一昨日、昨日と続けて気分が重かった。今日はついに出勤できず。
いつものように5時に起きて洗濯機を動かして6時に朝食も食べた。
それでも、どうにもこうにも家を出られず、布団に戻ってきた。
不登校の始まりはこんな感じだろうか。
今日一日寝ているつもり。
思い出せば毎年、成人の日前後のこの時期、風邪でもないのに会社を休むことが多い。
正月にはしゃぎすぎたせいか、それとも2月が近づいているからか。
昼まで一寝入りした。
一日中寝ているつもりだったのに、ずっと布団のなかにうずくまっているのも飽きてくる。そうかといって本を読んだり音楽を聴く気にもなれない。
暇なのでずっと延期していたMac OS Catalinaへのアップデートをした。
これまでアップデートのたびに何か問題が起きてヘルプデスクの厄介になっていたけれど、今回は助けも借りずに完了した。
昨夜から降っていた雨も止んだ。
とりあえず外へ出て、コンビニまで行き足りなくなっていた牛乳を一本買った。腹は減ってないけれど肉まんを一つ買って食べた。
白状すると午後も眠れるように500mlmの缶ビールを買い、コンビニの前で飲み干した。家で空き缶が捨ててあると叱られるので。
午後tはツィートを重ねるように徒然なるままに文章を書いて過ごそうと思う。
BGMはさだまさしの1978年頃のFMライジオを録音したライブ。
さだまさしの歌を聴きたくなったのは2月が近づいているからだろう。
本当は今日は月に一度忙しくなる日。先月の売上データをレポートにまとめる日。今朝、会社へ行くべきか、少し迷ったのはそのため。結局は行かなかった。
というのも、9月に入社した派遣社員にこの仕事を引き継いですでに3ヶ月、いまやその人一人でレポートは作れる。私は上司でもないし、出来栄えをチェックする立場にはない。
去年の終わりごろから、会社に行ってもすることがほとんどなくなった。所属部署で一度に二人がいなくなり3月から9月まで忙殺されていた業務のほとんどは派遣社員に引き継いだ。
一つ、少し負荷のある業務が残っている。ただ、この業務は不定期なのでその業務がないときは全くヒマになるときがある。昨日もそうだった。ほとんど一日、止まった液晶画面を見つめて過ごした。どうもこの業務も別の人に引き継ぐことになるらしい。その後何をすることになるのか、何も知らされていない。
だから早く転職を決めたい。12月に応募した3社からはまだ何も言ってこない。
今いる会社は楽しくないけれど、「辞めろ」と言われているわけではないのだから、いられるだけいる、というのも一つの手ではある。実際、障害者枠での求人で現状より好条件の案件はなかなか見当たらない。
そう、そもそも障害者枠で働くか、普通の正社員として働くか、それもまだ決めていない。普通の正社員になりたいという希望はある。その一方で、それができるのか、正直なところ自信はない。
とくに今日のように「やる気」が出なくて会社を休んでしまうと「やはり障害者枠でないとやっていけないかな」と思う。さらには日頃の退屈や苦痛を忘れ「突然休みを取っても文句も言われない今の会社に留まることが一番"楽"ではないか」とさえ思う。派遣社員とは違い、障害者枠の契約社員を雇い止めすることは考えにくい。とはいえ、正社員になれるチャンスもなく、昇給も望めない今の状況に耐えていけるのか、それもまた自信がない。
転職ができるか。障害者枠でないと採用されないか。いずれも私が決めることではない。私にできることはただ応募するだけ。
この件についてはこれ以上考えても仕方ない。なるようになるだろう。
主治医のS先生に「気落ちして休んでしまうことがあるんです」と打ち明けたことがある。そのときの先生の反応は単純だった。
休む権利があるのだから、辛いときは無理せず休むといい
頑張りすぎないように、という含意もあっただろう。言葉を換えれば、私はまだ病気から寛解していないということ。前職を辞めたときに比べればはるかに回復しているけれど、バリバリ働けるような状態ではまだない。元々、そんなモーレツ社員でもなかった。
今は午後3時半。チラチラと時計を見て5時までの残り時間を数えている頃。さだまさしのライブアルバム『二千一夜』(1993)を聴いている。収録されている曲は1980年代までの作品が多い。
さだまさしを熱心に聴いていたのは小学五年生から中学三年生まで。1978年から83年頃。『Glass Age』まではアナログ盤で持っている。高校生の頃にはコンサートにも行った。
最近の気分は中学三年生の冬のそれに似ている気がする。一人で登校し、学校へ行っても話し相手もなく、一人で弁当を食べて、一人で下校していた。
あの頃、一人だけ話し相手になってくれた女の子がいた。多くの人が忌避する秘密を抱えている私に、彼女は偏見もなく仲良くしてくれた。無理かと思いながらも誘ってみたら『ちひろ美術館』にも一緒に行ってくれた。もっとも、「付き合う」というほど互いの気持ちを確かめ合ったわけではない。
その後、別々の高校へ通うよことになり疎遠になってしまった。今はどうしているかは知らない。正月に彼女の家の前を通ったところ表札の名前が変わっていた。
思いやりを持って私に接してくれた人と疎遠になった原因は私にある。彼女が入った高校が私が入学した高校よりずっとランクが低かったから。つまり、私は人を「人となり」ではなく学校のランクで選別する、そういう人間だった。学歴で人を見定める傾向は今でも完全には消えていない。数えきれない私の欠点のうちの一つ。
2月の高校受験の直前になってから、同じ高校を受ける人のなかで友人が一人できた。彼と知り合ったおかげで、暗かった中学生活はとりあえず「終わりよし」となった。
今は札幌にいる彼とは今も付き合いが続いている。
陽が傾いて西の空が薄紫に変わりはじめた。徒然というよりダラダラと書いてきた駄文も締め括る時に近づいている。
今は沢田聖子『青春の光と影』(1981)を聴いている。
書いてきた文章を読み返してみると、出来事についても心に浮かんだことについても表面をなぞるだけで、考えはまったく深まっていない。何一つ深く考えていない。
我々の最も平凡な日常の生活が何であるかを最も深く掴むことに依って最も深い哲学が生れるのである
座右の銘としたい西田幾多郎の言葉をまったく実践できていない。
会社での時間をどうやり過ごすかより、次の仕事を探すことより、一つ一つの出来事や、心に浮かぶ一つ一つのことについて、よく考えなければならない。
もうすぐ2月になる。私が深く考えなければならない出来事があった月。
今年こそ、私は真剣に向き合わなければならない。たとえ答えは得られないとしても。