日蓮宗妙厳山信隆寺(茅ヶ崎市) | トップへ |
合掌 愈々秋らしくなってきましたね。虫たちが盛んに鳴いてます。
この度、信隆寺タイムスと銘打って新聞みたいなものを作成してみました。用途は自由自在、お寺からのお知らせ、行事の案内、良い話 悪い話、色々と考えています。本当は定期的に発行したいのですが、当面出来そうにないので時々発行という形にします。
時々といっても年に一回か半年に一回か・・・さてどうなることか判りません。実はこの創刊号も去年から作成していたのですが、作成中に修行に入ってしまいそのままの状態でした。そして作業再開、続きをやり始め、ここでようやく出来上がった次第です。
従って独断ではありますが、創刊日時を平成十八年某月某日とさせて頂きました。気にしないで下さい。つまらない拘りです。
さて、創刊号なので信隆寺の紹介から始めたいと思います。
表(右)奉建立相州高座郡妙厳山信隆寺右為先祖菩提也大願主
表(左)當寺開基旦那従多田満中四代(欠落)三郎義光公
裏(右)十六代後胤信就信隆院日閑敬白
裏(左)豈寛永元年申子五月吉祥日
信隆寺とこの鰐口のことは、天保十二年(一八四一)にできた『新編相模国風土紀稿』に記されていて、その記事と銘文から、信隆寺は、多田満仲から四代目の新羅三郎義光の十六代後の、甲州武田家の士族、武田信就(のぶなり)が先祖の菩提を弔うために、寛永元年(一六二四)に建立した寺であることが知られます。信就は眼病で失明し、剃髪して信隆院日閑法印と号し、明暦二年(一六五六)に亡くなっています。そして、この鰐口は境内にあった七面堂(現在の祈祷堂)の前にかけられてあったとあります。