検証!なぜ骨折事故は起こったのか?

概要
平成16年4月24日、月山スキー場にて右脛骨遠位端骨折・右緋骨近位端骨折。スキー場の救助隊によって救出される。山形県内の病院へ救急車で運ばれ約2ヶ月半の入院生活を送った。
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原因その1   山行準備不足とモチベーション低下
 
月山〜肘折温泉スキーツアーの計画は3週間前からも決まっていた。私自身、ガイドブックや後輩さいとーの記録・写真を見たり調べたりしてとても楽しみにしていた。仕事の都合上5月のGWはまとまった休みが取れず、おそらくこの山行が板納めになるだろうと思っていた。

4月17日(土)
雁ヶ峰スキーツアーに行き足慣らしはまずまずの状態だった。あとは24日(土)に備えて山行準備を進めて出発を待つばかりの週になるはずだった。

21日(水)が休みで絶好の準備日だったにもかかわらず一日ぼーと過ごしていた。レンタルビデオ屋に行ってビデオを借りてきて一人喜んで見ていた。夕方帰宅したモコモコさんに「今日一日何やっていたの、もう〜」と怒られた。非建設的な一日だった。
この日にせめて、スキーを袋から出してワックスがけしていれば、すんなり滑っていて骨折しなかったかもしれない。ワックスがけがきっかけになり滞りなく準備を進めて終わらせていたかもしれない。道具を大事にする気持ちが足りなかったと反省する。

22日(木)は帰りが遅くなる勤務で家に帰ってからの準備は思うようにはかどらなかった。モコモコさんはこの日、山行の買出しをしている。モコモコさんには肉以外の準備をしてもらい、山に持って行く肉の下準備は明日の出勤前に私がやるとモコモコさんへ宣言。

23日(金)も22:00頃の帰宅になった。家に入るとモコモコさんが怒っている。山にもって行くはずの、肉の下準備をすっかり私が忘れてしまったためだ。朝出勤する前に、肉にめんつゆを染み込ませて冷凍庫に入れておけば、カチンコチンに凍っているはずだった。
それが、モコモコさんが帰宅して冷蔵庫を開けてみるとそのままの状態でお肉が鎮座していた。カチンとなったのはモコモコさんだった。結局モコモコさんが下味をつけて冷凍庫に入れたが、やはりカチンコチンとはいかなかった。遅い夕食を急いでかきこみ食べた。時間があればシャワーを浴びる予定だったが、それもかなわず足だけをなんとか洗うだけだった。山行準備もラストスパート。緊急事態発生!

私が愛用しているザック(バランスライト40 モンベル製)に装備が入りきれなくなってしまった。そこで、モコモコさんの一回り大きいカモシカザックを借りてパッキングしなおした。理由として嗜好品が多すぎるの一言に尽きるのではないかと思う。
我々は宴会山行を主体とした重装備だった。ちなみに、夕食は白菜汁。白菜1/4と肉を2パック。ワイン赤・白各一本・ビール・缶チュウハイと二人が飲み食いする分には十分過ぎるほどの物量だった。

パッキングしなおして、ようやく出発することとなった。出発場所の東京駅八重洲駅には23:30頃到着。仙台行き23:55発には十分間に合ったが、私の心と体は妙に疲れていた。

春の月山スキーツアーを甘くとらえ、「山の準備なんかいつでもできる」といったおごりが頭の片隅にあったのだろう。楽しみにしていたにもかかわらずこうして、私の山行準備は出発当日までガサゴソしていた。
原因その2   天候状況と当日の様子@

 4月下旬ということで、装備に関しては雨具とキャップ帽子で滑ろうと考えていた。私の頭の中では、ポカポカ陽気の大斜面、眩いばかりの青空のイメージが出来上がっていた。しかし、現実は違っていた。思いもよらぬ、寒気がはいり込み月山は真冬に戻っていたのだった。本来なら西川バスストップから直接姥沢まで行く予定だった町営バスが大雪の為、志津止まりになった。ここから運命は、月山から私を遠ざけようとしていたのかもしれない。

HPの4月21日(水)の掲示板を検証してみると「天気は雨ではなさそうなので気分的に良いです。」や「夕食の献立はなににしようかな〜。酒は何もっていこうかな〜」などと書き込みしていた。、お気楽状態だったのです。天気には無関心。頭の中は、食べ物と酒、楽しい避難小屋生活、いままで滑ったこともないような大斜面、月山ツアーが待っている。ワクワクだ〜。うれしいな〜。という感じだった。実際、この日はノホホンと過ごしてしまった。

さらに掲示板を検証してみると、バイカルアザラシさんより4月23日(金)に『昨日の天気予報では、今週末は寒気が入るとのこと、山での注意も添えられてました.天候の激変には気をつけてくださいね』との指摘を受けたにもかかわらず、それが生かせなかったことが残念です。このとき、しっかり天気図等で調べていたらと後悔しています。

なんとか、スキー場へ到着したが、外は思い描いていた天気とは程遠く冬そのものだった。このような天気では無理かなと思いつつも、取り敢えずリフトで上まで登って判断することにした。更衣室で着替えを始めた。今回は、雨具とキャップで滑る予定だった。しかしながら、吹雪いている状態で「キャップは耳が寒くていやだな〜正ちゃん帽持ってくればよかったな〜」と愚痴っていた。正ちゃん帽はとてもお気に入りの帽子で、山スキーシーズン中はずーと一緒だった。まさに山行には欠かせない存在になっていた。お陰で耳は寒いは、頭はスースーするは、いつもと違うわで心は落ち着かなかった。

後日談になるが、あれほど被りたかった正ちゃん帽だがなんと、しっかり当日持ってきていたのだった。最終日に温泉で汗を流す予定だった。そこで、着替えと一緒の袋に入れていた。あらかじめ天候を予測してしっかりとパッキングできていたら、キャップと正ちゃん帽は逆の立場になっていたはずだ。ザックのそこに埋まっていたのは悔しくてならない。

こうして私は寒々しい装備で滑ることになった。正ちゃん帽は私に滑るな危険と存在を隠すことで知らせていたのかもしれない。
原因その3〜天候状況と当日の様子A

リフトを使ってとりあえずトップまで登ってみることにした。リフトに乗っているいる間も耳が寒くて仕方がなかった。雪面がどのようになっているのか分からず平衡感覚を鈍らせる。吹雪いている状態で視界が非常に悪く無理と判断する。森林に守られていない山での行動と初めてのルートということもあって中止したことは正解だと思う。

この時点で縦走は無理になった。避難小屋に泊まる予定だったので当然宿もない。急遽、姥沢にある何件かの民宿へ電話を掛けて今夜の宿を確保することができた。これで一安心。明日は、スキー場をベースにして適当なところを滑ろうということにした。お昼近くになったので、休憩を兼ねてメシにした。そんなにお腹は減っていないので、私は軽くおでんと珍しい地ビール「月山ビール」を注文した。ビールは一本だけだが、やはりこれがまずかったのだと思う。

その後、ゲレンデを数本滑り「最後にあと一本滑って上がろうか」とモコモコさんと話していた。ビールのせいなのか気持ちが大きくなり、最後の一本は他のテレマーカーよりかっこよく滑ろうなどとスケベ根性が心のどこかにあった。月山スキー場はゲレンデとはいっても山である。それを忘れていたのかもしれない。かっこなんかどうでもいい、無事に下りてくるのが山でスキーをすることなのだ。

天気は相変わらず悪かった、吹雪いていて視界を遮っていた。ガスが、平衡感覚を狂わせていた。ガスの隙を突いて視界が幾分良くなるを待って滑るといった状況だった。下の方で、一人のテレマーカーがガスの中かっこよく滑っていった。痺れをきらして僅かなガスの隙を突いてモコモコさんが先に滑っていった。私も、下がうっすらと見えた瞬間を狙ってモコモコさんの後を追った。3ターンぐらいして訳も分からず恐らく前方に一回転するように(右足をひねるように)転倒したと思う。後日X線写真を見ると上と下の部分の二箇所が折れていた。スキーがてこになりぞうきんを絞るような力が加わったと考えられた。

こうして私は骨折した。
反省と教訓
◎春山ということで山を軽視していた。春に限らず、山には真摯な気持ちで向き合う。
◎山準備は計画的にしっかり行う。
◎道具は必要なものはすぐに取り出せるよう整理にする。
◎酒・食料は適量にする。
反省と教訓
◎山行前に天気予報はしっかりとチェックする。
◎装備がどこに何があるか、しっかり把握する。
反省と教訓
◎スキーに限らずお昼にビール(アルコール類)は飲まない。
◎山では安全に慎重に滑る。スピード出しすぎない。
◎視界の悪いときは慎重に滑る。
最後に
なんだか、当たり前のようなまとめになってしまいました。ケガや事故はただ単に運が悪かったというものもあるかと思う。今回の私のケースに限っては運命の「骨折事故のレール」にすんなりと乗ってまった。幾度か、安全エリアへ向かうポイント切り替えのチャンスがあったのにも関わらず、すべてにおいて悪条件が重なってしまった。私自身が原因も多々ありお恥ずかしい限りです。

事故からだいぶ日がたってしまいましたが、このように事故についてまとめることができて私自身、満足しています。反省するべきことは反省し、身をもって知った教訓をこれからの登山に生かしていきたいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。参考になると思って読んでいただいた方は、薄っぺらな内容で申し訳ありません。皆様の安全登山を祈りいたします。

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