが繋がっている・・・まして人と人は互いに支え合ってやっと生きていられるのです。不必要な人間など存在しないのです。お釈迦様に聞いてみましょう。
妙法蓮華経方便品第二
法華経の中での第一声 静かに瞑想から出られて、弟子の中でも智慧第一といわれる舎利弗にむかって仏の智恵というものは甚だ深く無量にあると語り始めます。悟りを開いて以来四十余年の間、説いた教えは、人々を悟りの道へ導くための方便で、本当の仏の智慧というものはもっと計り知れなく、理解しがたいものであると説きます。そしてこの世のすべての物が繋がっているとし、十如是を語るのです。
「いわゆる諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果 ・如是報・如是本末究竟等なり。」
この十如是、焚火を例にとって説明すると、
「相」とは、そのものの姿、薪、木の枝、割った木。
「性」とは、性質、内に秘めているもの。火をつけると、灯るが自身は灰になるなど。
「体」とは、「相」と「性」をあわせもった本質。薪は人が火をつけ利用する。
「力」とは、潜在的な能力。力のある火、多種の火を灯すことが出来る。
「作」とは、作用 働き。「力」が発揮されたとき、他にも及ぼすもの。まわりを明るく暖かにする。熱する。
「因」とは、ものが生起し変化する直接的原因。薪にマッチで火をつけるなど。
「縁」とは、助縁、すなわち原因を助ける間接的原因。火を灯すには人の手も必要だし、燃えるには酸素が必要。
「果」とは、「因」と「縁」によって生じた結果。明るくなり、暖かくなるが灰になる。
「報」とは、その結果が具体的に現れること。まわりが明るくなることによって、見えなかったものが見えたり、冷たかったものを暖かにする。(心も)
「本末究竟等」とは、第一の「相」から第九の「報」までが一貫して等しく存在するということ。物の存在が全て繋がりあっているということ。
この「十如是」は、物だけでなく、私たち人間にも具わり、それぞれの存在を支えあっているのです。私という姿、外見(相)があり、性格(性)があり、その2つをあわせもったのが私であり(体)、色々なことが出来る可能性をもつ(力)、他人を喜ばせ、感動させ、怒らせ、傷つけ(作)・・・他を感動させたりできる要因(努力や実践)逆もしかり(因)、その要因を助成してくれるもの(家族、先生、友人、水、食物、服など)(縁)、それによって他に与える影響や自身への結果(果)、動によって生じた変化や周囲との関わり、得られたものなど(報) これらが総じて全て関わり合い繋がっていること、この世のすべてのものが具わっている十の種類の存在の仕方、方法(本末究竟等)このように、すべての事物の生起、存在はこの「十如是」の法則に従っているということです。これが一切の万物の真実ありのままの姿であり、仏さまはこれを悟られたのです。これを悟ることによって、宇宙の森羅万象すべての事柄・事象・現象・作用・動き・営みがわかるようになられたのです。これが方便品の中のテーマである「諸法実相」というものです。
ありとあらゆる物がこの「十如是」を備えているが故に、これらのつながりをすべて悟られている仏さまの目からこの世界を見ますと、すべてのものは平等に存在する、差別 がないのだ、という絶対平等の世界、いわゆる仏さまの世界がそこに存在するのです。そして結びに「みずからまさに作仏すべしと知れ。」(自分自身が仏となれることを知りなさい。)と説きます。
震災の折に「絆」という言葉が心に響きましたが、もう一度思い出しましょう。私たちは絆でも繋がっています。
南無妙法蓮華経