二本松少年隊に関わる人々

成田才次郎 14歳


戦死の地碑
霞ヶ城址公園
 大壇口が破れ、大隣寺付近で仲間達と離ればなれになった才次郎は、郭内まで引き上げて来た所で、叔父・篠沢弦之助に出会う。 叔父は才次郎の無事を喜び、この戦争はもう終わる、お前はどこか無事な所へ落ち延びろ、と告げる。  しかし才次郎は叔父の忠告は聞かず、仲間の仇を打つため、一人でも多く敵を倒すため、松坂門入口に身を潜ませ時を待つ。
 そこへ敵兵数名が通り掛かった。才次郎は敵の前にふらりと歩み寄る。その放心した様な姿を見た敵兵は「子供だ、乱心しているのであろう」 と気にも止めず通り過ぎようとした。
だが才次郎は乱心していた訳ではなかった。

 二本松藩では『斬らずに突け』という、伝統の剣法があった。身体の小さな子供では長い刀を振り回したところで到底敵は倒せぬと言う事で、 才次郎も出陣の際に父から「敵を見たら斬ってはならぬ、ただ一筋に突くのだぞ」と強く言われていた。 その教え通り、才次郎の大刀は馬上の長州藩隊長・白井小四郎の脇腹を一突きにした。
 白井は自身の油断が招いたゆえの不覚と、勇敢な少年に対して「殺してはならん」と言ったが、我隊長に刃を突き立てた少年に怒り狂った敵兵達の耳には届かず、 その場で銃殺された。

      没 1868年7月29日  享年 14歳
          墓所 二本松市大隣寺