田中家住宅
Tanaka


県指定文化財 (平成18年4月21日指定)
鹿児島県霧島市福山町福山2926
用途区分/実業家(海運業)
建築年代/大正8年〜11年(1919〜1922)
公開状況/公開
地元・福山町出身の田中省三が郷里に立てた別荘建築である。
田中は明治時代半ばに大阪に出て海運業を起こし成功。その後も保険、工業、鉱山、銀行等の事業を興し、関西実業界の重鎮となった人物である。大正4年には衆議院議員にも推された。
田中は当然のことながら本宅を大阪に構えていたため、当地に残される住宅は、帰郷時の住まいとして使用するためだけのものであり、生活感の乏しい住まいである。
けれども、その規模は壮大で小さな町の中にあって際立つ存在ではある。
屋敷地の北側に建物を集中させ南側の大半を庭園に割くなど、都会の喧騒を逃れ、邸内でゆっくりと静養するに適った配置を心がけているようだ。
現在の福山の町は健康ブームに乗って黒酢の産地として脚光を浴びつつあるが、確かに町に入ると独特の酸っぱい匂いが鼻に付く。商魂の逞しさを見せてもらいたいところだ。


屋敷地は4276uあり、建て坪は432.18uに及ぶ大規模な近代和風建築である。
座敷と次の間、洋間、居住部、台所、蔵の5つの部分から構成されている。
庭園は池泉回遊式の大規模なもので、昭和50年3月31日に旧福山町により名勝に指定されている。
地元の方にとって田中は県立福山高等学校(昭和62年閉校)の前身、私立福山中学校を大正11年に私財25万円を投じて創立した人物としても知られる。邸内の蔵は資料館となっており、学校関係の資料が展示・保管されている。




 

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