「夜明け前」の木曽路
【 小説「夜明け前」(島崎 藤村)の舞台となった幕末から明治初期の木曽路 】
【 幕末の頃の木曽路 】
(6/10)

木曾福島の関所も次第に近づいた。三人ははらはら舞い落ちる木の葉を踏んで、さらに山深く進んだ。時には岩石が路傍に迫って来ていて、 高い杉の枝は両側からおおいかぶさり、昼でも暗いような道を通ることはめずらしくなかった。谷も尽きたかと見えるところまで行くと、 またその先に別の谷がひらけて、そこに隠れている休み茶屋の板屋根からは青々とした煙が立ちのぼった。
かけはし合渡ごうどから先は木曾川も上流の勢いに変わって、山坂の多い道はだんだん谷底へとくだって行くばかりだ。 半蔵らはある橋を渡って、御嶽おんたけの方へ通う山道の分かれるところへ出た。 そこが福島の城下町であった。


「いよいよ御関所ですかい。」
佐吉は改まった顔つきで、主人らの後ろから声をかけた。
福島の関所木曾街道中の関門と言われて、 大手橋の向こうに正門を構えた山村氏の代官屋敷からは、河一つ隔てた町はずれのところにある。 「出女でおんな鉄砲でっぽう」と言った昔は、西よりする鉄砲の輸入と、 東よりする女の通行をそこで取り締まった。

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福島では、半蔵らは関所に近く住む植松菖助うえまつしょうすけの家を訪ねた。父吉左衛門からの依頼で、 半蔵はその人に手紙を届けるはずであったからで。菖助は名古屋藩の方に聞こえた宮谷家から後妻を迎えている人で、 関所を預かる主な給人きゅうにんであり、砲術の指南役であり、福島でも指折りの武士の一人であった。
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平袴ひらばかまに紋付の羽織で大小を腰にした菖助のあとについて、半蔵らは関所にかかった。 そこは西の門から東の門まで一町ほどの広さがある。一方は傾斜の急な山林にり、一方は木曾川の断崖に臨んだ位置にある。
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半蔵らはかなりの時を待った。そのうちに、「髪長かみなが御一人ごいちにん。」と乗り物のそばで起こる声を聞いた。 駕籠で来た婦人はいくらかの袖の下を番人の妻に握らせて、型のように通行を許されたのだ。半蔵らの順番が来た。 調べ所の壁に掛かる突棒つくぼう、さすまたなぞのいかめしく目につくところで、階段の下に手をついて、 かねて用意して来た手形を役人たちの前にささげるだけで済んだ。菖助にも別れを告げて、半蔵がもう一度関所の方を振り返った時は、 いかにすべてが形式的であるかをそこに見た。

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