「夜明け前」の木曽路
【 小説「夜明け前」(島崎 藤村)の舞台となった幕末から明治初期の木曽路 】
【 幕末の頃の木曽路 】
(7/10)

鳥居峠とりいとうげ はこの関所からみやこし藪原やぶはら二宿を越したところにある。
鳥居峠
鳥居峠
風は冷たくても、日はかんかん照りつけた。前途の遠さは曲がりくねった坂道に行き悩んだ時よりも、 かえってその高い峠の上に御嶽遙拝所おんたけようはいじょなぞを見つけた時にあった。 そこは木曾川の上流とも別れて行くところだ。

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こんな言葉をかわしながら、三人とも日暮れ前のみちを急いで、やがてその峠を降りた。
「お泊まりなすっておいでなさい。 奈良井ならい のお宿はこちらでございます。 浪花講なにわこう御定宿おじょうやどはこちらでございます。」
奈良井宿
奈良井宿
しきりに客を招く声がする。街道の両側に軒を並べた家々からは、競うようにその招き声が聞こえる。 半蔵らが鳥居峠を降りて、そのふもとにある奈良井に着いた時は、 他の旅人らも思い思いに旅籠屋はたごやを物色しつつあった。

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「静かだ。」
寿平次は腰にした道中差どうちゅうざしを部屋の床の間へ預ける時に言った。 その静かさは、河の音の耳につく福島あたりにはないものだった。


そこの庄屋の主人は、半蔵が父とはよく福島の方で顔を合わせると言い、この同じ部屋に吉左衛門を泊めたこともあると言い、 そんな縁故からも江戸行きの若者をよろこんでもてなそうとしてくれた。ちょうど鳥屋とやのさかりのころで、 木曾名物の小鳥でも焼こうと言ってくれるのもそこの主人だ。 鳥居峠つぐみは名高い。つぐみばかりでなく、 裏山には駒鳥こまどり山郭公やまほととぎすの声がきかれる。仏法僧ぶっぽうそうも来て鳴く。 ここに住むものは、表の部屋に向こうの鳥の声をきき、裏の部屋にこちらの鳥の声をきく。そうしたことを語り聞かせるのもまたそこの主人だ。
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半蔵らは同じ木曾路でもずっと東寄りの宿場の中に来ていた。 鳥居峠一つ越しただけでも、親たちや妻子のいる木曾の西のはずれはにわかに遠くなった。
しかしそこはなんとなく気の落ち着く山のすそで、旅の合羽かっぱ脚絆きゃはんも脱いで置いて、 田舎いなか風な風呂に峠道の汗を忘れた時は、いずれも活き返ったような心地になった。

炬燵話こたつばなしに夜はふけて行った。ひっそりとした裏山に、 奈良井川の上流に、そこへはもう東木曾の冬がやって来ていた。 山気は二人の身にしみて、翌朝もまた霜かと思わせた。 追分おいわけの宿まで行くと、江戸の消息はすでにそこでいくらかわかった。 同行三人のものは、塩尻しおじり下諏訪しもすわから和田峠わだとうげを越え、 千曲川ちくまがわを渡って、 木曾街道善光寺道との交叉点にあたるその高原地の上へ出た。
そこに住む追分名主なぬしで、 年寄役を兼ねた文太夫ぶんだゆうは、かねて寿平次が先代とは懇意にした間柄で、 そんな縁故から江戸行きの若者らの素通りを許さなかった。・・・ 


半蔵らはこの客好きな名主の家に引き留められて、佐久の味噌汁や堅い地大根の沢庵なぞを味わいながら、 赤松、落葉松(からまつ)の山林の多い浅間山腹がいかに郷里の方の溪谷たにと相違するかを聞かされた。
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