日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |
合掌。新しい年を迎え、今年は少しでも多くの人が笑顔でいられると良いなと思います。作年は起きてはならない災害が起きてしまい、日本全国の人々が悲しい思いをしました。それでも立ち上がり、私たちは前へ進みます。今、日本人が世界に賞賛されています。世界に誇るべき日本人の魂と心意気。大災害を被った中にも仲間への思いやりと助け合い。そして何よりも、略奪や奪い合いが少なかったことです。東北の方たちは、寒さと飢えで苦しい中、少ない物資を分けあい、助けあって災難を乗り越えたのです。あの一列に整列し列を乱さない映像に世界の人たちが拍手をおくったのです。
何度となく現地への支援をしてきましたがその時に決まって言われたのが、「全員の分が欲しい。全員分なければ受け取れない。」という言葉でした。
日本人が先祖から受け継いだ助けあいの精神ですね。素晴らしき農耕民族のDNA! 八百万の神々が住む国に平和温厚な仏の教えが伝わり、うまく融合して独自の仏教として発展を遂げた日本仏教には暖かな慈悲がいっぱいです。だけど悲しい事に、その古の時から伝えられ続けた伝統や習慣が一瞬で打ち切られてしまう現代。時の流れが早過ぎる気がします。この先、私たちは心も身体もそのスピードについていけるのでしょうか?
「温故知新」古きを温ねて新しきを知らば・・・云々という言葉もありますが新しきを知りすぎて古きを蔑ろにしすぎてしまっているような・・・
そこで今回からタイムスで仏教について、法華経について、日蓮聖人について、なるべくわかりやすく解説をしていこうかと思います。前述した日本人の優しさ、世界に誇る日本人の魂と精神を創り上げた教えを、皆さんに紹介します。神仏と自然の恵みに感謝し。私たちの身体に宿るご先祖様に思いを馳せ、眼に見えないものに畏敬の念を捧げましょう。
仏教は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教です。
お釈迦様は紀元前5世紀頃、シャーキャ族王(浄飯王と摩耶夫人)の子として現在のネパールのルンビニで誕生しました。王族の王子として裕福な生活を送っていましたが、29歳で出家し、35歳で正覚(覚り)を開き、仏陀(覚者)となりました(成道)。そして、まもなくしてお釈迦様のもとへやってきた梵天の勧めに応じて、自らの覚りを人々に説いて廻り80歳で入滅したと言われています。
お釈迦様はインド(紀元前五世紀頃)現在のネパール国境付、当時の二大強国マガタ国とコーサラ国の間に挟まれた小国カピラ城の出身で、摩耶夫人帰郷の途中にルンビニの花園で夫人の脇の下より姿を現し誕生したとされています。そしてすぐに7歩歩いて右手で天空を指し左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と声を出したと言われています。
生後1週間で生母は亡くなり、母の妹、摩訶波闍波提(マハープラジャパティー)により育てられたのです。脇の下から生まれたというのは伝説で、釈迦族が当時のカースト制度にあってクシャトリアの位のあったことに由来していると考えられます。
カーストの4階級は上からバラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラで人間の身体に当てはめるとバラモンが頭部、クシャトリアが肩から腹部近辺、ヴァイシャが腹部から下半身にかけて、シュードラが脚部というような配置になります。そこでクシャトリア→脇の下から生まれると伝えられたようです。その時に花は咲き乱れ、動物たちは喜び、乱舞し、天からは甘露の水が降り注いだとされています。これを模したのが4月8日に行われる花祭りの甘茶です。
お寺でも甘茶を煎じてお釈迦様にかけています。お参りにいらして下さい。「天上天下・・・」についても後世にお釈迦様の偉大さを伝えるための伝説として伝えられたもののようです。
聡明な立派な青年として育ったお釈迦様は16歳で母方の従妹のヤショーダラーと結婚し、一子、ラーフラをもうけました。幼少の頃に田畑の虫をついばむ鳥を見たことなどにより日常的にこの世の無常を感じていたお釈迦様にある時、こんなことがありました。城の東の門から外に出ようとしたら老人に会い、南の門より出る時には病人に会い、西の門を出る時には死者に会い、生ある故に老も病も死もある(生老病死:四苦)と無常を感じ、北門から出た時には1人の出家者に出会い、そこに世俗の苦や汚れを離れた清らかな姿を見たのです。これが、出家の要因です。
29歳。地位と名誉、国、妻子の全てを捨てて城を出たお釈迦様は出家の旅を続け、苦行を積んだのです。減食、絶食等、厳しい修行を行いましたが、心身を極度に消耗するのみで、人生の苦を根本的に解決することはできないと悟って難行苦行を捨てたといわれています。そこからお釈迦様は新たな独自の道を歩むのです。
苦行の後、尼連禅河で沐浴し、村娘スジャータの乳粥の布施を受け、気力の回復を図って、ガヤー村の菩提樹の下で、静かに瞑想に入ったのです。すると、お釈迦様の心を乱そうと悪魔たちが妨害に現れます。壮絶な戦闘が丸1日続いた末、お釈迦様はこれを退けます。そして、ついに12月8日の未明に覚りを開きました「成道」。
後にガヤー村は、仏陀の悟った場所という意味の、ブッダガヤと呼ばれるようになりました。 スジャータってどこかで聞いたことありませんか? あのスジャータミルクはここからきているのです。
生誕の地 ネパール ルンビニー
覚りの地 ガヤ(ブッダガヤ 菩提樹)
初転法輪の地 サルナート
入滅の地 クシナガラ
お釈迦様の生きた場所は、ネパールから東インドにかけてガンジス河流域が中心ということが見てとれます。
つづく
◆行事によっては日程等に多少の変更がある場合がございます。
赤浜仮設住宅に行きました。窓口になって頂いている川口さんに手伝って頂き、110件のお宅にホットカーペットを届けてきました。仮設は本当に狭い。音も筒抜けでした。
途中、奥様を亡くされた方に位牌の前でお経をあげて欲しいと頼まれ、一読させて頂きました。
仮設の通り道の横で石をどけて花を植えているおばあさんが居ました。花を見てみんなの心が少しでも明るくなったらい~の・・・とおっしゃってました。この方は大家族でお嫁さんとお孫さんを亡くされたそうです。私みたいな年寄りが残ってしまって・・・ と、泣きながらお話を聞かせてくれました。 春になったらまた行きます。
※皆さまのご協力に感謝致します。
※境内墓地にペットの供養塔を建立致しました。供養並びに納骨をご希望の方はご相談下さい。