江戸東京探訪シリーズ 江戸幕府以前の江戸        |
1 | 江戸重継と江戸城の前身 | 2 | 江戸という地名 | 【参考】 江戸氏の系図 荒川の開発史 | |
3 | 鎌倉時代と秩父一族 | 4 | 鎌倉末期と楠木正成 | ||
5 | 室町時代と道灌の誕生 | 6 | 太田道灌の江戸城 | ||
7 | 戦国時代から安土桃山時代 | 8 | 家康の江戸の町作り |
戦国時代から安土桃山時代 | |
1486年 |
江戸城を築いてからも、道灌は扇谷上杉家のために武勇を発揮し、主家の勢力を大きく伸ばしていきます。 道灌の信望は高まり、その力も次第に大きくなりますが、世は下克上の時代です。 道灌の勢力が大きくなるのを恐れた者にだまされた道灌は、文明18年(1486)に暗殺されてしまいます。享年55歳でした。 |
1524年 1550年代 |
道灌死後、大永4年(1524)小田原の 北条早雲 を祖とする後北条氏が江戸城を支配下におき、
このあたりの地を治めることになります。
後北条氏は、小田原を本拠地としていましたが、関東地方にも勢力を伸ばしていたわけです。 この頃は、足利将軍の権威が失墜し、各地の豪族が力を付けてきた時代、ちょうど群雄割拠の戦国時代へ突入する時期でした。 たとえば、上杉、武田、今川などの武将が活躍した時代でもあります。 ちなみに、上杉憲政から関東管領職を引き継いだ越後の長尾景虎、後の上杉謙信が、 甲斐の武田信玄と何度かにわたり繰り広げた川中島の戦いは、天文年間(1550年代)の出来事です。 それから間もなく織田信長が台頭してきます。 |
1573年 | 元亀4年(1573)第15代将軍足利義昭は、次第に勢力を伸ばしてきた織田信長によって、 京都から追放されてしまいます。ここに、室町幕府は崩壊し、元号も天正元年(1573)と改められました。 |
室町幕府が終焉を向かえ、織田信長や豊臣秀吉を中心とする安土桃山時代が始まります。 この時代は、元亀4年(1573)〜慶長3年(1598)くらいまで続きます。 なお、武田信玄が労咳のため53年の生涯を閉じたのも、元亀4年すなわち天正元年のことです。 | |
1582年 1590年 |
世は信長の天下になりましたが、天正10年(1582)には明智光秀の謀反による京都本能寺の変で、
信長は殺されてしまいます。信長の天下も、わずか10年ほどだったわけです。 信長没後は、豊臣秀吉が天下を取りました。 その頃関東を支配していた北条氏も、天正18年(1590)小田原の役で豊臣秀吉に攻め滅ぼされ、 ここに秀吉による天下統一が成ります。 このとき、 秀吉 は 徳川家康 に関東を治めるべく 江戸行き を命じたのです。 江戸行きを命じた秀吉と命じられた家康のそのときの心境はどうだったのでしょうか。 秀吉は、次第に勢力を増してきた家康を遠い江戸の地に追いやろうとしたのか、家康は、しぶしぶ秀吉の命に従ったのか、 それとも、これが天下を取るチャンスと考え、国の中心は江戸の地と見たのか。 実際のところは分かりませんが、家康がその後10年余りで江戸を一大都市に築き上げ、徳川の天下にしたことは事実です。 なお、大きな都市ならばいざしらず、神田山などの山と、江戸湾という海と、武蔵野の荒涼たる原野に囲まれた未開の江戸の地を、 要害の地として家康に勧めたのは秀吉ですから、実際秀吉に土地を見る目があったと言うべきかもしれません。 |