日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |

ひとこと

寺報第14号より

合掌。桜の時期が「あっ」と言う間に通り過ぎ、木々に新しい緑が映えています。力漲る生命の息吹です・・・なんて思っていたら、もう梅雨です。またまたあっという間に夏が来て、秋が来て、冬が来て、そしてまた桜が咲くのでしょうね。しかし、日本人はなんであんなに桜が好きなんでしょうか? 心を打つほどに・・・息を飲むほどに美しい時は一瞬です。その輝きに感動し、散りゆく花びらに何を思うのでしょう・・・

夏に風鈴・朝顔、秋に紅葉・熟れた柿、冬には木枯らし・炬燵にみかん 四季の移り変わりを肌で感じ 人間も自然の一部であることを知る。
自然の中で生き、四季を肌で感じるからこそ、侘び寂びなんていう小洒落た想いが心をくすぐるのでしょうね。
「あまりにも空が澄んでいて、物悲しく涙が出てきます・・・」みたいな感覚は日本人独特のものなのでしょう。

ところで、報告が遅れましたが先日、岩手県大槌町赤浜に行って来ました。(詳細は「お知らせ伝言板」にて)
皆さんからの支援金を使わせて頂き、赤浜小学校元避難所で「花見を兼ねた屋台炊き出し」を催してきました。しかし今年は寒すぎて桜の開花が遅れ、蕾見になってしまいました。(悲)

帰る時に一輪だけ咲いているのを見つけちょっと感動したのを覚えてます。帰路の高速道路で通り過ぎる景色は、三分咲き~五分咲き~満開と南下するに従って咲き模様が変化していましたが、松尾芭蕉じゃないけれど、歩いて旅をしたらこんな私でも五七五の一つや二つ、浮かんでいたかもしれません。
・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・ 
浮かばないので先に進みましょう。

先号は「お釈迦様の誕生から出家~覚り」とお話しましたが、そもそもお釈迦様が出家したのは、人間が生きていく上での根本的な苦しみ「生・老・病・死」の四苦、事に「死」への恐怖を克服する為であったことを忘れてはなりません。タイムスではなるべく簡単に解りやすく説明するつもりですが、難しい用語も使うことがしばしばありますので、そんな時は「よくわからないけどまぁいいや」と軽く考えて下さい。

さて、三十五才で覚りを開いたお釈迦様ですが、すぐに教えを説いたわけではありません。始め、この真理は奥深くて難解であるので、かえって民衆が戸惑ってしまうと思い、説く事を躊躇していました。そこに天界の代表である梵天が現れ、「是非にもこの真実を多くの人々に説くように」と請うのです。これを梵天勧請と云いますが、その請いに答えてお釈迦様は説法の旅に出、各地を廻り、説法をしていきます。仏教では、説法の事を車輪の輪に例えて「法輪」と云いますが、最初の説法を「初転法輪」と言い、その地を、鹿が遊ぶような静かな所であったことから「鹿野苑(現在のサルナート)」と言います。そしてその後、各地に立てられた説法の場が「竹林精舎」や「祇園精舎」です。聞いたことありますね。お釈迦様は最初に、人間の「苦」の根源といものを説きました。お釈迦様の説法は、あたかも医師が患者の病気の何であるかをよく知り、その病源を正しく把握し、それを治癒させ、さらに病気を再発しないように正しく導くようなものなのです。迷いの現実が苦であることと、その苦は克服しうるものであることを説くのです。「煩悩」こそがすべてを苦の原因であることを明らかにし執着をなくすことを大事とします。

四諦

「苦諦」(くたい)人生には、生・老・病・死という四つの苦があり、次の四つを加えて八苦がある。

四苦八苦
愛する対象と別れねばならない「愛別離苦」(あいべつりく)
憎む対象に出会わなければならない「怨憎会苦」(おんぞうえく)
求めても得られない「求不得苦」(ぐふとっく)
人間生存自身の苦を示す「五陰盛苦」(ごおんじょうく)

「集諦」 (じったい)

様々な悪因を集起させたことによって現れたものが苦。「苦の源」、現実に苦があらわれる過去の煩悩を言い、苦を招きあつめるものが煩悩であるということ。煩悩→貪り、怒り、愚痴。十二因縁。

「滅諦」(めったい)

煩悩が滅して苦のなくなった涅槃の境地を言う。一切の煩悩の繋縛から解放された境地。煩悩の火の吹き消された世界をいう。苦は滅することを認識する、、または苦の滅を悟ることを滅諦という。

「道諦」(どうたい)

悟りの世界に到達する実践修行を言い、仏道すなわち解脱への道。 → 八正道
八正道(難しいので極々簡単にします)
「正見」貪りの心を捨てて正しい目、道理で物事を見る。
「正思惟」欲から離れ、正しい思考をする。
「正語」妄語(嘘)を離れ、綺語(無駄話)を離れ、両舌(仲違いさせる言葉)を離れ、悪口(粗暴な言葉)を離れる。正しい言葉。
「正業」殺生を離れ、盗みを離れ、淫らな性的行為を離れる。正しい行い。
「正命」道徳に反する職業や仕事はせず、規則正しい生活を営む。
「正精進」不善を断じ、不善を生ぜず、善を生じて正しい努力をする。
「正念」四念処(身、受、心、法)を常に意識し、正しい念慮を持つ。
「正定」集中力の完成。精神統一。正定と正念によって正見は得られる。

このような教えを元にお釈迦様の布教が続くのですがその時期を五つの時期に分けることが出来ます。 難しいですね。生きることは苦しい、しかしその中でどのように生きるのかを説くのです。
つづく・・・

お知らせ伝言板

赤浜地区仮設の皆さまから「何か楽しいことをやりたい」と言われ、屋台風の炊き出しで花見を企画しました。いつも御会式で屋台風なことをやってますのであの要領で炊き出しを行ったのです。午前中に町を行脚し、海回向をしましたがおよそ130人の方がお参りに来られました。ご遺体が見つからず対面できていない方から、「心が落ち着きます」と言って頂けました。その後、吉里吉里の吉祥寺へ行き、身元不明のお骨に回向を致しました。
御題目の光明は如何なる所へも届きゆく・・・

昼過ぎから炊き出しを開始、今回も友人の中華料理のシェフを連れて行ったので料理は本格的! 他にもヤキソバ、焼き鳥、アメリカンドック、綿菓子、塩ちゃんこ、ビールに焼酎、お酒に甘酒、なんでもアリアリです。(笑)

遠慮していて中々始まらなかったカラオケでしたが、中学生の女の子が最初に歌い始めると、ずうっと曲が途切れることはありませんでした。

子供用に用意したお菓子は、駄菓子屋か露天商風に置かれていて、お店のおじさん風のお上人がジャンケン遊びをしながら、子供達と戯れていました。楽しそうにお菓子を手にした子が、「また絶対に来てね~」と言っていたのが印象に残っています。子供たちはいつも元気で走り回ります。まだ明るいのに笑顔で花火を振り回していました。今度は打ち上げ花火みたいな派手なのを持って行ってあげたいと思いました。
地元の皆さんが「お上人さんも一緒に座って飲みましょう」と誘って下さったので、辺りが暗くなる頃にボチボチと座りはじめ、飲みながら色々な事を語り合い、楽しい時間が過ごせました。なんとなんと地元料理のイルカをご馳走になりました。 いいのかなあ。。。
本当は夜の7時には終了予定でしたが役所の許可範囲8時半ギリギリまで盛り上がり、皆さん本当に楽しそうでした!

良かったア。
嬉しいイ(笑)

後片づけをして、床についたのは24時頃でした。 今回は元避難所の体育館に寝袋で宿泊です。「被災者の皆さんはこんな所で半年も怖い思いをしていたんだなあ・・・」と思いながら浅い眠りにつきました。zzz・・・
そう言えば薄い記憶の中で 「イルカが1匹・・・ イルカが2匹・・・」と飛んでいた気がします。

翌朝、6時。昨晩飲みながら、約束を取り付けた漁師さんに船を出して頂き、ひょうたん島へ・・・ (赤浜の目の前に浮かぶひょっこりひょうたん島)
予想外に大きく素晴らしい「弁天様」と「龍神様」に一読。
ひょうたん島の岩や灯台まで津波で持っていかれているのに木像の弁天様と厨子が無事なのにはおどろきました。

この日も壊滅してしまった海岸沿いの町を行脚です。「南無妙法蓮華経・・・」どうか安らかにお眠り下さい。安楽な世界への導きがありますようにと。

帰路につく前に、廃校となり、取り壊しが決まった校舎をバックに記念撮影。また来ます。
桜の木の下には、四つ葉のクローバーがたくさんありました。
昨日まで固く閉ざしていた蕾がほころびはじめ、ようやく咲いた、たった一輪の桜の花が私たちを見下ろしていました。

一、 地震があったら津波に用心せよ。
一、 津波が来たら高い所に逃げよ。
一、 危険地帯に住居をするな。

先人から私たちへのメッセージです・・・


これからの行事

◆行事によっては日程等に多少の変更がある場合がございます。

7月13~14日
お盆棚経(予定は別途ご案内致します)
7月21日
夜 纏と太鼓の練習会(参加者募集)
8月7日
14時~施餓鬼供養 (別紙参照)
8月13~15日
お盆棚経(予定は別途ご案内致します)