日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |

ひとこと

寺報第4号より

合掌 暑すぎた夏がようやく行き去り、秋の気配が漂いはじめました。
施餓鬼供養の法要にたくさんの方々がお参り下さいました。誰にも供養されない沈んだ霊魂をみんなで供養します。それが施餓鬼供養会です。 大勢の祈りが大きな力を生みます。ありがとうございました。

今年のお盆では、仏壇の前に飾る精霊棚がいつもより少し丁寧に飾られていた気が致します。家族が集まり、子供たちが一緒に手を合わせる・・・
「お~い! お坊さんが来たぞ~ みんなあつまれ~」
短い時間ですが、家族みんなでご先祖様に手を合わせる。
簡略化 省略化 粗略化してゆく今の世の中で、私たちのご先祖様が粗略化されていないことを嬉しく思います。そして、このような思い出や光景は一生忘れないものです。

人生は辛いことばかり・・・世の中イヤなことばかり・・・心が暗闇に押し潰されそうになったとき、そんな思い出が心の灯火になるのかも知れません。

不幸とは何でしょう? 幸せとは何でしょう? この秋のお彼岸参りにはお墓を綺麗に洗ってみませんか? 草むしりはもちろんですが、墓石を洗うんです。自分の手で洗うんです。墓石はご先祖様の身体であり、私たちの身体です。体を洗うように丁寧に、丁寧に洗ってみて下さい。自分をこの世に送り出してくださった父と母の体を洗うように・・・


昨年のタイムスでお会式のお話をしましたが、たぶん忘れてしまっているでしょうから(原稿のスペースを埋める私の都合もありますが・・・)再度「お会式とは何ぞや?」とお思いの方の為に、お会式についてお話いたしましょう。

日蓮大聖人は弘安五年(一二八二)十月十三日辰の刻(午前八時)、六十一歳をもって池上の地にて安らかにご入滅されました。その折、時ならぬ桜の花(お会式桜)が咲き、天地も大聖人のご入滅を悲しまれたと伝えられています。

このような故事から、夕刻には桜の花(造花)で飾った万灯をかかげ、江戸の火消し衆が参拝する折りに始めた纏(まとい)をふり、うちわ太鼓と鐘と笛の音色と共にお題目を唱えながら詣で、大聖人にお参りします。つまりお会式とは日蓮大聖人の年回法要なのです。時は流れ、今ではお祭りみたいな雰囲気になっていますが、本来の意味を知り、日蓮大聖人にお会いできる喜びと考えれば、賑やかなお逮夜行事もまたよしなのでしょう。各お寺で日にちのズレはありますが、昼間には厳かに遠忌法要が厳修されています。

多くの皆様が日蓮大聖人にお会いされることを願います。