上田研而税理士、又の名をハリケーン上田
[プロレスラー擬いの洗礼名:#1]
(Hurricane Ueda)


エルニーニョの一言。   *** エルニーニョからの一言 ***

 この先生との出会いも実に不思議ですね。私がAnno ElNino(※1)に会社の税理士を探して居た時に、この上田先生を私に紹介したのが、何とゴトー(※2)でした。このゴトーというのは、詐欺師みたいなヤツで、好い加減な話しばっかり持ち込んで来ては私に尻拭いをさせて居ましたが、唯一のヒットがこの上田先生でした。私の知人の顧問税理士にはヤーさんみたいな人とか、金に困って顧客から借り捲っている人とか色々居ますが、この先生は大変実直な方です。ずっと会社の税務を見て貰っていたのですが、2001年の夏に脳腫瘍の手術をしてその後遺症で顔がヒン曲がって仕舞った(=”苦労半顔”)ので、遂に引退を決意され後任の藤原税理士に引き継いだ訳です。上田先生には唯一つ「限り無く脱税に近い節税」という注文を付けたのですが、この精神は藤原税理士に於いても生きて居ます。
 先生は2000年のミレニアムを記念して私の弟子に成り、「ハリケーン上田」というプロレスラー擬いの洗礼名を自ら付けて【エルニーニョの世界】の殿堂入りを果たしました。これで目出度く地獄へ行けることでしょう。
 顔の方はその後回復しそれと同時に03年2月より税理士稼業を再開しました。

基本データ
        ■沿革・営業時間etc

開業  :1970(昭和45)年2月24日〜2001年3月
     (名称:上田税務会計事務所)
     2001年4月から健康上の理由から一時引退
     2003年2月6日から新事務所にて再開
名称  :税理士上田研而事務所(登録番号第24388号)
税理士 :上田 研而
雅号  :上田 望堂(書道、俳句)
営業時間:09:00〜17:00
定休日 :土・日曜、祝日
エルニーニョの洗礼名:ハリケーン上田

 □自宅
住所  :〒665-0871
     兵庫県宝塚市中山五月台1丁目2番2号
TEL :0797-89-1202
FAX : 同上

 □大阪事務所再開(2003年2月6日より)
住所  :〒541-0046
     大阪府大阪市中央区平野町1丁目5番9号  井上ビル5F
TEL :06-6228-7224
FAX :06-6228-7311
Eメール:ken-ueda@s7.dion.ne.jp
URL :先生の自作サイト有り→関連リンクへ

     (外部サイトへのリンクを一括管理して居る為)
        ●ハリケーン上田氏の自己紹介

  ★経歴
1.1930年岡山県の吉備郡真備町(キビグンマビチョウ)でとれた元青年、まだまだ若いでしょう!でも若すぎるとは思いませんがネー。
2.太平洋戦争中、敵の艦載機グラマンに追われながら軍需工場に学徒勤労動員、勉強をしていないのが特徴でもあり僕の自慢。勿論英語は敵性語で使いません。
3.敗戦後アメリカ軍などが上陸、格好のよいジープに見とれ、「ギブミー・ア・チョコレート」を連発。
4.24歳で株式会社クラレに入社。会計課に配属される。
5.昭和31年(1956年)大阪本社に転勤経理本部、監査部兼務。
6.昭和45年(1970年)税理士試験合格、大阪本町に税理士事務所開設。
7.平成11〜13年腎臓ガン、前立腺肥大症、脳腫瘍、自慢ではないがその総てを切腹または切開手術、顔がひん曲がり、精の力は全く喪失、蟹のように横に横にふら付き歩く、始末の悪い病(ヤマイ)だ。
8.平成13年4月仕事からリタイヤする。
9.始末の悪い病だが、残念ながら次第に元通りになりつゝあるようです。平成14年12月やっと仕事に精力に意欲が湧いてきた。従ってどなたか私を安い値段で買いませんか?全て仕事はきちんとやりますから...。ご連絡をお待ち申します。
10.前記の通り。
11.書道は漢字、仮名とも師範免許保有。だから書類は比較的綺麗ですよ。ついでに申し上げますと、尺八は竹琳軒中尾都山の免許状所持、写真は現像引伸しは朝飯前、現像液は処方箋に従って調合、すべて自分でやります。写真屋に任せると碌なことをしないので心配ですネ!やっぱし、写真は「シャッター切り屋」ではつまんないですね。自分の現像液くらいは自分の処方箋で作らんとイカンなー。但しこれはモノクロームの写真のお話。カラー写真は経験ゼロですよ。
12.平成15年2月6日から大阪北浜で税理士事務所を再開。
    オワリ


  ★業務再開の挨拶
 ようやく今日、健康も次第に回復してまいりますと、家にじっとしていること自体に苦痛を感じます。悪い癖でしょうか、仕事の虫が突然目を覚まし、頭を擡げてまいります。各位のご声援もありますれば、益々意欲が湧いて参り、悩みに悩んだ末、とうとう事務所の再開を決心致しました。
 取り敢えず知人友人に立ち寄って戴いて、まあ、談話室みたいなものですね、せめて今年の確定申告の期間中は、新事務所で待機して、無料相談や確定申告事務をしようかと思っております。
 どうか皆様、交通の便利のよくない立地ですが、時々立ち寄って戴き、宜しく叱咤激励を戴き、併せて何かご用命いただけますならば、これに過ぎたる喜びはないと存じております。
 以上、税理士事務所再スタートのご挨拶とさせて戴きます。


  末っ子に 蹌踉めく独楽の 打たれける    望堂

  ★趣味
書道:師範免許保有
写真:写真屋級
俳句:自己満足
ギター、アコーディオン、マンドリン、油絵、水墨画:全て挫折
尺八:竹琳軒中尾都山の免許状所持、だがこれも挫折
最近はパソコン:但し小学生低学年並み
▼新事務所の地図
事務所の地図。
地図の距離目盛。


  ●ハリケーン上田氏の口上

写真1:ハリケーン上田氏の素顔。 手前生国はお江戸を離れること西に三百里、三備の鼎の備中の国でござんす。
 備中備中と申しましても些か広うござんす。備中の国は猿掛山、猿掛山の吹き下ろし、下を流れる小田川の流れでおいらの産湯を使い、餓鬼のころから嵐が好きで、ハリケーン、台風、竜巻、地震に雷・火事・おやじ、濁流、大水、津波に大火事、大喧嘩、何でも友達、流れ流れて浪速に出たが、今じゃあエルニーニョ深沢先生の、第五の子分に出世して、人呼んで「ハリケーン上田」と申すしがない税理士野郎で御座います。以後お見知り願って、どんどん仕事を持ってらっしゃい。
 ▲−−−先生、この写真よりあのヒン曲がった”苦労半顔(くろうはんがん)”の写真の方が断然面白いと思いますが、ムッフッフ!

  ●上田研而税理士の言葉 − ”無芸大食”
        (近畿税理士会東支部機関紙「ひがし」no.52掲載)

 私は現在毎週木曜日、業務を終えての帰路、阪急電車の雲雀丘花屋敷駅で途中下車して、書道教室に通うております。今から十年ほど前から始めたこのお稽古、上田望堂と云う雅号を頂戴して、まさに七十の手習いと云ったところ。これがまた何時まで続くかと、我ながら興味深いものがある。しかし、若い時代と異なり、齢を重ねてくるに従って、趣味として適当だと思われるものが、だんだんと少なくなってくる所為もあって、ほかに適当なものもないことろから、仕方なく長続きとなっているような気もする。
 しかし、私の場合、矢鱈と高価な紙を使うのみで、一向に練習の成果、つまり上達の兆しが見えないのが持ち味かも知れない。「洛陽の紙価を高める」等と云う洒落た故事もあるようだが...。
 よく考えてみると、よく考えなくても解っていることだが、書道にかぎらず、習い事というものは、所詮幼い頃から、幼くはないにしても、若い頃から一心不乱に練習に励み、鍛えに鍛えなければ本物にはならないことを思い知らされる今日この頃である。「一芸に秀でる」などと云う言葉があるが、その言葉の重みが、今更の如く身にしみる昨今、無芸大食、何の才能、特技も無いわが身が恥かいし次第である。
 悔ゆともその詮なし。この歳になって初めてそのことを悟り、如何に嘆けども、もはややり直しは、効かないのである。
 恥ずかしい話だが、私の習い事の遍歴の一部始終を打ち明けると、次の通りである。
 つまり、まず戦後間もなく、流行歌「湯の町エレジー」を近江敏郎という歌手によって大ヒット、そのギターの前奏曲や伴奏などが若者の心を捕らえたのが切っ掛けで、ギターの練習が流行した。私も友人と一緒に水島鉄道の倉敷駅近くにある「本澤ギター教室」の門を叩いた。まだ曲が満足に奏でられないのに、ギターをホッポリだして、次はアコーデオンの練習。岡山市の公会堂で開催された明治大学のマンドリンクラブの演奏会、これを見に行ったのが切っ掛けで今度はマンドリンのお稽古に、会社の上司に勧誘されて「都山流尺八」の練習に鞍替えして、仕事が終わるとその先輩に引率されて、小学校の校長先生でもあり、また都山流尺八の大師範の先生宅に通いはじめた。この方は初伝の免許を手にしたのであるが、音譜など、今見てもチンブンカンプン忘却の彼方に、免状返還請求があれば、何時にてもお返しするつもり。続いて始めたのが大原美術館の三橋画伯に油絵を師事、先ず、石膏の像を見てコンテでデッサン、始めたものの、これも何時しか尻切れトンボ、カメラや俳句も齧ってみたが、どれも中途半端、とても本物とは縁が遠く、人々は言う「糞ン蠅(クソンバエ=何にでも止まるが、すぐまた次へゆく)のような奴」と。
 そうこうしているうちに、大阪の本社の経理部に転勤。暫くして仕事に慣れたころ、又々上司のお誘いで池田市の小西画伯の自宅に連行され、水墨画を始める。
 今にして思うのだが、何でもよい、何か一つだけでよいのだ。人に自慢することのできる程度の芸能が欲しいなと。
 身についているのは、無芸大食だけ、これだけは本物かも知れないようである。残念。
      −− 平成14年7月15日(72回目の誕生日)記す

  ●書道について
[上田望堂 書道略歴]
   平成 六年 第三四回墨滴会全国書展入選
   平成 七年 第三五回墨滴会全国書展褒状受賞
         第四九回日本書芸院展第二科会員推薦賞受賞
   平成 八年 第三六回墨滴会全国書展秀作受賞
         第五十回日本書芸院展第一科会員推薦賞受賞
         日本書芸院教師免許状並びに看板授与
   平成 九年 第三七回墨滴会全国書展特選受賞
         第十四回読売書法展入選
   平成 十年 第三八回墨滴会全国書展糸満市長賞受賞
         墨滴会委員推挙
         第五二回日本書芸院展特選受賞
         第十五回読売書法展入選
         平成十年度墨滴会師範試験合格
   平成十一年 第五三回日本書芸院展特選受賞
         日本書芸院無鑑査会員
         日本書芸院師範免許状授与
   平成十二年 第十七回読売書法展入選
         ペン字誌ペン字及び毛筆細字共師範合格
   平成十三年 第三六回兵庫県書道展秀作賞受賞
         第四一回墨滴会全国書展委員の部努力賞受賞
   平成十四年 第三七回兵庫県書道展秀作賞受賞    
         第四二回墨滴会全国書展委員の部特別賞受賞(作品紹介有り)
         第十九回読売書法展入選(作品紹介有り)
         第三四回日展出展
[作品紹介]
 下が平成十四年、第四二回墨滴会全国書展委員の部特別賞、第十九回読売書法展入選を受賞した作品です。
上田望堂氏の「書」。
  <作品データ:望堂氏談>
    [1].題名
 「晩行(ばんこう)」と云う詩と「将至清源作(まさにせいげんにいたらんとするのさく)」と云う題名の詩の二つの詩を続けて書きました。一つの詩は40字です。
    [2].形式
 五言律詩の明詩、即ち40字からなります。二つの詩を書きましたので字数は80字となりました。
    [3].詩人
 「ケ汝楫(とうじょしゅう)」と云う明時代の詩人で、中国江蘇省江陰の人
    [4].作品の大きさ
 70p×175p、青系画仙紙、金箔入り
    [5].出品先など
 1.14.5月 墨滴会全国書展   委員の部 特別賞
 2.14.7月 読売書法展     入選
 


        *** エルニーニョからの二言目 ***

 良く出来ました先生、褒美に吉備団子(※3、※3−1)を3個上げましょう。ところで岡山と言うと新幹線のホームで桃を売っている桃娘が居ますが、私はあれを見るとつい桃尻娘(※4)を連想して仕舞います、ウォッホッホッホ!!

 尚、[プロレスラー擬いの洗礼名]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
 


 >>>■その後

  ●2005年2月5日、税理士廃業を決意

 04年秋からパソコン教室に通い遂に05(平成17)年に自分のサイトを開設し、当サイトに掲載して在った自己PR記事や旅行記を自作サイトに移設しました。と同時に税理士稼業から足を洗うことを決意、以後はパソコンを抱え「オタクな余生」を送ることになりました。
    {この記事は05年2月7日に追加}

 以上 

【脚注】
※1:Anno ElNino(A.E.)の意味については、最下行の関連リンクから参照して下さい。A.E.元年=1993年

※2:ゴトーとは名古屋市出身で明石市在住、今を時めく島津製作所上がりの風来坊。障害児を抱えているそうで私はゴトーに200万以上貸しが有ります。

※3:吉備団子(きびだんご)は、求肥(ぎゅうひ)を捏ねて丸め、白砂糖を塗(まぶ)した団子。岡山の名産安政(1854〜1860)年間創製で、本来キビ(黍)の実の粉で製したので旧国名の吉備に因んで名付けられた。
※3−1:求肥(ぎゅうひ)とは、(唐から渡った時、「牛皮」という文字を忌んで「求肥」と改めたと言う)求肥飴の略。

※4:桃尻娘(ももじりむすめ、pink-hip girl)は、出版界の鬼才(奇才)・橋本治の造語。1978年に『桃尻娘』を出版し広まる。その後『桃尻語訳 枕草子』など、数々の「桃尻」物を出版して居る。
 因みに、橋本治は1968年の東大駒場祭で、当時東大闘争の最中に「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが 泣いている 男東大どこへ行く」というポスターで話題を攫(さら)った。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

以上の様にハリケーン上田先生の温厚で豊かな感性は
「挫折を知る趣味人」の賜です。

関連リンク
投稿文(Reader's contribution):ハリケーン上田の紀行文▼
ハリケーン上田の2001年・バリ&ジャワ放浪記
(Bali and Jawa by Hurricane Ueda, Indonesia, 2001)

Anno ElNino(A.E.)について▼
有限会社オメガシステムの事業内容
(Business contents of OMEGA SYSTEM CO.)

藤原税理士について▼
藤原税理士事務所(Licensed tax accountant Fujiwara office)
玉龍雪山に”苦労半顔”の妙薬有り(04年2月に発見)!▼
2001年・麗しの麗江(Beautiful Lijiang, 2001)

*** おしまい ***
2002.12.25 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2005.02.07 改訂


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