4/5/2015/SUN
かべ―鉄のカーテンのむこうに育って(The Wall: Growing Up Behind the Iron Curtain, 2007)、Peter Sis、福本友美子訳、BL出版、2010
おとうさんのちず(How I Learned Geography, 2008)、Uri Shulevitz、さくまゆみこ訳、あすなろ書房、2009
二人の絵本作家の自伝。どちらの作家も、子どもが幼かった2003年から2005年のあいだに代表作をいくつか読み聞かせた。シュルヴィッツ『空飛ぶ船と世界一のばか』は、痛快な物語で子どもに評判がよく、何度も読み聞かせた。
二人とも、子どもによくわかる絵本とは別に、初めから大人向けに書いたのではないか、と思うほど、理知的で含蓄の多い作品も書いている。
二人とも、少年から青年時代までを差別や政治的抑圧の下で過ごした。異なる道筋を通った二人はアメリカに渡り、絵本作家になった。ピーター・シスはチェコで青年芸術家として「プラハの春」を経験し、のちに渡米した。ユリ・シュルヴィッツはポーランドから中央アジア、イスラエル、パリと長い旅のはてにアメリカにたどり着いた。『かいじゅうたちのいるところ』で知られるモーリス・センダックは、ドイツから亡命してきた両親をもつ移民二世。
二人以外にも、米国には移民の絵本作家が多い。ほかにも、第二次大戦中、ドイツ軍が迫るパリから脱出したH. A. レイ、中欧で生まれ、わずか16歳で単身、第一次大戦直前に渡米したルドウィッヒ・ベーメルマンス、そして、日本からは、やしまたろうとアレン・セイ……。
絵の才能がそこそこあれば、言葉はむしろ平易なものが好まれる絵本は、アメリカへ移民してきた若い芸術家にとっては格好の仕事だったかもしれない。
多くの絵本作家が自伝を絵本で書くことは、おそらく偶然ではない。
彼らは、自分のルーツを自分の子どもだけでなく、アメリカの子どもたちに、自分を受け入れてくれた「多文化社会としてのアメリカ」を肯定的に伝えたい気持ちが強いのだろう。
『かべ』は、あえてアメリカが抱えるさまざまな問題には触れず、冷戦下の東欧での生きづらさとは対照的な、自由と権利が保障された理想の国に描かれている。
歴史を学ぶことは大切、とあらためて言うまでもない。では、自分の父親や母親がどんな風に育ち、生きてきたか、案外知らないもの。
身近な人から伝えられる「歴史」は教科書で学ぶ「歴史」と視点も表現も違う。親しい人が生きてきた歴史を知ると、歴史は、より深く「いまの自分」と関わるように感じられるだろう。そして折り返し、教科書で学ぶ歴史も単なる年表ではなくなるに違いない。
切実で、強固な決心をもって彼はこの絵本を描いた。
今、私のアメリカの家族は、チェコの私の親戚を訪ねると、プラハのカラフルな街並みが、以前は恐れや疑いやうそに満ちた暗い場所だったことなど信じられない、という。私の子ども時代のことを説明するのはむずかしい。なかなかことばでは表現できない。でも私はいつだって何でも絵にかいてきたのだから、家族のために、アメリカにくる前の人生もかいてみようと思った。この本の物語はそれをできるだけ忠実にかいたものである。
(かべ あとがき)
執筆の意図は明確なので、アメリカ社会の裏面はあえて描いていない。
問題は、どう伝えるか。小説家は物語で伝え、音楽家は作曲と演奏で表現する。色で表現し、伝える人もいる。
絵本作家であるSisは「絵本を描く」という自分の仕事を通して、見事に「自分が生きてきた歴史」を子どもに伝えた。
先月読んだ『「幸せ」の戦後史』でも、リストラされた元編集者は、「幸せ」という言葉を通して、自分が育ち、生きてきた戦後の日本社会を活写した。
私も、自分の子どもに私がどんな時代を生きてきたか、伝えたい。シスほどに政治に翻弄されたわけではない。それでも、「なかなかことばでは表現できない」が伝えたいものがある。
画才も文才もない私は、どうすれば、私が育った70〜80年代ーー高度成長と生活感の上昇、管理と暴力の教育、バブル経済、そして、喪失と発見と再生ーーを伝えられるか。
さくいん:ピーター・シス、ユリ・シュルヴィッツ、さくまゆみこ、70年代、80年代