日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |

ひとこと

寺報第25号より

啓蟄の候にはちと早い・・・ ですね。毎年、啓蟄の話をしているような気がします。今年の啓蟄は満月ですね。虫たちもねむい眼をこすりながら月を見に這い出してくることでしょう。私たちも同じですね。そろそろ炬燵から這い出して背筋が伸びる頃合いです。マフラーをはずして、一歩踏み出せば梅が既にほころんでいます。畑には菜の花が色をつけ、周りが春の色に変わりつつあります。

ですが、のんびりとした風景だった茅ケ崎も木々や草花、畑や田んぼがどんどん無くなってゆきます。さみしくて、さみしくて たまりません。時代と共に進むこと、発展、または事情によって仕方のないことなど、理解していても、どこかで田舎のままであってほしいと願うのです。夏に草を燃す匂い。秋に落ち葉を焚く匂い。私は大好きでした。子供のころに庭を掃いて集めた銀杏の葉っぱ・・・中々燃えなくて真っ白な煙がもうもうと立ち上りました・・・あの風景と匂いはもう嗅げません。畑道を歩くと漂う土の匂いや、田んぼが発する独特の匂いも無くなってしまうのですね。やっぱりさみしい・・・

アスファルトやコンクリで整備された場所は確かに清潔で綺麗ですが、無機質な感じで生命を感じません。お墓もそうですが、最近はお墓がとても綺麗です。綺麗すぎるかもしれません。綺麗なことが悪いのではありません。ただなんとなく・・・ 綺麗すぎるお墓には気を感じません。人の気配も遠ざかります。これは飽きられるほどお話していますが、草が生えて、お参りがてら草むしりをする。この時間、ご先祖様はとてもうれしい時間です。 でも・・・ 「いや~ 草むしりが凄く大変だからよ~ お墓参りなんかめったに行かれないから・・・」 こう言った理由でお墓をコンクリや石で埋め尽くすと、その家はお墓参りから遠ざかります。花瓶には造花が添えられます。大事な人のお墓には月に一回くらいは行きましょ。祥月命日に。その時、少しだけでも草をむしればそのうち草の勢いは衰えます。年に一回や二回では草に勝てませんし、ご先祖様もさみしがります。月に一回、お参りすれば枯れっぱなしの花もなくなります。

その昔、一家の主や社長が大きな決断をするときや、個々が大事なことを決めるときには、仏壇やお墓の前で先祖と向き合い、決断をしたと言います。仏壇やお墓とは日本人にとってそれほど大事であり神聖な場所だったのです。今やお墓はあなたにとって、めんどくさい場所になっていませんか? 汗をかきかき一所懸命に草むしりをしている人は見ていて美しいです。花一輪添える姿は温かみに満ちています。立場を自分に置き換えて考えてみると物事が色々見えてきますが、自分が死んだ後に家族や孫やひ孫がそうしてくれたら・・・そんな家族に恵まれたらうれしいですね。逆もしかり・・・来てくれない・・・草ボウボウ・・・花は枯れっぱなし・・・来るのがめんどくさいから一年中変化のない、枯れない綺麗な造花をさしておく・・・ 自分が死んだらそれでも良い・・・ それは嫌・・・ さみしくないですか? 生きている間も同じです。家族が年寄りの面倒を見られない現代社会です・・・今の社会では確かに難しい。状況が許してくれない場合が多い。でも、会いに行ってあげて下さい。一つ屋根の下に住んでいれば毎日見られるはずのその姿を、その笑顔を、五分で良いから見せて欲しい。たった五分でも・・・

自分だったら、そのように感じてしまうような気がします。大変だから来なくていいよ・・・と言いながら。

今、この国は孤独死が増加しています。「私はそうはならない」と思っている方・・・ 自分の為でなく、誰かのために何かしていますか? 誰かに手を差し伸べていますか? 因果応報。私たちが皆、自分のことしか考えていなければ誰もが孤独です。人は孤独になると魂の行き場が無くなります。生きていても、死んでいても・・・

もうすぐお彼岸です。お彼岸は菩薩の行をする一週間です。今一度古き良き習慣を見直しましょう。温故知新。 世界の中でも稀な国民性をもつ日本人。 良い人日本人も変わりつつあります。 

「欧米では・・」 「グローバルに・・・」 も良いですけど脈々と受け継いできたものをあっさりと捨てるのは思いとどまりませんか? 誰かに操られて捨ててしまった日本人の優しい心を思い出しましょう。日本人が大きく変化する二つの出来事がありました。一つは今の社会の基盤を作り上げた敗戦。もう一つはその昔、維新と呼ばれた革命です。良かったのか悪かったのか、善悪のとらえ方は見方によって違うかもしれません。ただ、受け継がれた大事なものまで置き去りにされたような気がします。

いつの時代かに断行された廃仏毀釈によって神仏が分離され、人々の心から優しい仏様が抜け去ってしまった悲しい出来事。以前に記しましたが、仏教がこの国に伝来して日本人の風土と心に見事に融合し、文化人、知識人として素晴らしい国民性を育みました。それが壊されました。富国強兵の時代に進んでいきました。時々見かける首のない石造はほとんどがその時に壊されたものと言われています。その石造を作った人たちの心も考えずに・・・ 悪鬼到来です。仏様の教えに導かれ、あらゆる物に神が宿るとし、感謝の心を持てる日本人。一人一人の心の奥に誰もが仏様を持っています。自で、その仏様に気づくこと、他の、その仏様を敬うこと。これこそがグローバルになすべきものであり、願うところは「欧米から」ではなく「日本発で世界を平和に!」です。

さてさて・・・前号で少し触れた『無量義経』について簡単にお話しをしましょう。

この教えは「妙法蓮華経」を説く前に菩薩に対して説かれたものです。お釈迦様の教えの根本は縁起の法です。私たちは縁によってこの世に生まれ、生きとし生けるすべての存在に生かされています。そして老・病・死をはじめ、多くの苦しみを経験します。しかし、その苦の原因は煩悩に満ちた生き方にあり、それを滅するには「縁起の法」を悟り、この法に従って正しく生きることであると示されたのです。開教であるこの教えは因縁を十二の因縁に区分し苦しみの原因を明らかにし、滅する方法を説き、更には正しく生きる方法も説くのです。

私たちの心には十の世界が存在します。仏界・菩薩界・縁覚界・声聞界・天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界です。天界以下を六道と言い、欲望と苦しみのある娑婆世界を輪廻するとされています。天界の神々は欲望を有する六道の内に存在します。上の四界を四聖と言い、輪廻からは外れた世界です。声聞・縁覚・菩薩は仏様の教えを信じ、悟りを得ようとする修行者で、その違いは悟りの理解の深さです。よって菩薩は輪廻しないのですが、自ら仏様の教えを伝える誓願を立てた菩薩は肉体を持ち、苦しみのあるこの娑婆世界に生まれるのです。無量義経はこの者たちに説いた教えで、悟りを得ていなくとも、仏様の代わりに教えを説くことも可能だとし、功徳の甚大なることを説きつつ、菩薩たちに、人々の理解に合わせて教えを伝えなさいと示されます。

行事案内

2月11日 初午祈祷
各家にお祀りされているお稲荷さんにお供物を捧げてお経を読みました。お稲荷さんを狐さんと間違えている方がいらっしゃいます。お稲荷さんは正式には稲荷神で稲(穀物)や農業の神様です。食物に対する感謝の念を神様勧請したのでしょう。狐さんはそのおつかいです。穀物を食い荒らしてしまう鼠を捕食してくれますし、日本では神聖視された動物でもあったのです。お稲荷さんを祀ってるのならば最低でも一年に一回はお経をあげましょう。感謝の気持ちが無くなれば人が人でなくなります。「人でなし」とまでは言いすぎでしょうが・・・

お知らせとお願い

3月18~24日 春季彼岸会
19日に彼岸法要を行い、ご先祖様の卒塔婆供養を致します。同日、永代供養墓「成就仏身廟」供養祭を行います。
希望により四尺のお塔婆を用意できるように致しました。但しお塔婆供養料は同じく3000円となります。申し込み時に「小」とお書き下さい。
大人の寺子屋
いよいよ「大人の寺子屋」を始めようと思います。私も何をやってよいか模索中ですが、考えても何も始まりませんので取りあえずやってみて、皆様と作り上げていこうと思います。興味のある方は来て頂ければ嬉しいです。お寺は中々に遠い存在らしく、人が集まらないかも知れませんがとにかく始めてみます。

南無妙法蓮華経