2010年・大阪長谷の棚田
[米食日本の棚田の美#2]
(Rice terrace of Nagatani, Osaka, 2010)

−− 2010.05.21 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2010.06.10 改訂

※注意:このページは写真が多く、読込みに時間が掛かります。
★−−−暫くお待ち下さい(Wait a minute)−−−★

 ■はじめに − 棚田見物は天候優先

 (1)初めての訪問

 10年5月18日(火)に三草山(みくさやま、標高564m)の北山麓に広がる長谷(ながたに)の棚田(大阪府豊能郡能勢町長谷(ながたに))を見て来ました。18日は以下の様な経緯から複数の「道連れの旅」と相成りました。
 同行者は私が主宰する【ブラボー、クラシック音楽!】のメンバーにして「純喫茶探偵団」の一員の”超多忙な閑人”氏と”不良定年”氏とそのガールフレンド(GF)さんです。この日は”不良定年”が車を運転して案内して呉れました。天候は下り坂でしたが18日は一応晴れで”先ず先ず”でした。

 [ちょっと一言]方向指示(次) そもそも長谷の棚田見物が企画されたのは、私が樒原の棚田のことを3月の【ブラボー、クラシック音楽!】の懇親会で語ったからで、4月例会の花見後の茶会で有志が4月下旬の好天日に行く運びに成ったのですが、天候不順で行けず私一人で5月1日に行った事は樒原のページに記した通りです。それに対し”不良定年”氏から近場でもっと行き易い棚田が在ると資料をFAXして来て5月の例会で有志を募り天候を見て行く話に成りました。で、17日(月)の朝に「明日迄晴れるから明日行こう」と”不良定年”氏が電話して急遽18日に決まりました。という事で18日不都合で参加出来なかった人も2名居りましたが、天候優先で決行しました。
 尚、GFさんは【ブラボー、クラシック音楽!】の09年9月例会での”不良定年”氏独演会の時にお越し戴いてお顔は存じて居りました。


 18日は”不良定年”氏にお任せなので”貧乏閑人”の私は何も考えずに待ち合わせ場所の阪急池田駅の改札に午前10時に間に合う様に行きましたが、9時40分に着いた時は誰も居なかったので駅の阪急蕎麦を食って時間調整、しかし蕎麦に腰が無くイマイチでしたね。駅前に「インスタントラーメンの街・池田」と書いて在ったので蕎麦では無くインスタントラーメンにした方が良かったかな、などと後悔し乍ら店を出て9時50分頃に改札に向かったら”不良定年”氏と”超多忙な閑人”氏 −この御両人が二人寄ると丸であの「弥次さん・喜多さん」です− が着いて居りました。
写真0:迷い込んだ杉林。
 すると来る予定だった”有閑マダム”さん(←09年から「純喫茶探偵団」の一員)が来られなく成ったので代わりに行き掛けにGFさんを拾って行くという話でした。
 私たち3人は駅前のスーパーで昼の弁当を4人分買って出発、途中GFさんを乗せて長谷に向かいました。棚田の標識を通過し車道を奥に進んだ後で右の様な杉林の山道に迷い込んだりしましたが11:30頃に棚田に到着しました。
 それから約40分間の棚田見物の後12:10頃に出発し、次の目的地の多田銀山(兵庫県猪名川町)に向かい、阪急池田駅で買い込んだ弁当はそこで食べました。

 以上の様な次第で、5月18日の成り行き任せの「道連れの旅」の行程は凡そ以下の通りでした。

        <10年5月18日の道連れの旅>の行程表
    10:00 阪急池田駅改札に集合
          昼の弁当買い出し
    10:30 ”不良定年”氏の乗用車で出発 → 途中GFさんを拾う → 長谷の棚田
    11:30 長谷の棚田を見物
    12:10 出発 → 多田銀山
    13:00 「多田銀銅山悠久の館」で昼食
          青木間歩見物
    14:30 出発
    15:00 阪急池田駅前で解散、GFさんと別れる
          ”超多忙な閑人”氏と”不良定年”氏と私は喫茶店で駄弁る
    16:00 阪急池田駅前で再解散


 5月18日の棚田はココをクリックして下さい。

 (2)2度目の訪問(単独行)

 ところが私は「道連れの旅」から半月後の6月4日(金)長谷を単独で再訪しました。この単独行の目的は三草山登山、否、その真の目的は三草山南東山中の「ゼフィルスの森」に棲息するミドリシジミでしたが、三草山登山は初めてなので序でに山頂にも登りました。その途中で前回とは違う東側の棚田の斜面を登って行きましたので、それを掲載します。
 阪急バスは能勢電鉄山下駅からほぼ1[本/時間]の割で出て居て「森上(もりがみ)」というバス停が長谷の棚田や三草山の最寄りで、所要時間は約30分で400円。「森上」を通るバスは幾つか路線が在りますがメインは「能勢町宿野行き」です。知らない土地のバスにはローカルな地名や路線名が多く余所者には判り難いので、来たバスの運転手に目的地に行くかどうか確認するのが正解です。私は山下駅と森上の停留所の時刻表を撮影して置きました。何しろ私はミドリシジミ類を何匹か撮影する迄は何度も三草山に登る覚悟ですので。
 6月4日に行ったのは【ブラボー、クラシック音楽!】の月例会を2日(水)に終えた後の好天日だったからで、やはり天候優先でした。この日の行程は以下の通りです。

        <10年6月4日の一人旅>の行程表
    10:00 能勢電鉄山下駅に到着、行きのバスの時刻表を撮影
    10:18 阪急バス能勢町宿野行きに乗車し出発 → 10:45頃「森上」で下車
          帰りのバスの時刻表を撮影
    10:50 出発 → 岐尼神社 → 長谷の棚田の斜面を登る
    12:10 棚田上の登山口から登山開始 → 12:35才ノ神峠を通過
    12:50 三草山山頂に到着、ここで昼食
    13:10 下山 → 13:20「ゼフィルスの森」 → 14:00東側棚田斜面を下る
    14:20 往路の道を引き返す → 14:43のバスを目指すも間に合わず
    14:50 バス停に到着 → 15:43迄待たずに「道の駅」が在る「平野口」迄歩く
                 → 途中「汐の湯温泉前」を通過し15:15に「平野口」に到着
    15:55 「平野口」で山下駅前行きバスに乗車 → 16:20能勢電鉄山下駅に到着


 6月4日の一人旅はココをクリックして下さい。
    {この一人旅の記事は10年6月10日に追加}

 ■長谷の棚田・その1 − 10年5月18日の道連れの旅

 (1)棚田の風景

 私たちはどうやら一番奥の最西端の棚田に着いた様です。以下は斜面の上から北向きに見下ろした長谷の棚田の景観ですが、長谷の棚田は明治以降の開墾です。
写真1:長谷の棚田。
写真2:長谷の棚田。       ↑
    絵を描く人々

 私たちが着くと先客10数人が棚田風景を写生して居ました。ここは民間のトラスト運動団体(※1)が棚田保存・農業体験・人的交流などを掲げ「棚田オーナー制度」を都会の人たちに呼び掛けて居るだけあって少し観光地化されて居ます。
 余談ですが、都会の子供達はビルと排気ガスとテレビと携帯電話という人工物に遮蔽され、こういう自然と触れ合えないので、没社会的に成り精神的欠陥者が多い訳で、トラスト運動はそういう問題も視野に入れてる様です。
写真3:棚田と里山。

 右の写真では田が何枚も折り重なって居ます。この水を張った田の水の色が田を囲む畦とコントラストを成す時間帯は朝夕、つまり陽光が斜めに射す頃が良いのですが、私たち余所者はそういう訳にも行かず、この日は11:30〜12:10頃の間の訪問でした。
 

 (2)萱葺屋根の民家と花

 下は萱葺屋根の民家です。最近はめっきり少なく成りましたが、屋根などの保守が大変なんでしょう。しかしこの奥床しい雰囲気は里山の景観と一体感が有り風景に溶け込んで居ます。今ではこの辺りの農家は山林でを栽培し「くりの郷」としても売り出して居ます。
写真4:萱葺屋根の農家。写真5:萱葺屋根の農家。

写真6:この日の同行者。右から”不良定年”氏、”超多忙な閑人”氏。GFさん。
 一通り見終わった時点で記念撮影。この日の同行者で、右から”不良定年”氏、”超多忙な閑人”氏。GFさんです。
 ”不良定年”氏は左手でVサインをして居ます。タレントでもある”超多忙な閑人”氏は常に「写真写り」に気を配る人です。

写真7:花。写真8:花。
 私は畦道に咲く花を撮影しました(左右の写真、何れも実物の4倍位)。良く見ると他にも小さな花が何種類か咲いて居ます。
 

 (3)段部の石垣と「がま」

 私たちは暫し休憩した後、今度は棚田段部を支える石垣を見て廻りました。
写真9:段部を支える石垣。 棚田の段部には補強が必要で、この様な石積み工法もその一つです。又、5月18日は田植えが完了した少し後で、植えられた苗の筋模様が見えます。
 背後(=手前の棚田の東側)に見える樹林の中に三草山への登山口が在ります
写真10:湾曲した石垣。
 左の様に湾曲した石垣も在ります。曲がった石垣の方が見た目には面白いですね。城跡の石垣も良いですが棚田の石垣も風情が有ります。
 下は植えられた苗の筋模様が綺麗です。畦の段部に四角い穴が2つ見えて居ますが、これは「がま」と呼ばれる石積み囲いした給排水施設で長谷の棚田の一大特徴です。「がま」の原意は地層中の晶洞(※2)のことですが、それと似た形を呈するので名を転用したものでしょう。
写真11:段部の所々に見られる「がま」。
写真13:水を排出して居る配水管。 上の写真の「がま」を正面から撮ったのが左下の写真です。しかしこの時は「がま」から水は出て居らず、その奥に在る細い配水管から排水して居ました(右の写真)。
 棚田では給排水に工夫が必要で大事な施設です。この様な段部の配水管は樒原の棚田にも在りました。
写真12:真正面から見た「がま」。

 これで18日の棚田見物は終わり。私は斜面の麓から三草山を背景にした棚田写真を撮りたかったですが、これは次の機会とします。
 5月18日は”不良定年”氏に負んぶに抱っこの「ごっつぁん旅」、そして”旅は道連れの弥次喜多道中”でした。帰りに寄った喫茶店での駄弁りでは次の案が色々と飛び交いましたが、都合が合えば又行きましょう。”不良定年”氏を始め、同行の皆さん有り難う御座いました。以下は私の単独行の報告です。
                \(^O^)/

 ■長谷の棚田・その2 − 10年6月4日の一人旅

 (1)岐尼神社

 2度目の訪問は阪急電車と阪急バス(→写真は後出)を乗り継いで行きました。
写真a1:バス停「森上」近くの岐尼神社の鳥居と拝殿。 バス停「森上」はT字路の手前に在り、降車した私は直ぐに道路反対側のバス停で帰りのバスの時刻表を確認し撮影、帰りもほぼ1[本/時間]の割で毎時43分に出ます。「43」という数字をインプットして出発。バス道(=県道)のT字路を左に進むと直ぐに右手に当地の「鎮守の杜」の岐尼神社(きねじんじゃ、豊能郡能勢町長谷)が在ります(右下の写真)。樒原でもそうでしたが私は初めて訪れた地では必ず現地の神社を参拝します(勿論賽銭もしまっせ)。
 境内の由緒書に拠ると、当社は延暦元(782)年の創祀で当地は枳根の庄(きねのしょう)と呼ばれた荘園でした。主祭神は天孫降臨の瓊瓊杵尊(※3)で、中臣・藤原氏の祖の天児屋根命(※4)と枳根命(=大名草彦命の子)が配された式内社で、武士の時代には多田源氏の領地に成ったので後に源満仲も配祀されました。

 (2)長谷川と三草山

写真a2:棚田への入口の長谷川(ながたにがわ)と背後の里山の光景。 岐尼神社の少し先を左に折れ田圃が見える方に向かうと小さな川が流れ、それが長谷川(ながたにがわ)で、直に左の写真の様な光景と標識が見えて来ます。里山の背後から右後方に三草山が丸い山頂を覗かせて居ます。
写真a2−1:棚田方面を指す標識。 左の写真の標識の拡大が右の写真です。この標識が言わば”長谷の入口”で前回はこの標識の前を車で通過しました。標識には赤い字で「のせみくさ山 棚田府民農園」「長谷方面」と書かれ、後は標識に従って川沿いの道を西に進むだけです。
 左上の写真で、左側の橋を渡って登って行く道は「おおさか環状自然歩道」(→後で又行き合う)で、橋の向こう岸には戦国時代の多田塚の説明板が立って居ます。
写真a3:ドーム型の三草山と棚田。
 左上の写真で右奥に丸い山頂を少し覗かせて居るのが三草山ですが、約15分位進めばドーム型の三草山と棚田が正面に見えて来ます(右の写真)。
 右の写真で手前のコンクリートの土手が長谷川の土手、中間の黄緑色の部分は棚田の段部が幾重にも重なったものです。下からだと水田部が見えずコントラストが付かないので、この写真では棚田の各田が識別し難いですが、三草山はこの辺りからの眺めが一番良いと思われます。
 

 (3)再び長谷の棚田

写真a:前回よりも東の棚田。 今回登り道に選んだ棚田は前回よりも東側の棚田です。つまり”長谷の入口”の標識からは手前の近い所に在るからで、前回の様に奥迄行かずに登り出したのですが、結果的に前より曲線美が勝る棚田を見ることが出来ました(左の写真)。苗は前回より伸びて居ます。
 この各段が曲がりくねって連なる景観が何とも言えずに良いものです。しかし、こちら側には石垣や「がま」は見られませんでした。

写真a5:三草山への登山口標識と棚田。 上の写真の撮影地点から棚田上部の道を西に進み前回の棚田を越えて行くと樹林が在り、中へ分け入って三草山への登山口を探して歩いて居たら、それらしき標識が在りました(右の写真)。標識に拠ると、この道は「おおさか環状自然歩道」写真の標識を右手に進むと三草山山道です。
 成る程、”長谷の入口”で橋を渡って「おおさか環状自然歩道」を登って行くと結局ここに辿り着く訳ですね、長谷の地理が凡そ解りました。やはり歩いてみるものです。
写真a6:登山口標識付近から撮った前回の棚田。
 標識の所からも西側の棚田が見えるので私はこの道を少し左へ行き木立の間から覗いたら、何とそこが5月18日に行った棚田でした。登山口標識付近から撮った前回の棚田が右の写真です。萱葺屋根の農家が2軒並んでるのが目印ですので前回の写真と見比べて下さい。
 前回は棚田斜面の上部から眺めましたが、ここの方が高所から見下ろして居るので眺めが良いという事が解りました。
 この後私は三草山に登りましたが、それは省略します。


写真a7:「ゼフィルスの森」出口下から見た棚田と三草山。
 左は三草山の「ゼフィルスの森」から下って下界に出た所で棚田に映る三草山を振り返った写真です。三草山の穏やかなドーム型は判り易い形で親しみの有る姿です。
 「ゼフィルスの森」へは”長谷の入口”から長谷川沿い行き鵯坂橋(ひよどりざかばし)の袂に着いたら登れば良い事を帰りに確認しました。

 (4)花と昆虫

 三草山山中(「ゼフィルスの森」も含む)を除いて、棚田エリアから下の花と昆虫を以下に掲載します。
 右下はシオヤトンボ(♀)。シオヤトンボは5〜6月に山地に居るトンボです。
写真a8:花。写真a9:花。写真a10:シオヤトンボ(♀)。

 下は左からクロアゲハ、イチモンジチョウ、イナゴです。
写真a11:クロアゲハ。写真a12:イチモンジチョウ。写真a13:イナゴ。

 「ゼフィルスの森」にはミドリシジミは1匹も居ませんでした、多分未だ時期が早いのでしょう。6月20日過ぎに「ゼフィルスの森」に再挑戦する積もりです。次は棚田見物もせず三草山頂上にも行かず直接「ゼフィルスの森」だけを目指して行きます。
    {この章は10年6月10日に追加}

 ■棚田と栗と萱葺農家の里 − 豊能郡能勢町

 6月4日の2度目の訪問の日は「森上」の14:43の山下駅前行きに間に合わず、1時間待つのも退屈なので「森上」〜「汐の湯温泉前」〜「平野口(「道の駅」の最寄り)」とバス停で2つ先迄歩いた事は冒頭の行程表の所で述べましたが、何故遅れたかと言えば、下山した後の帰りの道すがら蝶やバッタの写真を撮って居た為です。そんな”無駄な事”をしなければ間に合ってた訳ですが、私にとってこれは”無駄”では無く、これこそが目的 −最終目的は「ゼフィルスの森」でミドリシジミを撮る事− で三草山登山も2度目の棚田見物も”事の序で”でした。ですから最終バス以外のバスの1本や2本は元々屁とも思って無かった訳です。
 しかし車道をバス停2つ分歩いて能勢のことが良く理解出来たので却って良かったと思って居ます。

写真ae:豊能郡能勢町のマンホール蓋。 右はバス停「平野口」付近に在った能勢町のマンホール蓋です。上の方から「くりの郷」の栗、萱葺屋根の農家、そして長谷の棚田がデザインされ、5月18日と6月4日の旅で見て来た景観が全て盛り込まれて居ます。
写真ae2:阪急バス。
 そうこうしてる内に山下駅前行きの阪急バスが予定より少し遅れて遣って来ました(左の写真)。この日の一人旅はこれで終わりです。
    {この章は10年6月10日に追加}

 ■結び − 長谷も”境の地”

 長谷の棚田も中々良かったですね、樒原に比べると観光地化されて居ますが。棚田を見て「日本の原風景」と感じる人が多い様ですが、しかし棚田は日本固有の風景では無く日本を含めた米食民族に共通する風景だという事を私は再び強調して置きます(→「2010年・京都樒原の棚田」の「私の主張」の章を参照)。
 ところで地図を見ると豊能郡能勢町は”しゃがんだ鶏”の様な形で、長谷は鶏の胸の位置の少し突き出た部分で町の南西部に位置し、その下(=南)は兵庫県川辺郡猪名川町です。即ち長谷も大阪府と兵庫県の”境の地”に在り、その点で樒原の棚田と同様なのです。私は数年前から関西の俗化してない所はこういう”境の地”に在るという思いを強くし”境の地”の恩恵と呼んでますが、長谷もそれに該当してました。これは関西に限った事では無いかも知れませんが。
 そしてミドリシジミには到頭出合えませんでした、「縁が無かった」ということでしょう。

 尚、[米食日本の棚田の美]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
    {この章は10年5月24日に更新}

φ−− おしまい −−ψ

【脚注】
※1:トラスト運動団体(trust movement group)とは、イギリスのナショナルトラストに倣った自然景観や史跡の保護団体。
※1−1:ナショナルトラスト(National Trust)は、「歴史的名勝及び自然的景勝地の為のナショナルトラスト」の略称。自然環境や歴史的環境の保存を目的に、1895年イギリスで発足した民間組織。世界各地に広まった同趣旨の運動をも指す。

※2:がま(vug, vugh)とは、岩石や地層の中に在る空洞で、種々の鉱物の美しい結晶を産するもの。晶洞

※3:瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、日本神話で天照大神の孫神武の曾祖父。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)・天照大神の命に拠ってこの国土を統治する為、高天原から日向国の高千穂峰に降り、大山祇神(おおやまづみのかみ)の女(むすめ)、木花之開耶姫(このはなさくやひめ)を娶り、火闌降命(ほすそりのみこと)・火明尊(ほあかりのみこと)・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと、神武の祖父)を生んだ。天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)。

※4:天児屋根命(あまのこやねのみこと)は、日本神話で、興台産霊(こごとむすひこ)の子。天岩屋戸の前で、祝詞を奏して天照大神の出現を祈り、後に天孫に従って降った五部神(いつとものおのかみ)の一で、その子孫は代々大和朝廷の祭祀を司ったと言う。中臣藤原氏の祖神とする。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):「ごっつぁん」について▼
資料−日本の相撲の歴史と仕来たり(History and custom of Sumo in Japan)
「純喫茶探偵団」の面々▼
懐かしの「純喫茶」(Nostalgic 'Pure coffee shop')
トラスト運動で保存されてる蒸気機関車▼
大井川鉄道の”SLの人生”(The 'Life of SL', Oi-river Railway)
都会の子供に多い精神的欠陥者▼
いじめ問題について(About the BULLYING)
城跡の石垣▼
2003年・豊後岡城の「荒城の月」
(Moon over the ruined Oka castle, Oita, 2003)

米食民族について▼
民族占い(Comparative Ethnologic approach)
”境の地”の恩恵▼
2003年・磐座サミットin山添(Iwakura summit in Yamazoe, Nara, 2003)
私が主宰する【ブラボー、クラシック音楽!】▼
ブラボー、クラシック音楽!(Bravo, CLASSIC MUSIC !)
10年4月の【ブラボー、クラシック音楽!】の花見▼
(09年9月例会では”不良定年”氏が独演会)
ブラボー、クラシック音楽!−活動履歴(Log of 'Bravo, CLASSIC MUSIC !')


Select page:1:樒原の棚田(Shikimigahara)|2:長谷の棚田(Nagatani)|

総合目次に戻ります。Go to Main-menu 上位画面に戻ります。Back to Category-menu