鹿児島の民家
鹿児島の民家は、居室部と台所部が別々の棟から構成される二棟造を基本とする。同様の分棟型の民家が日本列島の太平洋岸に点在することから、黒潮の流れに乗って伝播したのではないかと云われ、その鹿児島はその源流点に位置する。しかし台風銀座とも云われる立地条件から、民家の残存率は決して高くない。ましてや茅葺の民家は殆どが瓦屋根に葺き替えられ、皆無と云ってよいほどに残されていない。
鹿児島においては、個々の民家を訪ねるよりも知覧や出水、入来といった県内各地に点在する麓集落を隅々まで探索すると面白い。緑と石垣に囲まれた独特の集落景観は鹿児島でしか味わえない。但し、旧薩摩藩領には113の麓集落があったと云われており、集落廻りにはまってしまうと、鹿児島に住みつくことになってしまうかも。
 
二階堂家住宅 国指定重要文化財(昭和50年6月指定)
鹿児島県肝属郡高山町新富字神ノ市5594
建築年代/文化7年(1810)
用途区分/郷士
指定範囲/主屋(オモテ・ナカエ)
公開状況/公開
大隅半島の中央部、高山町に所在する郷士住宅である。高山は中世における大隅国の覇者・肝付氏の本拠地で、戦国期に島津氏に滅ぼされた後は薩摩藩の外城がこの地に置かれた。当住宅は肝属郡の惣社である四十九所神社門前に広がる麓集落とは城山を挟んで反対側の高山川沿いに他家とは離れて所在する。民家緊急調査報告書には当家の祖先は山伏とあり、特殊な家柄故であろうか。薩摩地方に典型的な分棟型の主屋は解体修理時に位置を変えたものの、往時の雰囲気をよく残している。
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祁答院家住宅 国指定重要文化財 (昭和50年6月23日指定)
鹿児島県伊佐市大口里1855
建築年代/江戸時代(18世紀前半)
用途区分/郷士
指定範囲/オモテ・ナカエ・ウスニワ
公開状況/非公開
伊佐市は鹿児島県の北端に位置する町で、その中心地である大口は薩摩外城制による大口筋の主要麓として江戸時代初期に整備された郷士集落である。当住宅は大口の地頭仮屋の跡地である大口小学校の南方に所在しており、上之馬場に西面し、中世の城跡である城山を背にした高台に玉石垣を築いて屋敷を構える。主屋はオモテ(座敷)、ナカエ(台所)に分かれる分棟型で、これにウスニワ(納屋)が更に付属するため、三棟連立式の形態を取る。分棟型としては古い遺構で貴重な存在である。
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増田家住宅  国指定重要文化財 (平成26年12月10日指定)
鹿児島県薩摩川内市入来町浦ノ名77
建築年代/明治6年頃
用途区分/医家
指定範囲/オモテ・ナカエ・石蔵・浴室便所
公開状況/公開
平成15年2月に重伝建地区に選定された薩摩外城の1つ、入来麓に所在する旧医家住居である。樋脇川が大きく蛇行する舌状台地に築かれた旧武家屋敷群のうち、地頭仮屋の跡地である入来小学校の北方に位置する当屋敷は、明治初期の廃仏毀釈により毀された延命院の跡地に建てられたもの。当地の領主・入来院家の侍医を務めた今村家の分家筋の住宅で、眼科を営んだと云う。薩摩地方の武家住宅の系譜を引くという二棟造の分棟型住居で、座敷棟のオモテと台所棟のナカエに分かれている。
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森家住宅 鹿児島県指定文化財 (平成20年4月22日指定)
鹿児島県南九州市知覧町郡6354
建築年代/江戸時代(18世紀中頃)
用途区分/郷士
指定範囲/オモテ・蔵
公開状況/外観のみ公開
重伝建地区に選定される知覧の武家屋敷集落に所在する郷士住居である。知覧は薩摩藩領内に分散配置された外城のうちの1つで、佐多氏が私領主として代々治めた地である。当家は佐多氏の家老職を務めた家柄で、住宅は中世の城跡である亀甲城に最も近い西麓に所在する。そもそもはオモテ(居室棟)とナカエ(台所棟)を別棟とし、これを直角の棟で繋ぐいわゆる「知覧型」の住居であったが、現在はナカエが取り除かれ、屋根も茅葺から桟瓦葺に改められるなど単調な外観と化している。
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佐多直忠家住宅  鹿児島県指定文化財 (平成20年4月22日指定)
鹿児島県南九州市知覧町郡6109
建築年代/江戸時代(19世紀初期)
用途区分/郷士
指定範囲/オモテ・腕木門・目隠し
公開状況/外観のみ公開
指宿温泉と並ぶ薩摩半島の観光中心地である知覧武家屋敷群に所在する旧郷士住宅である。薩摩には113もの外城があったとされるが、その中でも知覧麓は群を抜いて美しい集落である。当家は知覧の旧領主であった佐多島津氏と同姓であることから、その一族と推測されるが、屋敷の外構に切石積の石垣を施し高い格式を窺わせる。往時の主屋は、知覧型二棟造の茅葺建物であったとされるが、現在は台所棟のナカエは建て替わり、居室棟のオモテのみが残るが、残念ながらこれも瓦葺屋根に改修されている。
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税所家住宅 出水市指定文化財 (平成7年9月5日指定)
鹿児島県出水市麓町5-11
建築年代/江戸時代(19世紀初頭・推定)
用途区分/郷士
指定範囲/主屋・祠
公開状況/公開
薩摩国の北西部に位置する出水郷は、肥後国との藩境にある外城として最も重要視された地である。関ヶ原合戦の前年から整備が始まり、約30年の年月を要して薩摩藩内における最大級の外城となった。当住宅は地頭仮屋から比較的近い位置にあり、竪馬場通に東面して表門を構える。代々外城の政務に携わる「郷士年寄」という重職を務めてきた上級郷士の家柄で、住宅は半農半士的な生活を余儀なくされたと云われる郷士身分ながら、入母屋屋根付きの式台玄関を構え、座敷も整う本格的な武家住居である。
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竹添家住宅 出水市指定文化財 (平成7年9月5日指定)
鹿児島県出水市麓町5-17
建築年代/明治時代初期
用途区分/郷士
指定範囲/主屋・隠居離れ
公開状況/公開
当住宅は薩摩最大の外城と云われる出水麓にあって、地区内の幹線である仮屋馬場と竪馬場が交わる最も重要な位置に所在する郷士住居である。薩摩の屋敷構えは目的別に小規模な建物を邸内に分散配置させる傾向を持ち、当家も主屋以外に土蔵や納屋、馬屋などの建物が不規則に建ち並んでいる。また主屋も分棟型から発展した薩摩という地域性を顕著に示すもので、座敷棟と隠居棟、台所棟などの各々小規模な独立した建物が組み合わさって1つの平面を構成している。
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伊牟田家住宅 出水市指定文化財 (平成7年9月5日指定)
鹿児島県出水市麓町18-31
建築年代/江戸時代(18世紀末・推定)
用途区分/郷士
指定範囲/主屋・便所・井戸
公開状況/非公開
出水郷は平良川を挟んで東西の高台に形成された薩摩藩内最大の外城である。東の高台は「高屋敷」、西の高台を「向江」と称するが、特に江戸初期の町割を今に伝える高屋敷は平成7年に国の重伝建地区に選定されている。当住宅は、その高屋敷の北東端に所在する郷士住居で、主屋の規模は決して大きなものではないが、街路に面して座敷・次の間・玄関間の接客空間を一列に配置し、これに居室棟を直交させる間取りは古い形式を示すもので、地区内最古の18世紀末の建築と推定されている。
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伊藤家住宅  出水市指定文化財 (平成7年9月5日指定)
鹿児島県出水市麓町18-53
建築年代/明治時代初期
用途区分/郷士
指定範囲/主屋・土蔵・納屋馬屋・風呂・便所・祠・中門・井戸
公開状況/非公開
国の重伝建地区に選定される出水麓に所在する郷士住宅である。当家は藩政期には外城の政務を預かる「郷士年寄」を務めたという上級郷士の家柄である。麓の中心施設であった地頭仮屋の東端から南北に通る諏訪馬場沿いに西面して屋敷は構えられており、玉石垣上に背の低い板塀を廻らせ、北端側に表門を開く。主屋は明治時代初期の建物で明治33年に改築されたと伝えられるが、地区内の住宅としては最も付属建物を含めて往時の風情を留めるものである。
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田中家住宅 鹿児島県指定文化財 (平成18年4月21日指定) 
鹿児島県霧島市福山町福山2926
用途区分/実業家(海運業)
建築年代/大正8年〜11年(1919〜1922)
公開状況/公開
黒酢の町として知られる福山町出身の田中省三が郷里に立てた別荘建築である。田中は明治時代半ばに大阪に出て海運業を興し成功、その後も保険、工業、鉱山、銀行等に事業を広げ、関西実業界の重鎮となった人物である。大正4年には衆議院議員にも推されている。座敷棟、洋間棟、居住棟、台所棟、蔵から構成される近代和風建築で、大規模で良質の建築が少ない鹿児島県にあって、わざわざ阪神方面から資材を運び造営した住宅である。庭園も昭和50年に町史跡に指定されており、美しい屋敷である。
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山中家住宅 志布志市指定文化財 (平成16年7月28日指定)
鹿児島県志布志市志布志町志布志2-19
建築年代/明治15年
用途区分/商家
公開状況/非公開
鹿児島県の東端、宮崎県との境にある志布志市の旧浦町に所在する商家建築である。かつて志布志は鹿児島に次ぐ湊町で、多くの廻船問屋を営む富商が軒を連ねたというが、その面影は殆ど残っていない。何となく古い町の雰囲気は漂っているのだが、実際には藩政期の町家は皆無に等しい状況である。その中で当住宅は明治の建築とはいえ、往時の面影を伝える土蔵造ニ階建の大型の町家である。地元では歴史資料館として移転整備を検討しているらしいが、是非とも現地に残すべきであろう。
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有村家住宅
(二ツ家)
知覧町指定文化財
鹿児島県川辺郡知覧町郡6233
旧所在地・鹿児島県川辺郡知覧町瀬世5339
建築年代/江戸時代末期(19世紀初頭)
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
当住宅は昭和57年に知覧町の中心部から南へ約4kmの瀬世中集落より知覧重伝建地区内に移築された農家である。町が文化財に指定した際に、「二ツ家」と命名したため、その名が一般化してしまったが、本来は「有村家住宅」とすべきであろう。移築に際して、座敷や納戸に見られた改造も当初の姿にきちんと復元されているようである。九州南部に多く見られる分棟型の民家に分類され、屋根と屋根の間を雨樋で繋がずに小棟を直交させて繋ぐ手法は、この地域独自のもので特に「知覧型」と呼んでいる。
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横峯家住宅  登録有形文化財  (平成19年7月31日登録)
鹿児島県南九州市知覧町永里1226
建築年代/明治10年(1877)
用途区分/農家
登録範囲/ナカエ・オモテ
公開状況/非公開
薩摩半島の東南部に残る知覧武家屋敷群の南方4km程の田園地帯に所在する農家建築である。当家と同名の横峯集落の中心部に広い屋敷地を持ち、周囲を樹木に囲まれるようにして所在するので、相応の家格であったと推測されるが、平成の世に集落の方に聞いても「金持ちやった」としか判らない。当地方独特の分棟型民家の一形態である知覧型二ツ家の遺構として貴重とされるが、実際、自然災害が多く、湿潤な気候の県内で、行政による復原工事の手が入っていない民家に茅葺屋根が残る例を初めて見た。
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中俣家住宅 登録有形文化財 (平成20年10月23日登録)
鹿児島県指宿市西方字宮ヶ濱中4674
建築年代/明治後期(昭和36年移築)
階層区分/商家(呉服商)
登録範囲/主屋
公開状況/非公開
砂蒸し風呂で有名な指宿温泉から5kmばかり鹿児島市寄りの海岸通沿いに宮ヶ浜という地区がある。嘗ては、ここが指宿市の中心市街であったというが、現在においてはその面影を見るべくも無い。当住宅は、この宮ヶ浜に所在し、呉服商を営んだという商家建築である。穏やかな傾斜の桟瓦屋根を三段に重ね、軒下を塗り籠める造作は、他では見られない独特の形式である。民家好きには馴染みの相模書房刊「民家巡礼」にも所収される住宅で、これ程までに特徴的な外観を呈する町家は珍しい。
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坂本家住宅  登録有形文化財 (平成20年10月23日登録)
鹿児島県指宿市西方宮ヶ濱中4681
建築年代/大正11年(1922)
用途区分/商家
登録範囲/主屋
公開状況/非公開
JR指宿線の宮ヶ浜駅に降り立ち、薩摩湾を臨むと幕末に築造された石積堰堤が三日月状に伸びる美しい風景に出会うことができる。当地区は指宿発祥の地と喧伝されるが、今ではこの堰堤と僅かに残る明治・大正期の商家数棟の存在を除けば、往時の繁栄振りを偲ぶことさえ難しくなりつつある。当住宅は国道226号線に面して建つ商家建築で、妻側屋根を三段葺にする特異な姿が印象的である。住宅が建てられた時分には少し内陸に入った池田湖近くの金鉱山労働者向けに作業服の製造販売を行っていたとのこと。
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蜷川家住宅  登録有形文化財 (平成20年10月23日登録)
鹿児島県指宿市西方西ヶ濱4682
建築年代/大正2年(1913)
用途区分/商家
登録範囲/店舗兼主屋
公開状況/菓子店として営業中 (蜷川菓子店)
鹿児島県内で最も著名な温泉地の一つ、指宿温泉の手前にある宮ヶ浜集落に所在する商家建築である。地元では同時期に文化財登録された中俣家や坂本家と併せて宮ヶ浜商家群と称し、観光資源化を図っている。国道226号線に西面する主屋は、残念ながら道路拡幅工事の際に前面の庇が除かれたとのことなので、当初は周囲に残る商家と同様に三段屋根であっのだろう。そもそもは貸家として建てられたもので、十五銀行や歯科、時計店を経て昭和初期から菓子店として用いられている。
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高城家住宅 無指定・公開
鹿児島県南九州市知覧町郡6329
建築年代/明治中期
用途区分/郷士
公開状況/公開・但し飲食店として営業中
昭和56年に国の重伝建地区に選定された知覧麓に所在する郷士住宅である。知覧型の二ツ家として紹介されており、居室棟に当る「オモテ」と台所棟に当る「ナカエ」の二つの棟を並立させる分棟型の様式を基本に両者を小棟で繋げる方式を取る。昭和の初め頃にナカエを取り壊し、オモテのみが残されていたが、平成6年に旧態に復したとのことである。知覧の重伝建地区内に当初から残る茅葺の郷士住宅は、復元とはいえ当家だけであり、往時の風情を感じさせてくれる貴重な存在である。
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武宮家住宅 無指定・公開
鹿児島県出水市麓町8-25
建築年代/江戸時代(19世紀中頃)
用途区分/郷士
公開状況/公開
肥後との国境に設けられ、薩摩藩最大の外城であった出水麓に所在する郷士住宅である。国の重伝建地区にも指定されるため古い建物が数多く残されているように錯覚するが、江戸時代まで建築年代を遡る住宅は僅かに5軒のみで、当住宅はそのうちの1軒である。屋敷は外城の行政庁である仮屋の西隣に位置し、藩政期の禄高は僅か44石ながら重職である郷士年寄を務めたとのことである。近年まで子孫の方が居住しておられたので、住宅には改造部がそのまま残り、建築年代に違和感を覚えるのは仕方のないところか。
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宮路家住宅 無指定・公開
鹿児島県出水市麓町
建築年代/明治37年
用途区分/郷士
公開状況/外観公開(平成23年現在)
国の重伝建地区に選定される出水麓の北東部に所在する郷士住宅である。諏訪神社の前を東西に通る菱刈道に面する広大な敷地に切石積の石垣塀を廻らせ、入母屋屋根の式台玄関を附属させた大規模な主屋は地区内で最大規模の住宅ではないかと思われる。明治37年の建築と推定されるが、平面構成は地区内の江戸期の古い建物と相違ないものである。NHKの大河ドラマ「篤姫」のロケ地として使用されたことから外観公開されておられるが、とにかくこのような住宅を拝見でき、とても有難いことである。
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