本書は日経新聞の書評で知った。2017年12月16日、五味文彦評「『吉田の捏造』論証し実像示す」。
兼好法師というと「仁和寺の和尚」から連想して京都の人と思っていた。書評とはまったく違う意味で吉田兼好は私の頭の中で勝手に捏造されていた。
「仁和寺の和尚」(第五二段)を読んだのは代ゼミ講師、土屋博映先生が受験生が古文が好きになるように面白い文章を集めた本。書名は忘れてしまった。「なるほど・ザ・先達」という名前の章だったことは覚えている。
ともかく兼好法師は出生地は今もわかっていないが京都生まれではなかったらしい。京都にも暮らしたが鎌倉時代後期に幕府周辺にも暮らしたらしい。
その場所が私の故郷である横浜南端と書いてあったので驚いた。書評を読んで新書を買ったのも兼好が 金沢文庫に所縁があると書かれていたから。
本書を読んでさらに驚いたことは、彼が六浦湊(むつらみなと)周辺に暮らしていたこと。鎌倉の海は遠浅で港が作れないために峠を越えた東京湾に面した現在の横浜市金沢区に港や塩田があったことは知っていた。兼好法師が暮らしていたとは知らなかった。古文の教科書でしか知らない人物が急に身近に感じられはじめた。
『徒然草』は一段ずつが長くないので読みやすい。現代語訳で大意をつかんでから原文を読むとさらに読みやすい。手引きがあると面白い話や含蓄ある言葉に出会うことができる。『徒然草』はジャンルで言えば随筆やエッセイ。内省的というよりは世の中を斜に構えてよく観察するタイプの文章。現代でさがすとナンシー関が近いか。そう考えると、一編の分量や内容からみると今の言葉では「コラム」が近いかもしれない。
「コラムニスト、法師兼好」と呼びたい。
読みながら面白く感じたのは鎌倉時代の僧侶の立場。武家と公家のあいだにいて、時には小間使い、時には精神的な指導者、時には政治的フィクサーのようなこともする。兼好には隠者のイメージもあるが、実は武家と公家のあいだで巧みに生き抜いた知恵者だった。
隠棲して著述したのではなく、世間に暮らしながら徒然と書き綴ったと著者は見ている。なるほど、著者が紹介する兼好には俗っぽい印象が残る。もちろん、俗世にいたからこそ、そこにいる人たちの見栄や粋もよく見えた。
本書を読んでもう一つ驚いたことがある。それは鎌倉時代の人は「過去」をとても大切にしていたこと。
代表的な例が三十七回忌という一部の有名人を除いて今はほとんど行われていない仏事。それを京都と鎌倉、金沢文庫とのあいだでいつ相手に届いかもわからない手紙で(もちろん手書きで)やりとりしながら準備している。瞬時に「既読」がわかる今では想像することも難しいスローライフ。
鎌倉末期の都は荒廃していたので、『徒然草』には昔の栄華を懐かしむ文章も見られる。
過去を大切にする、という意味では著者の研究もその精神を体現している。京都や鎌倉の街並みから内裏の暮らしぶりまでつぶさに調べ上げる姿勢には舌を巻く。激しい調子のはしがきは 歴史研究に対する著者の並々ならぬ意気込みが感じられる。
2014年まで20年間、進歩と変化が素早く激しい業界で働いていた。 「あの頃」は急流についていくことで精一杯だった。過去を振り返るのはせいぜい年に数回、発作のように込み上げる激情に身を任せるひとときだけだった。
いまは今日明日の仕事に右往左往しなくてよい暮らしを送っている。収入は減ったものの時間には余裕ができた。 その意味では恵まれた暮らしとも言える。
会社に行って少しだけ仕事をして、 早く帰ってのんびりする。
現代の隠者になれるかもしれない。
さくいん:金沢文庫