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でんだいこ@日記
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2005/05/08 01:29:30 |
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この連休中、考えることがあった。
先日終わった黄金時代の方が、15年前のそれよりも、 桁違いに投入戦力が大きかった。
得たものも、おそらくはより大きかったはずだ。
では、なぜ15年前のそれは黄金時代だったのだろう…?
そうして、気付いたことがひとつ。
15年前、当時いた最高の親友とは、
”殴り合った”ことがあったっけ…。 (相手は女の子だったけど)
怒ることができたから、信頼し合うことができた。
悪口言い合うことができたから、 自分の嫌な面も平気で見せられた。
その程度では、 お互いの絆は揺るがないことを、
信じあえたから。
私の受けた、あふれるような優しさはもちろんのこと、 他人には見せることのできない自分の内面、その一番奥は言うまでもなく。
それ以降、今回の黄金時代が終わるまで、 私にとって大切だったいかなる友人にも、 そこまで見せたことはなかった。
人間として最高ではなかったけれど、 ここまで深いレベルで心を重ねあえたという意味で、
この親友は、文字通り、 他の誰にも越えることのできない至高の存在。
彼女がいてくれたから、 15年前のそれは黄金時代だったのだろう、と思う。
それは、大人になってしまった今では、 到達することのないレベルだ。
きっと、誰にも。
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でんだいこ
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2005/05/08 14:55:59 |
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彼女は、今まで(性別に関らず)私の出会ってきた人間の中でただ一人、 相手が間違ってると思えば本気で人を殴れる人間でした。
それに、何か伝えたいことがあると、物理的な距離をものともせずに直接やってくる人間でした。
熱い人間だったんですよ。 ガラス細工のように壊れやすい心を持って、 当時逆境の中でとても苦しんでいたにも関らず。
優しさや好意を伝えてくれる人は何人もいましたが(それとて私にはとても切なことです)、 同時に熱さまで伝えられるような人には今まで会ったことがありません。
結果、彼女は私のその後の行動規範すべてに影響を与えるほど大きな存在になっていました。 その当時、私は私で別に好きな相手がいたのに、ね。
だから、私は彼女と同じような相手を求めようとは思いません。 大人になってまでそこまでの熱さを持ち続けられる人間は稀ですし、 ネットや携帯電話という便利なツールがある時代に、 直接距離を踏み越えてくる大切さを知り得る人がそうそういるわけではないですから。
別の相手を好きになることは、できると思います。 現に、二年前も本気で人を好きになっていましたから。
でも、それと代わりのない大切な人と出会うことは別ですから。
だから私にとって、彼女は特別なんです。
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HAI!!
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2005/05/08 12:52:46 |
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似たような内容を日記に書いた、HAI!!ですが・・・(^^; あえて言わせてもらいます。
その彼女を超える女性と巡り合う努力をする事が 『生きる』という事なのではないでしょうか?
自分のことは棚において、偉そうな事書いてしまいました。。。
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