江戸東京探訪シリーズ
奥の細道を読む
芭蕉 前途三千里の思い
胸にふさがりて…
本文目次
最初に
序章・旅立
関東地方へ
東北地方(白川の関〜武隈)へ
東北地方(宮城野〜石の巻)へ
東北地方(平泉〜最上川)へ
東北地方(羽黒山〜象潟)へ
越後地方(越後路〜那古の浦)へ
北陸地方(金沢〜等栽)へ
美濃の国へ(敦賀〜大垣)


参考情報索引
美濃の国へ   敦賀 種の浜 大垣
【参考】 遊行二世の上人   けいの明神   一宮とは   曾良のルート   芭蕉はいつ曾良と再会したか   訪れた神社仏閣一覧  

本文中、解説付きの語句は 紫色の字 で示し、 旅の日付が分かる箇所は 茶色の字 で示している。 また、右側の欄の「曾良日記より」には、曾良日記中の日付に関する記述を示している。
 敦賀 ページトップへ
ようよう白根が嶽しらねがだけかくれて、 比那が嵩ひながたけあらはる。 あさむづの橋をわたりて、玉江たまえあしは穂にいでにけり。 鶯の関うぐいすのせきを過て、湯尾峠ゆのおとうげこゆれば、 燧が城ひうちがじょう。 かへるやまに初雁はつかりを聞て、十四日の夕ぐれ、つるがのに宿をもとむ。 その夜、月ことにはれたり。 「あすの夜もかくあるべきにや」といへば、「越路こしぢならひ、 なほ明夜の陰晴いんせいはかりがたし」と、あるじに酒すゝめられて、 けいの明神みょうじん夜参やさんす。 仲哀ちゅうあい天皇の御廟ごべうなり社頭神しゃとうかんさびて、 松のに月のもりいりたる、 おまへの白砂しもしけるがごとし。 往昔そのかみ遊行ゆぎょう二世の上人しょうにん大願発起たいがんほっきの事ありて、 みづから草をかり土石どせきになひ、 泥渟でいていをかはかせて、参詣さんけい往来おうらいわづらひなし。 古例これい今にたえず、神前に真砂まさごになひ給ふ。 これを「遊行ゆぎょう砂持すなもち申侍もうしはべる」と、亭主のかたりける。

月清し 遊行ゆぎょうのもてる 砂の上

十五日、亭主のことばにたがはず雨降あめふる

名月や 北国日和びより さだめなき


福井の等栽宅を出た芭蕉は、8月14日の夕暮れに敦賀に着き宿泊している。 宿の主人が言うように、北国の天気はままならず、翌15日は雨になった。 この日も同じ宿に泊まったと思われる。
   

白根が嶽しらねがだけと : 白山のこと。
白根が嶽 参照

比那が嵩ひながたけ : 岐阜県関市にある標高800メートルの日永岳のこと。
 

玉江たまえ : 現在の福井県坂井市三国町玉江のこと。
 

湯尾峠ゆのおとうげ : 現在の福井県南条郡南越前町の湯尾と今庄の間に位置する峠のこと。
 

燧が城ひうちがじょう : 現在の福井県南条郡南越前町の今庄にあった城。寿永2年(1183) 義仲追討の命を受けた平家軍を迎え撃つために、木曽義仲が築いた城で、ここで激しい戦が繰り広げられた。
 

遊行ゆぎょう二世の上人しょうにん : 遊行上人と呼ばれた時宗開祖の一遍上人の高弟で、他阿(たあ)上人(嘉禎3年(1237)−文保3年(1319))を指す。
けいの明神みょうじん : 福井県敦賀市にある 越前国一宮(注) 気比神宮(けひじんぐう)のことで、古くから海上の安全を守る北陸道総鎮守と仰がれていた。 この地には神代の昔から伊奢沙別命(いざさわけのみこと)が鎮座ましましており、 文武天皇(天皇在位(683-707))の時 大宝2年(702)に勅命により、社殿が造営され以下の神々が合祀されて、現在に到っている。
  • 伊奢沙別命(いざさわけのみこと)
  • 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) ・・・天皇在位(192-200) 天皇系譜第14代の天皇で、日本武尊の第2子。
  • 神功皇后(じんこうこうごう) ・・・ 成務40年(170)-神功69年(269) 仲哀天皇の皇后。第15代応神天皇の母。
  • 日本武尊(やまとたける) ・・・ 『古事記』と『日本書紀』に出てくる伝説的人物。仲哀天皇の父。
  • 応神天皇(おうじんてんのう) ・・・ 天皇在位(270-310) 仲哀天皇と神功皇后の子。天皇系譜第15代の天皇。その子が第16代仁徳天皇。
  • 玉姫命(たまひめのみこと) ・・・ 神功皇后の妹。
  • 武内宿禰(たけうちのすくね) ・・・ 仲哀天皇の国政を補佐した大臣。
なお、気比神宮の朱塗りの大鳥居は、春日大社、厳島神社と並び、木造としての日本三大鳥居のひとつと言われている。


(注) 一宮とは :  延喜式 により定められた、その国で最も格式が高いとされた神社のこと。
奥の細道の旅は 神社仏閣 を巡る旅でもあったが、 奥の細道のルートにある主な一宮を下に示す。 その中で奥の細道本文あるいは曾良日記中に、芭蕉や曾良が立ち寄ったことが記されている一宮を赤字で示す。 なお、伊勢神宮は別格扱いなので一宮ではない。
  • 下野国一宮 二荒山神社 : 栃木県宇都宮市 (芭蕉が訪れた日光二荒山神社は一宮ではない。)
  • 陸奥国一宮 鹽竈神社 : 宮城県塩釜市
  • 出羽国一宮 鳥海山大物忌神社 : 山形県飽海郡遊佐町
  • 越後国一宮 弥彦神社 : 新潟県西蒲原郡弥彦村
  • 越中国一宮 気多神社 : 富山県高岡市
  • 越前国一宮 気比神宮 : 福井県敦賀市
 種の浜 ページトップへ
十六日、空はれたれば、ますほの小貝こがいひろはんと、 いろはまに舟を走す。 海上七里あり。 天屋てんや何某なにがしいうもの、 破籠わりご小竹筒ささえなどこまやかにしたゝめさせ、 しもべあまた舟にとりのせて、追風おいかぜ時のまに吹着ふきつきぬ。 浜はわづかなる海士あま小家しょうけにて、 わびしき法花寺ほっけでらあり。 ここに茶をのみ、酒をあたゝめて、 夕ぐれのさびしさ、感にたへたり。

さびしさや 須磨すまにかちたる 浜の秋

波の間や 小貝こがいにまじる はぎちり


其日そのひのあらまし、等栽とうさいに筆をとらせて寺に残す。

8月16日には、敦賀の種の浜に舟を出している。ここまで福井の等栽も同行してきている。
 

いろはま : 敦賀湾の西北岸に位置する色浜のこと。
 

破籠わりご小竹筒ささえ : 破籠は白木で作った弁当箱、小竹筒は主に酒を入れるための小さな竹筒のこと。
 

法花寺ほっけでら : 日蓮宗の寺を法花寺と呼んでおり、ここでは現在の敦賀市色浜にある本隆寺を指している。
 

須磨すま : 兵庫県神戸市の須磨海岸のこと。
 

 大垣 ページトップへ
露通ろつうこのみなとまでいでむかひて、 みのゝ国へと伴ふ。 こまにたすけられて大垣おおがきしょういれば、 曾良も伊勢いせよりきたあひ越人ゑつじんも馬をとばせて、 如行じよかうが家にいり集る。 前川子ぜんせんし荊口けいこう父子其外そのほかしたしき人々日夜とぶらひて、 蘇生そせいのものにあふがごとく、かつ悦び、 かついたはる。 旅のものうさもいまだやまざるに、長月ながつき六日になれば、 伊勢の遷宮せんぐうおがまんと、又舟にのりて、

はまぐりの ふたみにわかれ ゆく秋ぞ

奥の細道本文にも曾良日記にも記されていないので、 いつ芭蕉が美濃の国 大垣の庄に到着したか不明である。しかし、一般に8月21日頃と言われているようである。 種の浜に舟を出した日が8月16日なので、それから約5日立っていることになる。 この間に敦賀から大垣に移動したようである。
3月27日に深川を出立してからおよそ5ヶ月間の長旅が大垣で終了したわけである。

みのゝ国 : 現在の岐阜県。
露通ろつう越人ゑつじん如行じよかう前川子ぜんせんし荊口けいこう父子 :  いずれも大垣俳諧の俳人で、蕉門の一派。芭蕉の親しい友人でもある。
蘇生そせい :  一度死に掛けた人が息を吹き返すこと。
長月ながつき : 9月

伊勢いせ遷宮せんぐう :  伊勢神宮の21年目ごとに行われる社の改築と場所を移す儀式のこと。


日付 曾良 芭蕉
曾良日記 場所 場所
五日 昼時分、翁・北枝、那谷へ趣。・・・ 艮刻、立。 大聖寺ニ趣。全昌寺へ申刻着、宿。 加賀
(全昌寺)
山中温泉?
六日 雨降。滞留。菅生石天神拝。
(注) 菅生石天神は、小松の安宅の関の菅生石天神
加賀
(全昌寺)
山中温泉?
七日 辰ノ中刻、全昌寺ヲ立。・・・申ノ下刻、森岡ニ着。六良兵衛ト云者ニ宿ス。
(注) 森岡は、現在の福井市の森田あたりと思われる。
福井市
(森田)
加賀
(全昌寺)
八日 森岡ヲ日ノ出ニ立テ、舟橋ヲ渡テ、・・・巳ノ刻前ニ福井へ出ヅ。・・・申ノ下刻、 今庄ニ着、宿。
(注) 今庄は、現在の福井県南越前町今庄。
南越前町
(今庄)


(空白の4日間)
九日 日ノ出過ニ立。・・・未ノ刻、ツルガニ着。先、気比へ参詣シテ宿カル。 ・・・船カリテ、色(種)浜へ趣。・・・戌刻、出船。夜半ニ色へ着。・・・本隆寺へ行テ宿。 敦賀
(本隆寺)
十日 朝、浜出・・・申ノ中刻、ツルガヘ帰ル。 敦賀
(本隆寺)
十一日 巳ノ上尅、ツルガ立。・・・申ノ中刻、木ノ本へ。
(注) 木ノ本は、現在の滋賀県伊香郡木之本町。
木ノ本
十二日 木ノ本ヲ立。午ノ尅、長浜ニ至ル。便船シテ、彦根ニ至ル。鳥本ニ趣テ宿ス。 彦根 福井
(等栽宅)
十三日 関ケ原ニ至テ宿。 関ケ原 福井
(等栽宅)
十四日 関ケ原ヲ立。・・・大垣ニ至ル。如行ヲ尋、・・・宿ス。 大垣 敦賀
十五日 辰ノ中尅、出船。・・・ 此筋・千川ヘノ状殘。翁ヘモ殘ス。如行ヘ發句ス。 ・・・申ノ下尅、大智院ニ着。・・・小寺氏ヘ行道ニテ逢テ、其夜、宿。
(注) 大智院は伊勢長島にあり、曽良の叔父が住職。
  此筋、千川というのは荊口という人の長男と次男。
伊勢長島
(大智院)
敦賀
十六日 森氏、折節入來。病躰談。 伊勢長島 種の浜
十七日

九月朔日
その日の天候の記載のみ 伊勢長島 廿一日
大垣着か?
二日 大垣為行、申ノ尅ヨリ長禪寺ヘ行而宿。
(注) 長禪寺は伊勢長島にある。
伊勢長島
(長禪寺)
 
三日 辰ノ尅、立。乍行春老ヘ寄。及夕、大垣ニ着。・・・予ニ先達而越人(13)着故、コレハ行。 大垣?  
四日 源兵ヘ、會ニテ行。  
五日 天氣吉。  
六日 辰尅出船。越人、船場迄送ル。如行、送ル。餞別有。 申ノ上尅、杉江ヘ着。予、長禪寺ヘ上テ、陸ヲスグニ大智院ヘ到。 舟ハ弱半時程遲シ。七左・由軒來テ翁ニ遇ス。 伊勢長島  
(注) ? は不明であることを示す。
◆ 芭蕉はいつ曾良と再会したか
 

曾良は、8月4日に芭蕉と別れ伊勢に向かった。途中ところどころに立ち寄り、8月15日に伊勢長島の大智院に着いている。 奥の細道本文には、芭蕉が大垣に着いたとき、伊勢長島にいた曾良がはせ参じ、越人や荊口親子などの親しい友人たちと共に 如行の家に集まり、お互いの再会を喜び合ったと記述されている。 しかし、芭蕉が大垣に到着した日に、曾良と芭蕉が再会したか否かは定かでない。
曾良日記には、曾良が14日に大垣に着き如行を尋ね、15日に荊口の長男や 次男および芭蕉宛てに手紙を残したこと、および15日に伊勢長島の大智院に到着したことが記されている。 しかし、右表に示すように曾良日記には毎日記録が付けられているにも関わらず、最も重要な芭蕉との再会の記録がない。 芭蕉との再会を明確に記さなかった理由が分からない。

奥の細道本文にも芭蕉の大垣到着の日は記述されていないが、一般には8月21日と言われている。 また、曾良日記によれば、曾良は伊勢長島に着いた翌日16日から病が重くなり、薬を服用したようである。 そのためか、17日から9月1日までの間天候だけが日記に記述されている。 やっと9月3日に大垣に到着した記述があるが、芭蕉と北陸で別れて以来再会したのはこの日ではなかろうか。

なお、奥の細道の本文に、「長月6日」すなわち9月6日に伊勢神宮に向けて再び旅立っていることが記されているが、 曾良日記にもその記述が見られる。曾良との再会もつかの間、また芭蕉は旅立つことになる。
(曾良のルート)
三重路


◆ 訪れた神社仏閣一覧
以下に、奥の細道および曾良日記に記されている主な神社仏閣を示す。
神社仏閣名 宗派開基 所在地備考
大神おおみわ神社   栃木県栃木市  
日光二荒山神社  勝道上人栃木県日光市  
那須神社   栃木県大田原市 金丸八幡宮
雲巌寺臨済宗 仏国国師栃木県大田原市  
那須温泉神社   栃木県那須町  
境の明神      
満願寺真言宗 行基福島県白河市 成就山満願寺
十念寺浄土宗 善龍上人福島県須賀川市 来迎山十念寺
田村神社   福島県須賀川市 明治以前は大元師明王と呼ばれていた 
善法寺   福島県須賀川市 大元師明王の別当
諏訪神社   福島県須賀川市  
文知摺観音堂   福島県福島市  
医王寺真言宗 弘法大師福島県福島市飯坂町 佐藤庄司ノ寺 瑠璃光山医王寺
竹駒明神、竹駒寺真言宗 能因法師宮城県岩沼市 江戸時代まで竹駒明神の別当が宝窟山竹駒寺
興福寺御影堂   宮城県白石市  
亀岡八幡神社   宮城県仙台市 文治年間(1185〜1189)に伊達氏が鶴岡八幡神社を勧請して建立
薬師堂   宮城県仙台市 昔の陸奥国分寺跡に建てられた薬師堂
榴岡つつじがおか天満宮   宮城県仙台市 菅原道真を祀る仙台の天神様
宝国寺   宮城県多賀城市 末松山宝国寺
曲木まがき神社   宮城県塩釜市 籬島明神 塩竃神社十四末社の一つ
鹽竈しおがま明神   宮城県塩釜市 陸奥国一之宮
瑞巌寺臨済宗 法身和尚宮城県塩釜市  
大島神社   宮城県石巻市 住吉ノ社
中尊寺天台宗 慈覚大師岩手県西磐井郡平泉町  
養泉寺天台宗 慈覚大師山形県尾花沢市 弘誓山養泉寺。慈覚大師作の聖観世音菩薩を本尊とする
立石寺天台宗 慈覚大師山形県尾花沢市 宝珠山立石寺
羽黒山神社   山形県鶴岡市 出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)は崇唆天皇の皇子 蜂子皇子が開祖と言われている
月山神社   山形県鶴岡市
湯殿山神社   山形県鶴岡市
蚶満寺曹洞宗 慈覚大師秋田県にかほ市  
熊野神社   山形県酒田市 熊野権現ノ社
光榮寺曹洞宗  新潟県村上市  
泰叟院浄土宗  新潟県村上市 現在の浄念寺
乙寶寺真言宗 行基新潟県北蒲原郡中条町 如意山乙宝寺
弥彦神社   新潟県西蒲原郡弥彦村 越後国一ノ宮
五智国分寺   新潟県上越市 聖武天皇の命により建立された国分寺
居多神社   新潟県上越市  
聴信寺浄土真宗  新潟県上越市  
埴生八幡   富山県小矢部市 倶利伽羅峠にある養老年間に開基された古社 埴生護国八幡宮
立松寺   石川県小松市  
多太神社   石川県小松市  
那谷寺真言宗 奏澄大師石川県小松市  
全昌寺曹洞宗  石川県加賀市 慶応3年(1867)に完成した新しい寺
天竜寺曹洞宗  福井県吉田郡永平寺町 永平寺の末寺
永平寺曹洞宗 道元禅師福井県吉田郡永平寺町  
菅生石部神社   石川県加賀市 菅生石天神 敷地天神
気比神宮   福井県敦賀市 越前国一ノ宮
本隆寺法華宗 日隆聖人福井県敦賀市 日隆聖人は京都本能寺、尼崎本興寺等を開山した
西福寺浄土宗  福井県敦賀市  
多賀大社   滋賀県犬上郡多賀町 天平10年(738)に創建される。伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、 伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)を祭神とする由緒ある神社
神宮寺曹洞宗 行基三重県一志郡嬉野町 東光山神宮寺
大智院真言宗  三重県桑名市  
長禪寺   三重県桑名市  
海蔵寺   三重県桑名市  

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