日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |

ひとこと

寺報第16号より

足りない物を数えるなら、足りてる物を数えてみよう

これ、良いと思いませんか? 幸せへの第一歩です。 仏教の教え法華経の第二十八番目に「少欲知足」という言葉があります。「欲少なく、足るを知る」という意味です。私たちは欲が深いからいつも何かが足らない気がして、他人と比べて自分が不幸だと思ってしまう。欲張らず、今足りているものを数えたら、足りてる感を感じて、[自分が恵まれていること] に気づくことができます。欲を捨てるのではなく欲を少なく・・・これがポイントです。前にも言ったかもしれませんが欲は、悪いことばかりではありません。向上心にもつながりますから若い人にはプラス要因です。欲張り過ぎるのはどうか・・・ということです。

人間は本当に勝手な生き物ですから、考え方一つでどうにでもなってしまうんです。隣の芝が青く見えるのも心の持ちようです。「あの頃は良かった・・・」はまさしくあの頃と比べて今、何かが一つ二つ減ったと感じているからでしょう。 今、ある物を数えたらきっと今が幸せに思えてくるのでは?

「Aさんが羨ましい Bさんはいつも幸せそう それに比べて私は・・・」
こんなこと思ったことはありませんか? でもそんな時に他人の不幸を見ると、自分が幸せだと思ってしまう。 なんて罪な生き物なんでしょうね。 世界でも有数な、暮らしが豊かな国、日本。しかしながら幸福度をパーセンテージに置き換えると非常に低いそうです。年をとると段々欲がなくなり何でも「ありがたい ありがたい」という人が昔は多かったのですが最近は年をとるほど文句が多くなる傾向にあると言います。一体どうしたのでしょうか? 物質至上主義の成れの果てとでも言うのでしょうか・・・ 本来、生き物は子孫をつないだら消えゆく定めをもっています。しかし人間は、その後も「老後」という時間を与えられたのです。せっかく頂いた貴重な時間を素敵にしたいと思いませんか? 「欲少なく、足るを知る」ことでそれが出来るんです。お檀家さんに、いつも「ありがたい ありがたい」というおばあちゃんがいました。転んでも、痛くても「あ~ありがたい 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経」って言ってました。その人は「あたしゃ いつも今が一番 幸せ」と言いながら死を迎えました。 全てが恵まれた人ではありませんでしたが、自らの人生を、自らが幸せにし得たのです。 さて・・・先号は「五時八教」というお話でした。難しくて頭が痒くなります。やはり話が難しすぎるというご指摘が少々ございましたのでなるべく簡単な方向でいこうとおもいます。

お釈迦様は悟りを開かれてから四十年余りの間、お釈迦様のもとを訪れる人の悩みや苦しみに応じて教えを説かれました。「応じて」ということは、ある意味、悩める人の数だけ、教えが存在したということです。そして以後どの教えに依るかによって、後の世に宗派、教団が形成されていったのです。 その一端を担ったのがお釈迦様の所謂「十大弟子」です。出家順に示すと以下のようになります。

  1. 舎利弗(しゃりほつ) 智慧第一。経典にはよく仏の説法の相手として登場する。
  2. 摩訶目犍連(まかもっけんれん)神通第一。一般に目連と呼ばれる。舎利弗とともに仏弟子となった。目連が餓鬼道に落ちた母を救うために行った供養が『盂蘭盆会』(おぼん)の起源だとしている。
  3. 摩訶迦葉(まかかしょう)頭陀第一。お釈迦様の死後、教団を統率し、五百人の仲間とともにお釈迦様の教法を編集し付法蔵 (教えの奥義を直伝すること) の第一祖となった。(第一結集)
  4. 須菩提(しゅぼだい)解空第一。空を説く大乗経典にしばしば登場する。西遊記では、なぜか孫悟空の師匠として登場している。
  5. 富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)説法第一。略称として「富楼那」。他の弟子より説法が優れていた。
  6. 摩訶迦旃延(まかかせんねん)論議第一。辺地では五人の師しかいなくても授戒する許可を仏から得た。
  7. 阿那律(あなりつ)天眼第一。お釈迦様の従弟。阿難とともに出家。仏の前で居眠りして叱責をうけ、眠らぬ誓いをたて、視力を失ったがそのためかえって真理を見る眼をえた。
  8. 優波離(うぱり)持律第一。もと理髪師で、階級制度を否定するお釈迦様により、出家した順序にしたがって、貴族出身の比丘の兄弟子とされた。
  9. 羅睺羅(らごら)密行第一。お釈迦様の長男。お釈迦様の帰郷に際し出家して最初の沙弥(少年僧) となる。
  10. 阿難陀(あなんだ)多聞第一。阿難とも書く。お釈迦様の従弟。歓喜という意味がある。出家して以来、お釈迦様が死ぬまで二十五年間、付き人をした。第一結集のとき阿難陀の記憶に基づいて経が編纂された。

お経を読まれる方は聞いたことある名前があると思います。こうしてお釈迦様の教えは広まっていきます。

しかし、いずれもお釈迦様の教えであることは確かですが、本来、後世に伝わるべき真実の教えがあったはずです。晩年に死期を悟られたお釈迦様はご自身亡き後の人々を憂い、「四十余年、未だ真実を顕わさず。」と語り始め、今までの教えの中で本来の真理はまだ説いていない。自身の滅後は人それぞれの苦悩に応じて、救いの教えを説くことが出来ないので「私が亡き後は、この教えに従い、仏道を歩みなさい」と説いた教えがありました。それが『法華経』(妙法蓮華経)だったのです。

生身のお釈迦様亡き後、仏道を志す者にとっては、法華経こそが仏の教えであると考えることができます。

次回へつづく・・・

これからの行事

◆行事によっては日程等に多少の変更がある場合がございます。

3月17~23日
春彼岸 お寺にお墓がない方も本堂にお参り致しましょう。
4月8日・10日
14時~ 花祭り(釈尊降誕会)甘茶を飲みにいらして下さい。

お知らせ伝言板

永供供養墓「成就仏身廟」が完成しました。

この供養墓は、お子さんや、後継ぎのいらっしゃらない方や、独り身の方などで行く末が心配な方々の為にご自身のお骨を納める為、又は先祖のお骨を納める為に作られました。お寺が存続する限り、永代に供養されます。
「檀家」という枠を取り外し、どなた様でも申し込みが出来ます。基本、生前契約です。法号(戒名)は信隆寺で授けます。ご先祖様のお骨も受け入れます。供養段に安置するか、合祀にするか、供養年数などもお選び頂けます。ご自身亡き後の法事も申し込み出来ます。永代供養布施をお納め頂きましたらその後の管理料は不要です。詳細はご来寺の上、住職にご相談下さい。
ペットのお骨を納める「愛玩動物霊供養塔」もございます。ご相談下さい。
永代供養墓同様、年数・合祀・供養、それぞれお選び頂けます。年会費、管理料は不要です。

※長年、据え置きいたしておりました「無縁塔」も完成致しました。

おしらせ

3月11日 釜石 仙寿院にて震災三回忌法要・行脚。出仕。
4月24日 大槌町赤浜小学校にて花見炊き出し。実施。