日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |
合掌。今年も夏が終わりました。だんだん夏が嫌いになってきました。子供の頃は夏が大好きで、ふりそそぐ太陽の下、輝く景色の中、大きく手を広げている自分が居ましたが、今や、夏の暑さと忙しさにまいり、日差しを避けながらこの季節をやっと乗り切る私です。昔は海が好き、山はダサい。今は海はパス、山で静かに過ごしたい。アラフォー 中年太り… 運動不足…
市から健康診断の封書が届く度にため息をつき、お医者様からは「かなりお疲れのようですね~ 内臓もおつかれです… 食生活に気をつけ、運動もしましょう…」と言われる。こうやって年をとっていくのでしょうか? とうとう今年は禁句をつぶやいてしまいました。「夏なんて嫌いだ… 夏が来なきゃ良いのに…」と。
9月なのに外ではミンミン蝉が今日もミンミンしてる。ツクツクボウシはまだかな~あの鳴きかたは好き。なんか好き。蜩はどこへいったのでしょう? あれ、「カナカナカナ」って聴こえますか? 緑の木々、畑や田んぼが無くなっていくといつか聞けなくなるのかなあ…
何年か前からカエルの声がしなくなりました…あの音はなかなか素晴らしいと思いませんか? でも街中じゃ「カエルの声がうるさいから、池をなくせ」との苦情が寄せられるそうです。世の中苦情だらけです。お百姓さんに聞いた話では、「肥料が臭いから畑に肥料をまくな」と言われたそうです。
なんかさみしいですね。商品の注意書きを読むとくだらないことがたくさん書いてあります。きりがないから記載しませんがあれも苦情が生んだ代物です。花火をすれば警察が来て、焚き火をすれば消防車が来る。皆さん小さな頃に焚き火で焼いた焼き芋の味を覚えてますか? 小さな火を見て心がホッとしませんでしたか? 今は、やってはいけないんです。子供の頃にケンカして心も体も傷つけあって、ぶつかり合ったから、自分も痛かったから…他人の痛みが少しずつ分かるようになったのではないでしょうか? 今は、ケンカもしちゃいけないんです。仮面の種類が増えるだけです…
条例や法律もどうかしています。
あるお寺さんに聞きました。お墓を作ろうとしたら、条例で出来ないと。その条例とは「近隣何々mに学校、病院、老人ホームなどの施設があると、そこに墓地は作れない」というものです。お寺は数百年前からそこにあって後から(つい最近)施設ができたのに、何故そうなるのでしょうか? 皆さんお墓は汚いものですか? 避けるものですか? 先祖が眠る場所、そして私達もいずれ眠りにつく場所、そこがどうして遠ざけられるのでしょう?
私たちはどこへ向かっていくのでしょう…
昔の人は新年を迎えたらご先祖様をお参りし、感謝の言葉を述べて、そのあと神社へお参りし1年の無事を願ったのです。ご先祖様に足を向けて寝れば子供に足蹴にされる… などということはないように祈ります。 さてお盆のお経を回って気がついたことが少々ありますので、紹介します。
仏壇にはご本尊が絶対に必要です。日蓮宗では久遠の本師釈迦牟尼仏とされていますが、御曼荼羅です。御曼荼羅が無ければ仏壇として成立いたしません。御曼荼羅があって、日蓮聖人のご仏像があってお位牌がある。これがよろしい。何が無くとも御曼荼羅です。中には分家の方で、本当は仏壇が必要なくとも御曼荼羅を掲げご先祖様をお祀りしていらっしゃる方もございます。理想ですね。御曼荼羅の無い方はご相談下さい。それと、お盆の時はなるべく精霊棚をつくってお位牌などを全部仏壇からだしましょう。場所的に無理な方もいらっしゃいますが、出来る限りは出しましょう。本当は出来るのに面倒だから…は、やめましょう。いつか自分もあちらへ行くのですからね。そして掃除しましょう。中には1回も、もしくは数年も掃除をしてない方がおられるようです。最低年に2回(お盆と暮)くらいは、綺麗にほこりを拭いてあげて下さい。いつか自分もあちらへ行くので・す・か・ら… ほこりだらけ、カビだらけは嫌でしょう。
触っちゃいけないと思っている方、そんなことはありません。どんどん触って下さい。但し、雑に扱ってはいけません。やはり丁重に扱いましょう… 仏壇や神棚にほこりがかぶっていては、家の運気も下がります。 間もなく秋のお彼岸です。仏壇を綺麗にして、お墓で草むしりをしながらご先祖様と語り合い、心の修行をしましょう。
でもお願いですからむしった草をその辺に置いて行かないで下さい。毎回ゴミがあちらこちらへ捨てられていきます。ゴミ箱も分別されずに混ぜ混ぜです。あれを片付けるときはなんとなしに虚しく悲しいものです。タバコのポイ捨ても絶えません。自分の家の庭に捨てられたら嫌でしょうに… ご先祖様も「どうしてかなあ? 」と首をかしげます。そんな人もテレビを見ながら「今の世の中はどうなってるんだあ」とか言っているのでしょうね。
世の中がどうしようもなくても、私達1人1人の行動で変わっていくはずです。なぜなら私達が菩薩や仏になれる可能性を持っているからです。地獄へも落ちれば天界へも上れる。すべてが繋がりを持ち、因縁で結ばれる。 因果応報。人のせいではなく、お蔭さま。全部自分から始まるのです。
◆行事によっては日程等に多少の変更がある場合がございます。
赤浜避難所から嬉しい手紙が届きました。
全員が仮設に入れたそうです。
読売新聞の方は8月7日の32面を御覧ください。この体育館で皆さまから寄せられた救援物資が赤浜の皆さまの心を支えたんです。空っぽの体育館の写真が妙に嬉しいです。いずれ仮設のほうに行ったら、またご報告致します。
因みに、いつも私と話をして下さるのは神田さんと川口さんです。