二本松少年隊に関わる人々

青山助之丞 21歳

 大壇口の二勇士として知られる助之丞だが、それ以外にも助之丞にまつわる逸話がいくつか伝えられている。
14歳の時、杉田八幡社での砲術大会決勝は小雨降る中行われた。助之丞と決勝を争ったのは15歳の銃太郎だった。 先攻・助之丞の一射撃目は失中、後攻・銃太郎の一射撃目は命中。優勝は銃太郎、助之丞は準優勝となった。
 17歳の時、水戸の役に出役。20歳で、白河城守衛となる。

 戊辰の役では、二勇士の山岡栄治と共に、大谷与兵衛隊に属し小野新町へ出陣している。
 しかし7月26日、三春藩の裏切りにより、二本松藩兵は苦戦、退却を余儀なくされた。 四方に退散した大谷隊、命からがら二本松へと戻った助之丞と山岡。28日夜、徹底抗戦を主張する助之丞に対して、 和議恭順を主張する山岡。意見の衝突した二人は斬り合いの寸前にまでなったと言う。 翌29日早朝、開戦。 この時、助之丞は銃太郎隊の大砲方として大壇口へ出陣した事になっている。(山岡も大壇口へ出陣)
 退却の相図で銃太郎の元に戻った時は、すでに銃太郎の介錯が終わった後であったと言う。 少年達の退却を助けるためその場に残り、一刻でも敵を食い止める覚悟の助之丞と山岡。 二人は一文字石前の茶屋に潜み、何の警戒も無く歩を進める敵が差し掛かると、茶屋から飛び出し、敵の真っただ中、 大刀を振りかざして斬り込んだ。たった2人で9人もの敵を斬り倒したが、抗戦空しく、助之丞は敵の銃弾によって命を落とした。

     没 1868年7月29日  享年 21歳
         墓所 二本松市台運寺