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分析化学/化学分析を延々と語る (No. 6-10)

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10.分析技術者にとって厳しい時代か(2004/1/4)
9.高分解能MSとMS/MSはライバルどうし(2003/12/13)
8.医薬品分析と食品(環境)分析の間の暗くて深いミゾ(2003/10/11)
7.ルーチン分析と研究(2003/9/28)
6.発酵食品中のカルバミン酸エチルの濃度実態と分析法(2003/8/31)

10.分析技術者にとって厳しい時代か(2004/1/4)

 年が改まる時期には世の中の様子を総括した言葉がよく使われるもので、近年は「厳しい」「激動」「変革」などの語を頻繁に耳にする。一般的なことは新聞やテレビに繰り返し登場するが、私たち分析屋にとっては何が厳しくて激動で変革を迫られているのか、年頭に当たって、ちょっと考えてみた。

 このごろ環境分析の需要は頭打ちになってきており、替わって食品分析への参入が相次いでいるそうだ。参入する側にとってもされる側にとっても、厳しい事態に違いない。それから、昨年は厚生労働省が複数の指定検査機関に対して業務停止命令を発するという、GLPの本格化を象徴するできごとがあった。これらを端的に表現すれば「分析対象の変化」「分析精度に対する要求の高度化」ということになる。

 しかし、科学を業とする者にとっては、自分の取り組む対象が変化するのも高度化するのも当然のことで、むしろそうでなければ面白くない。「厳しさ」はもっと別のところにあるのではないか。私には、地方衛生研究所OBクロやんさんの エッセィ風きまぐれ日誌 平成14年12月12日付け に書かれているこの場面が印象的だ。

一昨日、久しぶりに古巣の職場近くを通ったので寄ってみた。
(中略)
どの部屋へ行っても「先輩はいい時に辞めましたね。これからは大変なんですよ。」と羨まれたが、「私も昭和40年の初任給は、民間が3万円位の時に2万だったんだよ・・・」と返した。
そして「過去の栄華を望むよりは現実をしっかり見て、早く時代に順応する仕事のやり方や生活設計を得とくすることが大切だよ。」と言って慰めたものの、若い職員にとっては先ゆき不透明な社会に、不安を抱かずにはおられない様子だった。

 エッセィ風きまぐれ日誌 平成15年8月7日付け にも、似た場面が描かれている。要するに、科学や技術の問題でない、雇用環境の問題だ。こういう話は技術屋には苦手なものだが、いったい雇用環境は具体的にどう変化しているのか。私に思い当たるのは、様々なサービスが、国から地方へ、公営から民営へ、自前から外注へ、この3つの流れの中にあるということだ。事業主体が変われば、それに伴って雇用関係が解消される場合もある。変わらないまでも、否応なく競争が激しくなる。これは各個人にとっては人生設計の変更を迫られる重大なことだろう。(私も昨年職を変えた。)

 しかし、雇用環境はいつの時代でも変化するものであって、今が特に変化の激しい時代だなどと言える根拠はあるのだろうか。私は、あると考えている。竹森俊平「経済論戦は甦る」(東洋経済新報社、2002)には、終身雇用制とメイン・バンクという2つの制度・慣行を中核とする「日本型システム」が、1980年代までの日本経済の発展にいかに貢献したか、そして、90年代以降、なぜ日本経済は急に低迷するようになってしまったのか、経済学の理論に基づいて、一般人にもわかりやすく解説されている。この本を読んで私は、今は変化の時代だと痛切に感じた。

 「経済論戦は甦る」には、次のように書かれている。(注意:かなり単純化してある。)日本の企業はこれまで、株式でなくメイン・バンクからの借入れを主な資本とすることによって、株主よりも従業員を大切にし、従業員は会社から離れないという経営を行ってきた。これが従業員間の連携を育て、日本独自の高い品質に結びついて、製造業の競争力を高めてきた。ただし非製造業に関しては、終身雇用制で効率が特に良くなったとは言われていない。ところが、1980年代も中ごろになると、非製造業が依然として銀行に頼り続けたのに対して、製造業は銀行離れを起こした。というのは、力をつけた製造業は内部留保を増やし、社債による資金調達をしやすくなって、もう銀行から借りる必要がなくなるからだ。この結果、銀行にとって優良な借り手は離れていき、収益性の低い借り手だけが残っていった。不良債権問題の根底には、このような事情がある。

 もちろん、現在の雇用環境の厳しさの主因は経済不況のほうにあり、「経済論戦は甦る」は主に不況打開の方策について述べている。しかしたとえ現在の不況が終結しても、終身雇用という慣行はもとどおりにはならないのではないかと私は思う。

 そこで先の国から地方へ、公営から民営へ、自前から外注へ、この3つの話に戻る。これらは要するに、事業単位を小さくし、コストとパフォーマンスの関係をはっきりさせようという流れだ。今まで、大きな組織と終身雇用の慣行の中で、パフォーマンスの低い部門や被雇用者も隠れ棲むことができていたかもしれない。終身雇用制が崩れていくならば、今までどおりには行かなくなる。そして、分析という部門は、非常に切り離しのしやすい部門である。今いる組織から真っ先に放り出されるのは、自分たちの分析部門かもしれない・・・こんな仮定にただならぬ現実味があるというかたもいるのではないだろうか。

 こういう話を暗いと考えるかどうかは人による。事業主体が変わろうと、分析の需要が急に減ることはない。技術さえあれば、どこかに職はあるだろう。また、不本意な転勤や過酷な残業をするくらいならあっさり転職できる、組織に縛られない生き方が可能になると考えることもできる。逆に、外注では望めない質の高さを維持し、組織から絶対必要とされる分析部門にしてやるぞと意気込む道もある。いずれにしても、単に努力するだけでなく、何に向かって努力すべきかを、より深く考えなければならない時代が来ているようだ。日本に住む全員にとってそういう時代だが、分析を業とする者にとっては、より切実にそういう時代だと思う。

追記(2004年1月17日)
 クロやんさんが
エッセィ風きまぐれ日誌(1月14日付け) で、この記事に関連して、分析技術者に必要とされる資質について書かれました。これから生き残れるのは、高い技術はもちろん、経済感覚や人間性にも優れた「分析屋」とのことです。


9.高分解能MSとMS/MSはライバルどうし(2003/12/13)

 複雑なマトリックス中の微量物質(たとえば食品中の残留物質)を分析するとき、コスト削減のために前処理をできるだけ簡略化したいという要求は、常にある。そのための方策の一つとして、検出器の選択性を高めるというのがある。

 高選択性と言えばMS/MSだ。と私は思い込んでいた。ところが先日、高分解能MSという道もあると聞いてはっとした。それを聞いたのは、某社のベンチトップ磁場型質量分析計のユーザー講習会でのことだ。

 少なくとも、私が携わってきた残留農薬や可塑剤の分析においては、次世代の高選択性検出器はMS/MSだと思ってきた。ダイオキシン分析では高分解能MSが公定法に採用されているが、それは、ダイオキシンはどんなにコストをかけても分析しなければならない地上最悪の猛毒とみなされてきたからだろうと思っていた。高分解能(磁場型)MSは家が買えるほどの価格で、一部屋占領されるほど大きい、とても普通の食品分析には使えないだろうと思っていた。

 ところが、磁場型MSもけっこうコンパクトになったものだ。一応、奥行きのある実験台の上になら載るサイズになった。(実験台の下に置く電源ボックスと冷却水循環装置の大きさは半端でないが。)これを残留農薬のルーチン分析に使う動きもぼちぼち出ているという。いったい、高分解能MSがどうルーチンに役立つのかと一瞬思うが、原理はシンプルだ。分解能を極限まで上げてSIMを行えば、理論的には特定の元素組成の分子イオンやフラグメントイオンだけをモニターできる。

 問題は、ベンチトップ型で達成できる分解能で、実際のルーチンで遭遇される妨害成分と農薬等を分離できるのかどうかだ。ダイオキシン類は塩素原子をいくつも含んでおり、exact massは特徴的な値になるが、農薬や自然毒の元素組成は常在成分と類似している。EUの食肉中残留物質分析基準では、分解能10,000以上 (10% valley) の質量分析計を高分解能と定義し、高分解能MSで検出された判定ピーク1本は低分解能MSで検出されたピーク2本分のポイントとしている。(ちなみに、低分解能MS/MSで検出されたプロダクトイオンは1.5本分とされている。)この某社のベンチトップ磁場型MSの分解能は5,000まで (20% valley) で、EUの定義では高分解能と言えない。

 しかしこのページで高分解能MSのことを取り上げたのは、ダイオキシン以外の食品分析ではMS/MSばかりがもてはやされていて、高分解能MSが相手にされていないように感じたからだ。原理的に高分解能MSがMS/MSに勝ると考えられる点もある。MS/MSは複雑なパラメータ設定(プリカーサイオンや二次開裂エネルギーの選択など)が必要であり、その標準化やライブラリ整備には時間がかかるだろう。その点、高分解能MSはシンプルである。目的成分ははっきりしており、あとはとことん分解能を上げていけばよい。一方、高分解能の宿命として汚染に神経を使う点は、多数検体をこなす分析では不利かなと思う。それから、私が使ってみた装置の場合、システムの作り方がマニア向けすぎて、ルーチンに使うには重いと感じた。

 今の勢いではMS/MSがいずれ農薬分析等の公定法に採用されそうな気がするが、高分解能MSも使えることが認知され、可能性が探求されてもいいのではないか。そう考えて、ちょっと応援する気になった。


8.医薬品分析と食品(環境)分析の間の暗くて深いミゾ(2003/10/11)

 国や地方の衛生研究所は、市民生活に密着した様々な分析業務を行っている。分析対象は、大まかに分ければ医薬品・食品・環境・家庭用品等がある。

 人事の方針は各機関によって異なるが、医薬品から食品へ、食品から環境へ等、分析対象が変わる人事異動も珍しくない。また、機器や設備を共有したり合同の研究発表会を持つことを通じて、各担当技術者は時々お互いの感覚の違いを認識しあうことになる。

 私が食品系の人どうしの話でよく聞いたのは「医薬品から食品へ移ると苦労する」「医薬品を分析してきた人は柔軟性がない」といったことであり、逆に医薬品系の人からよく聞いたのは「食品を分析している人たちはいい加減だ」といった言葉だ。(ここを読みに来る人は食品分析をしている人が多いと思うけど、医薬品分析で要求されるレベルを端的に知るには、FUMI理論研究会(TOCOの会)のページなどを一読してみるとよい。)(2010/7/12追記:FUMI理論研究会は FUMI理論研究所 に代わりました。)

この違いはどこから?

 私が漠然と感じてきた医薬品分析と食品分析の違いとしてまず挙げられるのは、医薬品は人工物である上、成分数も限られる、食品は天然物で、非常に複雑な成分の混合物ということだ。分析法の検討をする際、対象成分が少なければ検討すべき項目が少なく、きっちりと各パラメータを詰めていける。これに対して食品の場合は、例えば同じタマネギでも品種や産地によって成分がかなり異なったりして、完全に再現性のある実験条件を得ること自体が難しい。あいまいな部分を残しつつも相対的に良いと思われる方法を探らなければならない。ある意味の「いい加減さ」がないと前に進めないケースが往々にしてある。

 それから、微量分析か否かという違いがある。医薬品の品質管理関連の分析は純度試験であって、mg/mLオーダーを扱うことが多い。そして、厳密な定量性が求められる。98%と99.8%では大きな差がある。それに対して、食品、特に残留農薬分析はppmまたはppbのオーダーでの分析になる。低い濃度での分析ほどばらつきが大きくなるのは、Horwitzの式が示す通りである。添加回収率が60%とか130%というのは、珍しいことではない。残留農薬の多成分一斉分析で回収率が低い農薬で書いたとおり、農薬分析のベテランは「農薬の回収率なんてそんなもんだよ」と言う。

 さらに液クロかガスクロかの違いもある。両方使っている人には説明する必要もないことだが、液クロが決して他人を裏切らない真面目人間とすると、ガスクロは時々とんでもないことをしでかす油断のならない奴と言える。仕事はできるだけ真面目な人に頼みたいものだが、医薬品分析は液クロでできるものが多く、食品分析にはガスクロが適するものが多い。

 その他、食品はナマモノや季節ものが多くて分析を急がされるが医薬品はじっくり分析できるとか、医薬品会社はそれなりの規模の会社ばかりだが食品会社は零細企業が多く品質管理が行き届かないところもありがちといった違いもある。もちろん、単純な二分類に当てはまらないものも、いくらでもある。(例えば食品添加物の製剤は医薬品に近いし、生薬は食品に近い。)なお、環境分析は、食品分析と似た問題を多く含んでいると思う。

GLP普及であらためて感じること

 ところで近年、食品分析にもGLP (Good Laboratory Practice)が導入され始め、信頼性保証について考えざるをえない状況になってきた。化学分析の信頼性保証に関しては、医薬品GLPがすべての分野の模範になっている。ここでまた私は、医薬品GLPと食品GLPのきわめて根本的で重要な違いを認識することになった。

 分析値の信頼性を客観的に示す方法の基本は、不確かさを見積もることだ。「私の分析は確かです」というのは通用しない。「私の分析はこのくらい不確かです」と言い、その不確かさが分析に対して要求されるレベル以下であることを示さなければならない。

 医薬品GLPは、医薬品の開発に関して構築されてきた体系だ。この中で不確かさを見積もるべき分析値とは、たとえばある薬物をマウスに投与した時の血中濃度の推移とか、製剤を日本薬局方の試験法に基づいて試験した時の溶出濃度とかだ。こういう分析値が個々に不確かさを伴っているからといって、実験全体の結果、つまりその薬物のマウスにおける代謝の傾向とか徐放性とかが誤って判断される懸念は少ない。ましてや、すべてのデータを総合した結論である、医薬品を認可するかどうかという判断に影響するとは考えられない。そういうわけで、医薬品GLPでは堂々と不確かさを示せるのである。

 これにたいして食品分析ではどうか。分析現場におられる方には言うまでもない。たった1回のスクリーニングで流通をストップし、さらにあと1〜2回の公定法による試験で何トンもの食品を廃棄することさえあるのが食品分析だ。つまり、食品分析は、分析値の不確かさが行政判断の不確かさに直結するのである。

 いったい、どの程度の不確かさまでなら、業者や消費者は納得するのか。また、不確かさを減らすためのコスト負担はどの程度許容されるのか。現状では、公的な機関の検査結果は100%正確という建て前になっているが、科学的に100%ということはありえないのであって、いずれは国民的な合意ラインが必要になるだろう。化学物質の安全性に関して、最近ようやく「リスクゼロは神話」「定量的なリスク評価を」という考えが一般に浸透してきたが、分析に関しては、今後「100%正確は神話」「不確かさを減らすにはコストがかかる」との認識が広がっていくだろう。そして、過渡期においては、100%でないことが明らかになる一方で、それが市民社会に許容されるには時間がかかるという混乱が、おそらく生じると思う。たぶん食品GLPは医薬品GLPのような一本道にはならないと、私は考えている。

 2003/10/12日 追記
 この文章に関連した話を、元地方衛生研究所職員のクロやんさんが書かれました。掲載場所は、インターネット随想 第八章 59.掲示板の質問に答えて(W) 40.食品分析の難しさです。”こんな事を大きなミスなく37年間も過ごせた今、「疲れました」と言うのが、私の偽らざる心境である。”というお言葉には重みを感じます。


7.ルーチン分析と研究(2003/9/28)

 「ルーチンが忙しすぎて研究的な仕事ができない」という話を時折聞く。分析ラボのスタッフが愚痴っぽく口にする場合もあり、管理職の立場にある人が問題意識として真剣に話題にする場合もある。

 分析試験室に、ルーチン業務と研究的な業務の適正な配分ラインはあるのだろうか。私はあると思う。最初に結論を言えば、その比率はルーチン対研究が5:5から7:3くらいの範囲にありそうだと思う。

ルーチンとは・研究的な業務とは

 でもまず、分析試験室におけるルーチンと研究がどのように区分けされるかについて定義しなければならない。この文中では、「ルーチン」とは、試験室に依頼があって行う分析とそれを維持するために必要な業務という意味で使う。通常の試験操作やデータ報告の他に、品質保証活動、試薬の在庫管理、器具の確保、機器のメンテナンス等が含まれる。一方、「研究(的な業務)」とは、ルーチン以外の業務という意味で使う。これは、ルーチンに関して何らかの進歩をはかるために行われる場合もあるし、ルーチンと直接関係ない目的で試験室にある機器等を流用して行われる場合もある。新製品に関する情報収集、学会聴講、新しい分析法の検討、種々の実験、学会発表や論文発表がこれに含まれる。

 「研究的な業務」の中でも、新製品のパンフレットを読む程度のことと論文まで書くことは違いがありすぎるのではないか?学会発表や論文につながるようなことだけが本当の研究だ、という意見もあるかもしれない。しかし私は、これらの間に明確な線引きをするのは難しいと思う。どんな試験室であろうと、ルーチンの枠外のことを試みるということは何らかの新規さを含むものであり、それを学会や論文で発表するかどうかは、新規さの質よりも試験室の方針(または会社や組織の方針)に依存すると思う。

単純な実働時間の配分ではない

 それから、ここで「配分」を考えるのは、かなり抽象的で主観的なものだ。時計で測れるような実働時間の配分という意味ではなく、人的物的資源を全部あわせた総合力をどう配分するかということだ。試験室に勤務する個人のレベルでは、各自の位置付けや気合いの入れ方というような意味。たとえ勤務時間のほとんどをルーチンに使っているとしても、単純作業をしながら分析法の改良を考えるとか、データを取る間の細切れの時間にネットで情報を探すとか、通勤電車の中で何か思いつくとか、そういう活動まで全部含めて、自分の精神力をどのように振り分けるかということ。そして試験室レベルでは、単純に従事時間数×人数ではなく、管理職の心づもりや、各スタッフの大まかな合意の目安としての数字(明確に掲げるか暗黙の了解かは別にして)といった意味だ。

10割ルーチンは可能か

 では、ルーチンと研究の配分について、試験室本来の目的から考えてみよう。たいていの分析試験室は、何かを分析する必要に迫られて設置されている。その何かを、できるだけ低コストで信頼性高く分析できれば、最も設置目的にかなうことになる。その場合の比率は、ルーチンが10割である。大量生産工場のように効率よく同じ分析を繰り返し、ひたすら分析値を生産する試験室は一つの理想だ。

 しかし、10割はほとんど非現実的な話である。たいていの試験室には、各種分析機器・試薬メーカーから郵便や電子メールで新製品情報が届けられる。営業マンも訪問してくる。そんなものは一切拒否、封筒も開かずに捨てるというのは、よほど変わった試験室だ。また、日頃はルーチンに追われるばかりでも、いずれ分析機器の更新が必要になる。その時に何も検討せずに従来品の後継機種を購入するというところもあるかもしれないが、多くの場合はいくつかの機種を比較検討するだろう。さらに、同じものを同じ方法で分析し続けるだけの試験室というのはそもそも稀で、時代の変化やクライアントの要請に応じて、新しい分析対象に対応していくのが普通の試験室だろう。つまり、どんなにルーチンに特化したくても、ほとんどの場合は9割が限度だと思う。

最低限必要な1割に上乗せして3割を研究的業務に費やす意味

 研究的な業務を1割確保しておけば、機器の更新も新しい分析対象への対応も何とかなる試験室があるとする。(新しい対象があまり出現しない分野だ。)それなら、そのために必要なギリギリの人員だけ確保しておけばいいと考えるのが普通の経営者だろう。しかし、そうは行かない事情が色々とある。

 まず、分析というものは往々にして季節労働であることが多い。つまり、一時期に分析しなければならないものが集中して多忙を極めたかと思うと、それが終わると途端に暇になったりする。季節労働ならまだマシで、日雇い労働と呼ぶ方が適切な場合さえある。本当に日雇いの技術者が確保できるなら都合が良いだろうが、専門性のある業務なのでそういうわけに行かない。だから、最も忙しい時にも対応できるスタッフを常時雇用しなければならなくなる。すると、暇な時期の余剰人員には研究的な業務をさせておくのも一案だということになる。

 そういう消極的な理由ばかりではなく、研究的な業務には、スタッフの質を向上させる効果が期待できる。ルーチンを良好にまわしていくために必要なのは、さまざまなパターンのトラブルへの高い対処能力に尽きる。正常時の操作は新人でもできる。異常時に技術者の真価が問われる。ルーチンをこなすだけで多様な異常を経験するには、長い年月を要する。ルーチンとは違う実験をしたり周辺領域の知識を蓄積しておくことが、いざというときの原因究明・解決の基礎力になる。

 研究的な活動の結果、他の試験室にも広く役に立ちそうな普遍的な発見があった場合には、学会や論文での発表を検討することになるかもしれない。外向けの発表は多大な労力を要するから、果たしてそれに見合うだけの効用があるかどうか、各試験室で判断することになる。効用として考えられるのは、試験室の水準を同業者や分析依頼者に認知してもらうことができる、外部の専門家のコメントがもらえる(特に論文の場合)、検討内容を参照しやすい形でまとめる動機付けになる、スタッフの意欲の向上につながる、といったことだろうか。

 ともかく、頻度は低くても学会発表や論文発表ができる程度に研究的な業務を継続することは非常にわかりやすい目安であり、試験室にとって一つの目標になりうると思う。そして、そのために必要な最低限の配分比率が「研究的な業務3割」だと私は考える。3割のうち、実験をしたり論文を書いたりするために直接使う部分は1割程度で、残りのうち1割は教養的な情報を仕入れる活動、あと1割はさきほど述べたような試験室の維持に最低限必要な情報収集だ。(かなり大ざっぱ。)

ルーチンが5割を切ると生じる問題

 研究的な業務への適正な配分比率は、下限もあるし上限もあると思う。試験室レベルでルーチンが5割を切るようになると、注意が必要だと思う。

 分析法というものは、何回繰り返されるのかによって最適化の目標が違うのだ。同じものを分析する場合でも、数十回しか実施しないのか何千回も実施するのかで、使用機器・前処理・精製法等を選択する際の基準は違ってくる。また、そもそもルーチン分析の質を高めるアイデアはルーチン分析の中からしか出てこない。

 しかし具合の悪いことに、文献的に表現しやすい回収率・標準偏差・新しい手法といったものは、数十回しか繰り返さなくてもデータが取れるし解明した気になれる。一方、インサートが汚染されて交換する手間とか、器具の使いまわしの上でのちょっとした不都合などは、非常に多くの繰り返し実験をしても客観的に表現することは難しい。その結果、ルーチンの感覚が薄い人が試験法を作ると、わずかばかり再現性を向上させるために煩雑な操作が盛り込まれていたり、従来法でも同等の結果が得られるのに新規な方法を採り入れてみたり、端的に言えばルーチンのための研究というより研究成果を上げるための研究ということになりがちだ。(これは私自身の反省もかなり含んでいる。)

 もっとも、研究成果を上げるための研究を行ってインパクトファクターの高い雑誌を狙うのも、それなりに意義のあることではある。私が残念に思うのは、ルーチン業務に軸足を置いていて、ルーチンの要求に答えるデータを持っている技術者たちが、ルーチンに追われすぎて論文を書けない、あるいはデータを論文にするための方法論を持っていないという実態だ。これはかなりもったいないことだと思う。

 「ルーチンが忙しすぎて研究ができない」という冒頭の話の解決策として提案されるのが、「ルーチンを免除して研究に特化したラボを別途作る」とか「ルーチンをせずに研究だけ行うスタッフを確保する」といった方法だ。しかし私は、上記のような理由によって、こういう路線を実行する場合は慎重にしたほうがいいと思う。

「適正配分」をどうやって実現するのか

 「研究的業務3〜5割」というのは、私のかなり大ざっぱな個人的見解に過ぎないが、ルーチンと研究の配分比率に関して何らかの理想を持つ分析技術者は多いのではないか。目標は既に決まっていて、実現の道筋が知りたいのだ、という方もおられるかもしれない。残念ながら私のページでは、制度的なことには言及しないことにしている。地方衛生研究所で長年勤務されたクロやんさんのページまたはクロやんさんのページからリンクされている技術職のページなどを読み込めば、ヒントが得られるかもしれない。

 また、個人レベルの努力で目標に近づけられる部分もある。ルーチン+研究的な業務に掛ける総合力の全体量を増やすことである。具体的には、通勤時間とか、料理しながらとか、ぼーっとする時間とかに思考をまとめることができる。ただし私の場合は、これを仕事と思うと精神力が続かないから、道楽のつもりでやっている。

 なお、この文章は、試験室に依頼される分析は似たパターンの繰り返しになる場合が多いという前提で「ルーチン」という語を使ったが、実際には、依頼される分析がその都度まったく違うタイプで、試験法の検討から始める必要があるという試験室も存在するだろう。また、公共性の高い実態調査等では、論文で発表することまでが最初から義務になっている場合もある。こういう仕事については、ルーチンと研究というように単純に二分するのは難しい。実は国立衛生研究所で私がやっていた仕事も、どちらとも言いがたいものが多かった。


6.発酵食品中のカルバミン酸エチルの濃度実態と分析法(2003/8/31)

 検索エンジンから「カルバミン酸エチル」の語で私のページにアクセスしてくる方のために、この記事を書くことにした。そのような方が何人くらいおられるかというと、infoseekのアクセス解析を試用し始めた8月9日以降、昨日までの3週間ほどで18回のアクセスがあった。同じ訪問者が繰り返したアクセスも含まれていると思われるが、意外に多くて驚いている。(infoseekの解析を使う以前は、検索語別のアクセス回数など把握できなかった。)そしてこの期間、手間をかけずに自分のページの読まれ方を知るにはの中の

「カルバミン酸エチル」でアクセスしてくる人がけっこういる。

という部分を拾って、少なくとも6つの異なるドメインからアクセスがあった。検索してこういう文章に当ったら、たいていの人はむかっとすると思う。3週間で6人もの人を不快にさせてしまった。以下に、私がこの物質について書けることをすべて書いておく。(アクセス解析とは何なのか疑問に思われた方は、上記のリンクをクリックして読んでみてください。)

私とカルバミン酸エチルの縁

 カルバミン酸エチルとはどういう物質なのか、最新の解説を述べる努力はしない。検索で来る方は他のサイトで既に情報を入手しているはずだし、私も現在では検索でわかる程度のことしか知らない。

 私が国立衛生試験所大阪支所食品部でこのテーマを与えられたのは、平成元年頃だったと思う。まだ就職して3年目で、GC/MSも導入されたばかりだった。この物質は、当時発がん物質として問題になっており、「対がん10カ年総合戦略(昭和59年度〜平成5年度)」の一環として研究予算が付けられた。突発的に特定の物質の発がん性が問題になることは、何年かに一度繰り返されるようだ。近年のアクリルアミドのニュースを聞いたとき、私はカルバミン酸エチルのことを思い出した。余談だが、政府のがん研究事業に対する世間の認知度は最近低くなっているような気がするけれど、対がん10カ年の次には「がん克服新10か年戦略(平成6年度〜平成15年度)」があったし、その次の10年も検討されている。(参考:「今後のがん研究のあり方に関する有識者会議」報告書について

分析結果

 私が取り組んだのは、「いろいろな発酵食品の中でカルバミン酸エチルが自然発生するらしいが、どの程度の濃度か実態調査する」というテーマだった。結論から述べれば、分析結果は下記のとおりだった。

各種発酵食品中のカルバミン酸エチル濃度(各濃度段階における検出試料数)
平成元年頃、大阪市内の小売店で購入した市販品での分析値。1ブランド1試料を分析した。検出下限は0.5ppb。日本酒中の最高濃度は116ppb。
食品名 分析試料数 不 検 出 5ppb未満 〜10ppb 〜20ppb 〜50ppb 〜100ppb 100ppb以上
みそ 14 8 6 - - - - -
しょうゆ 10 - 2 2 4 2 - -
なっとう 9 6 3 - - - - -
もろみみそ 5 1 3 1 - - - -
みりん 2 1 1 - - - - -
パン 3 2 1 - - - - -
酒粕 1 - - - 1 - - -
ヨーグルト 4 1 2 1 - - - -
乳酸菌飲料 4 3 1 - - - - -
料理酒 2 - 1 - - 1 - -
日本酒 9 - - 2 - 2 4 1
しょうちゅう 1 - - - 1 - - -
ワイン 5 - - 1 3 1 - -
料理用ワイン 1 - - - 1 - - -
スピリッツ 2 - - - - 2 - -
ビール 2 2 - - - - - -
合計 74 24 20 7 10 8 4 1

 日本酒、ワイン、しょうゆ中の濃度は相対的に高いと考えられた。この結果は、既に世界的にいくつか出ていた報告を確認するものだった。日本国内で市販されているものでも同様の結果が得られることを確かめたことに、この研究の意義があった。なっとう、みそ等、この研究で初めて分析された食品種もあったが、それらの食品での濃度は低かった。

分析法

 固形物の分析法は次のとおり。

  1. アセトンを加えてホモジナイズ・抽出
  2. グラスファイバーフィルターを使ってろ過
  3. ろ液に水を加え、減圧濃縮してアセトンを除去
  4. ジクロロメタンで抽出
  5. セライトカラムで精製
  6. GC/MS(SIMモード)でカルバミン酸エチルを定量

 しょうゆと乳酸菌飲料を試料とする時には、アセトン抽出は省いてジクロロメタン抽出から行う。アルコール飲料の場合は、アセトン抽出とセライトカラム精製を省いて行う。

 この分析法で工夫した点は、ろ過にろ紙を使うとカルバミン酸エチルと同じ保持時間の妨害ピークが出たため、グラスファイバーフィルターを使用したこと。ジクロロメタンは不純物としてカルバミン酸エチルを含むという報告があるため、使用するロットごとに濃縮してチェックしたこと。既報では抽出時に試料溶液に食塩を加えたりpH調整をしたものが多かったが、そのような操作をしなくても十分な回収率が得られることを示したこと。添加回収率は、みそ、なっとう等7品目で検討し、70〜105%、標準偏差は1〜25%だった(添加量5〜50ppb)。

反省点やデータの所在など

 これは私がまだ半人前の頃に任された仕事で、反省点が多々ある。一番悔やまれるのは、”もろみ”を試料としなかったことだ。”もろみ”とは、日本酒の製造過程でできるもので、この中にカルバミン酸エチルが高濃度で含まれているという噂が当時あった。しかし、私が”もろみ”と聞いて思い浮かんだのは”もろきゅう”などにする”もろみみそ”または”金山時みそ”と呼ばれるものだけで、日本酒の製造過程にも”もろみ”があるとは知らず、分析対象にしなかった。このことをちゃんと把握して”もろみ”を入手し分析していれば面白いデータが取れたかもしれなかった。

 それから、報告書にも論文にも、分析値が食品衛生上どんな意味があるかという考察がまったくない。だから、日本酒中でのカルバミン酸エチルの濃度が相対的に高いことがわかっても、それを摂取した場合、実際どの程度発がんリスクが高まるのか、何も書かれていない。現在の私なら、こういうまとめ方はしない。

 なお、以上のデータの詳細はすべて下記の論文中に書いている。
 Determination of ethyl carbamate in various fermented foods by selected ion monitoring
 Hasegawa,Y., Nakamura,Y., Tonogai,Y., Terasawa,S., Ito,Y. and Uchiyama,M.:J. Food Protect., 53, 1058-1061 (1990)

 それから、私が少しだけ関わったことのある物質で頻繁に検索ターゲットになっているものは他にもあるのだが、不用意に名称を書くのは慎もうと思う。検索する人にとってノイズを増やすだけになってしまう。


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管理者:津村ゆかり yukari.tsumura@nifty.com