脛を骨折してから早10ヶ月。いよいよこの10ヶ月間折れた骨を支え補助してくれていたプレートとボルトを取り出す(抜釘)の時を迎えることとなりました。
そういったわけで、退院後の主な出来事(こちらは日記ではありませんが)と抜釘の様子を骨折日記の続編として載せてみました。
骨折から退院までの流れ(日付けはすべて2004年) |
日付又は入院からの数え週 |
主な出来事(その週の日記) |
4月24日(土) |
月山スキー場にて右足の脛を骨折し、入院。
骨折事故についてはこちら |
第1週
4月25日(日)
4月28日(水)
4月30日(金) |
骨折後に搬送された病院で、治療を受けることに決めた。
骨接合の手術を受けた。
リハビリ開始。 |
第2週 |
手術後、麻酔の副作用で苦しめられた。 |
第3週
5月12日 |
抜糸をしたあと、ギプスを巻きなおした。 |
第4週
5月19日 |
ギプスカット。足の感覚が鈍い。右足の着地はまだ不可。 |
第5週
5月27日(木) |
リハビリメニュー追加。 |
第6週
5月30日(日)
6月 5日(土) |
手術後1ヶ月経過。
外出という冒険をしてみた。 |
第7週
6月 8日(火)
6月11日(金) |
リハビリで骨折した足へ体重の1/4だけ加重をした。
さらに1/3まで加重UP。 |
第8週
6月16日(水) |
1/2まで加重UP(杖なしで起立できるようになった)。 |
第9週
6月23日(水) |
加重2/3までUP(1本松葉杖になる)。 |
第10週
6月30日(水) |
やっと全加重(これで片足でたてる→歩くときには松葉杖不要)。 |
第11週
7月 6日(火) |
そして退院。 |
7月8日(木) 退院後地元の整形外科へ その1
近所の整形外科へ診察を受けに行った。
30分ほど待って順番が回ってきた。
早速、骨折の経緯を話すと、「それは不運でしたね。」といわれた。さらに、退院のときにもらった紹介状と、骨折時と手術直後のX線写真を見せた。
すると、先生はフムフムと写真を見ながら紹介状を読んだ。その後、痛いところはないか、足首の曲がり具合、足を軽くたたいてひびかないかをチェックした。
次にX線撮影。
骨は順調にくっついているとのこと。ただし、くれぐれもひねったりしないように注意するように言われた。
次回の診察は2週間後になった。
7月22日(木)退院後地元の整形外科へ その2
退院後、2回目の診察。
今回の診察内容は、屈伸運動、1本足立ちを見て状態をチェック。特に問題はないようだ。
次のX線写真で見てもしっかりついていて問題がないようだ。ネジ(ボルト)のゆるみもない。
今回の診察では次のことを注意された。
@骨に柔軟性がないので、ひねりは厳禁(もしひねるようなことがあったらすぐに来ること)。
Aネジがゆるむと痛くなるので、痛くなったらくるように。
B2ヶ月に1回くらいのペースで通院すること。
日常生活には全く問題はなくなった。
しかし、階段を下りるときや早歩きのときは、誰が見てもわかるくらいかばっている。
9月28日(火)退院後地元の整形外科へ その3
3回目の診察順調とのこと。
年内中に山に登っておきたかったので、どの程度まで運動してもいいか効いたところ、サッカーの試合フルタイム出場のような激しい運動はいけないが、登山だったら大丈夫でしょうとの回答がもらえた。
次の診察は2月上旬ころにくればいいとのことだ。
モコモコさんに、「登山してもいいって。」と伝えたら、「じゃあどこに行こうか」と早速計画が始まった。
このころになると早歩きや階段を普通に降りるときには、すっかり元通りになっている。
駆け足(全力疾走は無理で、小走り)や階段を駆け下りるときにかばう程度。
2005年1月5日 抜釘へ向けて その1
年が明けたので、抜釘をいつごろできるようになるかを聞きに診察へいく。
X線写真の結果、いつでも抜釘してもいい状態までになっているとのこと。
「紹介状をかきますよ。」といわれたが、すぐには休みの都合がつかないので、次回お願いすることにする。
次は2月上旬に診察を受けに来るようにといわれた。
いつもはこれで終わりだが、正月早々歯が痛み出したので歯医者へと医者のはしごをした。すると、かぶせた中が傷んでうみがたまっていることのこと。延々とけずられた挙句、今回だけでは削りきれず薬をつめられた。さらに化膿止めの内服薬までだされた。当分お酒は飲まないようにとの注意付。
どうやら歯のほうも足同様、長期戦になりそう。とほほ・・・。
こうなったら、完全な骨格めざして治療に専念しよう。
2月4日(金) 抜釘へ向けて その2
今日も歯医者と整形外科のはしご診察。
まずは、歯医者にいって、今回やっと苦しめられていた歯の型をとった。なんでも歯全体を覆うようなものになるらしい。なんだか歯もターミネーター化してしまうが、もう削らなくてすむなと思うとなんとなく気分がよくなった。しかし、前回の治療で、今後親知らずを抜かないといけない(※)といわれているのとほかにも治すところがたくさんあるといわれているので、終了までまだまだ。
次は整形外科。
休みの大体の日程が決まったので、紹介状を書いてもらった。そのとき、プレートが大きいので、抜釘後、3ヶ月から半年間はサッカーなどの激しい運動はしないようにと注意された。
なんだか今日は、骨折日記ではなく虫歯日記になってしまった感じなのでついでにもうひとつ出来事を載せてみた。 先日帰省したときに、実家に預けっぱなしになっていたスキー板(山人とモコモコ二人分)とブーツ(モコモコのは両足分と山人のが右足分(左足は病院まで履いていったので、荷物と一緒に先に帰ってきた。))を送っていたのが先日届いた。
なんだか物事がいい方に向かってきた予感がしたので、吾妻小舎へ行ってみようかとやる気が出てきた。ブラブーツはプレートがあたって履けないので、革靴+細板でスカイライン経由でのアプローチのつもりだ。試しにブーツを履いてみた。すると一気にやる気急降下。やはり違和感があり、どうやら無理そうだ。
せっかく抜釘できるようになったのだ。今回はいさぎよくあきらめよう。
(※)見た目は生えていないが、埋まった状態で真横に生えていて前の歯を押しているため歯周病になりかけているらしい。
モコモコメモ
歯医者さんは、抜く気満々で危うくその場で抜かれそうになったらしい。
真横に生えているのを抜くのはとても大変で、歯茎を切った後、歯を砕かないと抜けないらしい。
2月14日(月) 病院からの連絡
夜に電話が入った。
なんだろうと思っていたら、寒河江の病院からだった。
先日送った紹介状が無事届いて、手術の日が決まりましたとのことだ。
入院は、手術の前日からで、いろいろと手術前の検査をするので、入院当日は9:00までに病院に来てくださいといわれた。さすがに当日の朝出発して9:00までに病院にいくのは無理なので、前夜のうちに寒河江に入っておくことになる。 必要な書類は送ってもらうことにした。いよいよそのときが近づいてきたといった感じだ。
2月18日(金) 行き当たりばったり
水曜日に届いた病院からの書類を見てみたら、分からないことがでてきたので、電話をして聞いてみた。ついでに入院期間はどれくらいになるのかも聞いてみたが、これは分からないとのこと。
どうやらじっくり治療した前回と違って、退院は行き当たりばったりになりそうだ。
2月19日(土) 酒田へ旅行
骨折とは全く関係ないが、久しぶりにモコモコさんと連休で休みが合ったので旅行に出かけた。
いろいろ悩んで決めた行き先は山形県の酒田だ。
酒田には来たことはあっても街を見たことはなく、モコモコさんにいたっては通り過ぎたことがあるだけ。
酒田はさすが歴史のある街でなかなか見ごたえのある町だった。
鳥海山が見えなのが残念だったが、とてもいい旅になった。
2月25日(金) 書類と歯医者
あっという間に週末になってしまった。来週はいよいよ入院だ。
それに備えていろいろ書類に書き込んだりした。モコモコさんは覗き込みながら「こんな書類あったんだー、忘れてたよ。」とか、「前は・・・って書いたよ。」などと言っている。
今回は、やはり多少の不安はあるが入院期間が短いので、やはり気が楽だ。歯医者に例えると、前回の入院はひどい虫歯を延々と削られ、やっと型をとるところまで行き着いたという感じで、今回の入院は、削った歯にかぶせ終わったあと、形成して歯石をとる感じ、というくらいの差がある。
明日、あさってはいろいろと準備をしなくては。
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