ハリケーン上田、人生最後は文筆家
[プロレスラー擬いの洗礼名:#2]
(Hurricane Ueda, end of life is writer)


エルニーニョの一言。   *** エルニーニョからの一言 ***

 2005年2月5日の「その後」の記事で、「税理士稼業から足を洗うことを決意、以後はパソコンを抱え「オタクな余生」を送ることになりました。」と書いて、多分2005年一杯で私の「愉快な仲間たち目次」から上田研而税理士のページを削除しました。それから歳月は過ぎ、2011年暮れには私が脳出血に倒れ(←本当は倒れて居ませんが)、2013年3月18日からは新天地沖縄(那覇市)第4の人生を送って居ます。
 上田氏は税理士を辞めて今では文筆家に成り、私と似た様な稼業 −私は物書き(←得体の知れないイメージが有る)、又は著述家(←文筆家みたいにちゃらちゃらして無い)− です。今は私の弟子ハリケーン上田男爵芋と呼びますので、宜しく。上田研而氏がハリケーン上田を名乗って居る事については、前の紹介記事を見て下さい。税理士時代の「限り無く脱税に近い節税」とか”苦労半顔”の顔とかが懐かしいですな。
 そして2013年の私の出版第2作目の『鵺(ぬえ)は飛び散りエイ躍る』を出す時に「友の言葉」(△1のp79)に推薦文を依頼したら、本の中身も知らずに”無駄口”を書き連ね、しかしそれなりに体を成して居るので、この辺に文才が在ったのかも知れません。「無駄口の効用」です。
 以上の様な訳で、新たな紹介記事を認(したた)め再び「愉快な仲間たち目次」に登録する事にしました、それが当ページです。ここは別名【エルニーニョの館のカエルの間】と言って、カエルが飛び交って居ます。カエル(蛙)は私の出版者名「蛙(かわず)ブックス」とも切っても切れない縁が有ります。しかし、私の本が売れないのは「買わずブックス」の所為かも知れません!!

基本データ
        ■個人データ

本名  :上田研而
雅号  :上田望堂、上田心月(書道、俳句)
エルニーニョの洗礼名:ハリケーン上田
爵位  :男爵
親愛名 :芋

 □自宅
住所  :〒665-0871
     兵庫県宝塚市中山五月台1−2−2
TEL&FAX :0797-89-1202

 □別荘
住所  :〒710-0051
     岡山県倉敷市幸町7−5−1202
TEL&FAX :086-486-0064

Eメール:ken-ueda@s7.dion.ne.jp
        ●文筆家ハリケーン上田氏

  ★経歴
1.昭和5(1930)年岡山県の吉備郡真備町に生まれる。
2.太平洋戦争中は軍需工場に学徒勤労動員。
3.24歳で株式会社クラレに入社。会計課に配属される。
4.昭和31年(1956年)大阪本社に転勤経理本部、監査部兼務。
5.昭和45年(1970年)税理士試験合格大阪本町に税理士事務所開設。
6.昭和48年(1973年)『不動産売買の税務』、昭和50年(75年)『税務ハンドブック』を出版。
7.平成11(1999)〜13(2001)年腎臓ガン、前立腺肥大症、脳腫瘍を切開手術。顔がひん曲がる(”苦労半顔”)。
8.平成13(2001)年4月仕事(税理士)からリタイヤ。
9.平成15(2003)年2月6日から大阪北浜で税理士事務所を再開。”苦労半顔”解消
10.平成17(2005)年2月5日に税理士廃業を決意。
11.平成23(2011)年に『心月のつぶやき』を出版、文筆家と成る。


  ★著作
『米中永遠の平行線』(上田研而著、政治評論社)。昭和45年。この頃、直木賞挫折。
『不動産売買の税務』(上田研而著、上田会計事務所発行)。昭和48年。
『税務ハンドブック』(上田研而編、コントロール社)。昭和50年。
『心月のつぶやき』(上田研而著、望堂書院)。平成23年。随筆集。
『吉備さま日記(大正末期から昭和へ)』(上田孝惠著、上田研而編、望堂書院)。平成25年。著者は編者の母。
『迷惑メール傑作選集 婦人科女医の意地悪』(上田心月編著、有頂天書房)。平成25年。2015(平成27)年2月2日に蛙ブックスより「文化スケベ学大賞」を受賞。


  ★趣味
書道:師範免許保有
写真:写真屋級
俳句:自己満足
ギター、アコーディオン、マンドリン、油絵、水墨画:全て挫折
尺八:竹琳軒中尾都山の免許状所持、だがこれも挫折
パソコン:中学生並みに進歩


 ■ハリケーン上田氏の自己紹介の口上
写真1:ハリケーン上田氏の素顔。
 小生、生国はお江戸を離れること西に三百里、三備の鼎の備中国です。備中の国は猿掛山、猿掛山の吹きおろし、餓鬼の頃から書物が好きで、昨日は洋書、今日は和書、読みつ流れつ摂津の国へ、望みは特大直木賞、挫折にめげず芥川賞、何れも挫折ものにはならず、破れかぶれで蛙ブックスへ、門を叩けばエルニーニョ幸爵、昔の誼(よしみ)で雨宿り。
 然れども知る人ぞ知る…彼の有名無実な男ハリケーン上田、激動の昭和時代の文筆家とは俺のこと、左のご尊顔がそのお方、歳はとっても心は若い。
 お見知りおき願い、今後よろしくお引き回しの程お願い申しまする。


  ●ハリケーン上田氏に「文化スケベ学大賞」

 ハリケーン上田氏(本名:上田研而)が平成25(2013)年に発表した『婦人科女医の意地悪』に対し、2015年2月2日(月)に蛙ブックスは「文化スケベ学大賞」を授与する事を決めました。受賞理由は「83歳という高齢にして精は枯れしもスケベな本を出す意欲と想像力は見上げたもの」です。但し、本賞は賞金・賞品は一切無し。今後も尚一層のスケベ学の探求に励むことを期待します。因みに、「文化スケベ学」
2006年8月18日に我がサイトで創始した根本的学問領域です。

 


 ■ハリケーン上田氏に対する謝辞 − 貴殿は饂飩好き

 ハリケーン上田男爵芋殿 −爵位が男爵、それに親愛名の芋− は相変わらず無駄口・減らず口は朝飯前じゃのう。まぁ、口上を寄せてくれて忝(かたじけな)い、礼を言うゾ。
 ところで貴殿は饂飩(うどん)が大変好きで御座るのう。まぁ、年を取って柔らかい物しか食べられなく成った所為も有るかも知れんが、特に「饂飩すき」が滅茶好きじゃったのう。貴殿の嘗ての事務所の地下に在った「饂飩すき」は麺が長かったのう、立って饂飩を自分の小鉢に入れたぞ。しかし美々卯の「饂飩すき」は格別じゃ、スープの出汁(だし)に秘伝が有るのじゃろう。本店の他、新大阪店にも食いに行った事を覚えて居ろう。とも良く合う。「饂飩すき」は「鍋焼き饂飩」から生まれたらしいが、あれはやはり関西の味じゃ。饂飩のルーツも中々奥が深く、讃岐(讃岐饂飩は有名、今の香川県)へ行くと空海に直結して仕舞うよ。
 ところで貴殿は美々卯に引っ掛けて饂飩の事を「白ミミズ」と呼んで居るが、内田百(※1)という漱石門下で趣味人が面白い事を書いてるのを見付けたよ。曰く「マカロニ、スパゲッチ、ヌウデル、まだ色色の名称や、ちがった種類があるだろう。その本国の者に聞いて見た事はないが、そう云う物を嚥み込む折の感触は、我我が蕎麦や饂飩を食べる時と同じだろう。つまり咽喉を辷(すべ)る工合がいいのだ。そうするとだね。人間は洋の東西を問わず、ああ云う物を食べたがると云う事になって、我我の祖先は昔昔、いつの時分か僕には見当がつかないが、多分火食(かしょく)を知る以前に違いないと思うのだが、饂飩やマカロニに似た細長い、骨のない、ぬるぬるした虫を食った時代があって、余っ程うまかったんだね。その祖先の味わった味が今日(こんにち)に伝わり、ああ云う物を食べる度に遠い記憶が咽喉の奥に甦って、長い虫を食ってる様な気がするのだろうと思う」...<中略>...「蚯蚓(みみず)にも頭はなかったね」「蚯蚓で御座いますか、弱ったな。しかし蚯蚓とは色がちがいます」「白蚯蚓と云うのはいなかったかな」と、こんな具合じゃ(△1のp149〜152)。これは得意の諧謔(※1、※1−1)じゃな、非常にオモロイ!
 


        *** エルニーニョからの二言目 ***

 貴殿はぬるぬるした虫を食うのが好きじゃったのう、今度本物の白ミミズを試してみたら如何かな。ワシは駄目じゃ。ワシは幼年時代に回虫(※2)が腹の中に居って虫下し(※2−1)で出すと饂飩みたいな回虫が出て来たよ。じゃから子供の頃は饂飩が苦手だったよ。断って置くが、当時の子供は大抵腹に回虫を飼って居ったよ、そういう時代だったんじゃ。ところで内田百閧岡山県の出身じゃ、白蚯蚓(シロミミズ)吉備人には相関関係が有るやも知れんゾ!
 それからもう一つ。備中の鬼ノ城は昔、温羅(うら)という百済系の鬼の居城だったと言い、今鬼ノ城には「温羅舊跡」の石碑が在る。この鬼を退治したのが吉備津彦命 −君等吉備人の祖神− で実はこれが「桃太郎伝説の原型」らしいゾ、そもそも桃太郎伝説が出来たのは室町時代前期頃と言う。その吉備津彦命(=桃太郎)の古墳と言われるのが吉備津神社の中山に在って、登ったら誰も居なかったので備中一帯をワシの小便の香水(桃の香り)で清めたのじゃ、覚えて居ろう。あれは2007年正月の事じゃったわい、ワッハッハッハ!!

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 以上 

【脚注】
※1:内田百閨iうちだひゃっけん)は、小説家・随筆家(1889〜1971)。名は栄造。百鬼園と号。岡山県生れ。東大卒。夏目漱石の門下。夢幻的な心象を描き、又、人生の諧謔と悲愁を綴る。作「冥途」「百鬼園随筆」「阿房列車」など。
※1−1:諧謔(かいぎゃく、humor, joke)は、面白い気の利いた言葉。戯(おど)け。洒落。滑稽。ユーモア。「―を弄する」。

※2:回虫/蛔虫(かいちゅう、roundworm)は、袋形動物線虫綱カイチュウ科の線虫で、人体寄生虫。雄は体長15〜25cmで、尾端が鉤状に曲り、雌は体長20〜40cmで尾端が鈍く尖る。野菜・果物などに付着した卵が口から入り、成虫は小腸に寄生するが、胃・脳・泌尿器などに移行することも在る。世界中に分布。ヒトの他、イヌ/ブタ/ウマなどにそれぞれ別種が寄生。駆虫にはカイニンソウ製剤サントニンなどを用いる。ハラノムシ。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※2−1:虫下し(むしくだし、vermicide)とは、腹中の回虫などを下す薬。駆虫剤

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『鵺(ぬえ)は飛び散りエイ躍る 〜極々マイナーな伝説の旅〜』(エルニーニョ深沢著、蛙ブックス)。

△2:『贋作吾輩は猫である』(内田百闥、福武文庫)。

●関連リンク
投稿文(Reader's contribution):ハリケーン上田の紀行文▼
ハリケーン上田の2001年・バリ&ジャワ放浪記
(Bali and Jawa by Hurricane Ueda, Indonesia, 2001)

2011年暮れに脳出血で倒れた第1報(出版第2作目)▼
エイが向かいし島「江井ヶ島」(Rays went toward Eigashima, Kinki)
新天地沖縄(那覇市)、脳出血の事も▼
2013年・大阪から那覇へ(From Osaka to Naha, Okinawa, 2013)
私の第4の人生▼
隠居のすゝめ(Retire at good time and begin your new life)
エルニーニョ幸爵を名乗ったのは
2003年5月14日の掲示板の議論に於いて▼
言葉遊びを楽しもう!(Let's enjoy parody and jokes !)
「文化スケベ学」は2006年8月18日に創始▼
「文化スケベ学」とは何ぞや?(What is the Cultural Sukebelogy ?)
饂飩のルーツについて▼
2004年・鯉幟の町−加須市(Kazo and carp streamer, Saitama, 2004)
漱石門下の内田百閧ノついて▼
漱石の猫、即ち”吾輩”を追って
(Pursuing the SOSEKI's CAT, namely, 'Wagahai')

鬼ノ城の「温羅舊跡」の石碑▼
備中鬼ノ城と温羅伝説
(The GOD'S ROCK Kinojo and Ura legend, Okayama)

吉備地方を「桃の香り」で清めた話▼
風船爆弾は雅(みやび)な兵器(Balloon bomb is the elegant arms)
私の仲間の紹介▼
愉快な仲間たち目次(My favorite associates)

*** おしまい ***
2015.01.24 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2015.02.02 改訂


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