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分析化学/化学分析を延々と語る (No. 11-15)

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15.AOAC年会2001---同時多発テロにかく乱された学会:後編(2004/3/20)
14.AOAC年会2001---同時多発テロにかく乱された学会:前編(2004/3/13)
13.キャピラリー電気泳動に関するメモ(2004/2/14)
12.化学分析で発生する有害廃棄物の管理(2004/2/7)
11.「液クロ彪の巻」刊行(2004/1/11)

15.AOAC年会2001---同時多発テロにかく乱された学会:後編(2004/3/20)

 私が参加した2001年のAOAC年会の中身について、前回レポートした。この学会は、あの米国の同時多発テロが会期中に起こった学会でもあった。今回は分析化学とはあまり関係ない話になるけれど、国外滞在中に非常事態に遭遇した体験談として、あの時のことを振り返ってみる。

テロの勃発

 同時多発テロが起こったのは9月11日、開催日の真ん中の水曜日の朝だった。午前のポスター発表を見ていたら他の日本人参加者から「たいへんなことが起こってるよ。ジェット機がビルに突っ込んで」と教えられた。最初は冗談かと思ったのだが、どうも本当らしいので部屋に帰ってテレビをつけてみた。あの事件は「映画の場面のようだ」とよく言われたが、英語の放送で見ると一層非現実的だった。(画像のアーカイブ:米国CNNの関連ページ-->Galleryをクリック

 日本では一連の事件を「同時多発テロ」と表現していたことは帰国してから知ったのだが、最初に聞いたときは言葉が長いせいか何とものんびりと間延びした感じを受けた。米国内のテレビ各局は、"Attack on America", "America under Attack", "Terrorisim Hit America"などとシリーズ名を打っていた。これは国家そのものへの攻撃である、という認識が伝わってきた。

 テロが勃発してからというもの、AOAC年会の雰囲気もまったく落ち着かなくなった。シンポジウムの中には、講師が来られなくて中止になる演題があった。水曜日以降、全土の飛行機が飛ばなくなってしまい、飛行機社会のアメリカでは国内の移動もままならなくなったからだ。会場ホテルのロビーには大きなテレビが置かれ、参加者たちはその前に集まって深刻そうに話し合っていた。

帰国便の確保---最後は空港に行くしかなかった

 20人程度いた日本人参加者どうしも、寄るとさわると「帰りの飛行機は飛ぶのか」という話ばかりになった。まず、木曜日に帰る予定だった人は帰れなかったことが伝わってきた。金曜日の予定だった人も帰れないとわかった。キャンセルされたら新しく予約の取り直しになるが、どうもその場合は、3日から4日後の予約しか取れないらしかった。これは深刻な事態だ。学会が終わってしまえばもう用のない土地に、そんなに足止めされるとは。それと、あれほどのことが起こると、この先も次々と何か起こるのではないかというような恐怖心が湧き、一刻も早くアメリカを離れたい気持ちになっていた。

 フライトの有無を確認するためにも予約を変更するためにも航空会社へ電話を掛けなければならない。あのような場合、どの会社の窓口も大混雑で、つながるまでに1時間以上電話を掛け続けた人もいた。電話の際には次のようなことに注意すべきだと教えられた。

  1. 英語に自信があっても、できる限り日本語対応の窓口を探して電話する。(航空会社を選ぶ段階で、現地に日本語窓口があるかどうかも判断基準にすべきだ。)
  2. つながるまで根気よく掛け続ける。
  3. 英語で話す場合、絶対cancelという言葉を使ってはいけない。not cancelも誤解されやすいからダメ。飛行機に乗る権利を放棄したことになってしまう。必ずchangeを使う。

 私は土曜日に帰国の途に付く予定だった。運航状況を探るため、真剣にテレビを観た。おかげで、英語で「遺体」は「body」、ビルが「崩れる」は「collapse」を使うことを学習した。(たぶんこの知識はあまり応用がきかない。)ともかく土曜日、14日から飛行機の運航が再開されることにはなったが、かなり遅れや間引きがあると思われた。確かめようにも、金曜夜からは航空会社に何度電話してもブチッと切れて通話できない状態になってしまった。どの会社も同様だったそうだ。こうなったら、フライトがあろうがなかろうが空港に行くしかない、ホテルには「また戻ってくるかもしれないからよろしく」と頼んだ上で・・・と日本人どうし話し合った。

空港では臨機応変に

 土曜日には、まだ暗い午前5時台にバスでホテルを出てカンザスシティ空港へ向かった。航空会社のカウンターには既に長蛇の列ができていた。とりあえず並んだので、運行予定の表示を見ることすらできなかった。列が進んで表示が見える位置に来たとき、時刻表の2〜3割の便はcancelになっていた。私の乗る予定の8:20ダラス行きは運行するものの9:23に変更されており、たいへん焦った。ダラスで関西空港行きへ乗り継ぐのだが、当初のフライト予定では乗り継ぎ時間が1時間半しか確保されていなかった。既にこれだけ遅れることが決まっている便は、実際にはもっと遅れると予測された。関空行きも遅れるかもしれないと期待するしかなく、かなり厳しい事態だった。

 しかしよく見ると、7:00ダラス行きという便もあって、これはon timeと表示されていた。この便に予約変更できれば間に合う・・・しかしカウンター待ちの列は長く、なかなか順番が回ってこない。もう6時45分になっていた。そのとき、フロアの空港係員が「7:00ダラス行きの人は優先的にチェックインします」と別の列を作り始めた。私は必死で手を挙げて、「その便に変 更してください」と主張した。その係員(見上げるように大柄な金髪のお姉ちゃん)は事情をのみこんで、特別に割り込みbookingしてくれた。周囲の乗客の手前、私は「私は初めてアメリカへ来た。どうしても日本へ帰りたい」と大声で悲愴にパフォーマンスした。金髪のお姉ちゃんが「取れたでー」と言ったとき、行列の乗客たちは「OH!」と喜んでくれて、ガッツポーズして見せてくれた人もいた。金髪のお姉ちゃんは搭乗手続きの時も「あんたを日本へ帰らしてやるでー」と言ってくれた。アメリカ人の親切が身にしみた。(このお姉ちゃんはきっと英語でしゃべっていたんだろうけれども、なぜか私の記憶では関西弁になっている。)

 その便の出発も1時間半ほど遅れたが、ダラスでは無事関西空港行きへ乗り継ぐことができ、当初の予定より2時間程度遅れて到着した。あとで聞いたところによると、14日に帰国する予定だった日本人参加者のうち予定どおり帰れたのは半数程度だったらしい。空港へ行ったものの自分の便が飛ばなかった人たちは、ホテルへ戻ることを余儀なくされた。私の場合、予約便がキャンセルされていなかったこと、それから一便早いフライトへの変更ができたことが幸いした。

海外での非常事態は心細い&ふつうの米国人たちの姿

 私が滞在していたのはニューヨークから遠く離れている街だったから、別に身の危険があるわけではなかったのだが、それでもああいう事態になると、なんとも心細い思いをした。予定どおり帰国できたときには、本当にホッとした。そして、水曜日の夜に学会の行事として企画されていた「野球観戦とバーベキュー」が中止されてしまったのは悔しかったなと思った。この時には全米の野球が中止されたのだった。結局アメリカまで行って会場周辺で食事と買い物をしただけに終わった。あれだけの犠牲者が出た大惨事と関連づけてこんなつまらないことを書くのは不謹慎だけど、自分が渦中に巻き込まれたら(渦の端っこのほうとはいえ)、なぜか興奮と共にこういうつまらない断片的な印象だけが残っている。

 最後に一つ、あの事件に対する一般の米国人たちの感情を表していると思えるできごとがあったので書いておく。上述のとおり私はカンザスシティ空港でダラス行きに乗り込んだが、この飛行機がなかなか離陸体制に入らなかった。いつまでもゲートにつながったまま、「セキュリティチェックのペーパーが整わない」「セキュリティの問題で離陸許可が出ない」といったアナウンスが数回流された。この間、乗客たちは実に静かにおとなしく待っており、乗務員をつかまえて質問したり抗議したりする人は皆無だった。そして1時間半も遅れてやっと「セキュリティ上の許可が出ました」と放送されると、乗客たちから自然にパチパチと拍手が起こった。たったこれだけのことだけど、米国民たちが事態を厳粛に受け止め、国が一致協力しなければならないと考えている表れのように感じた。

カンザスシティで買った牛のオーナメント

14.AOAC年会2001---同時多発テロにかく乱された学会:前編(2004/3/13)

ホテルの写真

 AOAC International の今年の年会は、9月19から23日に、米国ミズーリ州セントルイスで開催される。一般発表要旨の締め切りは3月31日(予備プログラムに掲載)または6月30日(最終プログラムにのみ掲載)だ。今の時期、参加しようかどうか考えているかたもおられると思う。また、今年は行けそうにないけれど、AOAC年会がどんな感じか知っておきたいというかたもおられると思う。そんなかたたちのために、私の参加体験を書いてみる。

 年会への参加を検討するくらいの人はAOACについて既によく知っているはずだから、ここでは何も説明しない。私が参加したのは2001年9月9日から13日に米国カンザスシティで開催された第115年会だ。この日付を見たら、あっと思った人もいるだろう。あの世界貿易センタービル等への同時多発テロが起こった2001年9月11日がちょうど会期の真ん中に当たっていた。だから、海外で非常事態に遭遇したときの心構えという点でも貴重な体験をしたのだが、そこまで書いていたら長くなりそうなので、この関係の話は次週にまわすことにする。今回は普通の学会参加記。

 あんなたいへんな事態が起こるとはまったく予想もせず、私は2001年のちょうど今ごろ、AOAC年会に参加することを決めた。2001年度は3年間続いた厚生科学研究のフタル酸エステル研究班の最終年で、成果を国際学会で発表することを目的とした、研究班の予算による出張だった。米国化学会の年会も似た時期に開催されるが、学会の守備範囲からAOACのほうが発表先として適当と思われた。

カンザスシティの印象

 開催地カンザスシティは、米国の地図を四つ折にしたらちょうど十字の中心に来ると言われる、国土のほぼ真ん中にある街だ。来訪者向けのキャッチコピーで「ノービーチ、ノーマウンテン、ノープロブレム!」というのを見かけた。海も山もない平地が続く風景の中に、人口45万人ほどの街がある。この街で世界的に有名なものといえば Hallmark社 だ。カードやギフトの老舗で、この名前を知らない人も、きっと王冠のロゴマークには見覚えがあると思う。

 街はカンザス州とミズーリ州にまたがっており、学会が開催された場所はミズーリ州側だった。クラウンセンターと言われる新しく開発された地区で、施設はすべて新しく近代的で明るい一画だった。繁華街はクラウンセンターからバスで20分くらい(だったと思う)行ったところにあり、スペイン風の街並みに統一されて落ち着いた雰囲気だった。そちらへは何回か夕食(ビーフステーキとバーベキューが名物)のために出かけた。

フレンドリーな学会

セレモニー会場の写真

 年会は全体を通じて非常にfriendlyな雰囲気だった。会場は大きなホテル(ウェスティン)で、参加人数は300〜500人程度と思われた。何度も全体集会があって、功績のあった会員への表彰や、5・10・25年会員への慰労があった。ロビーには飲物が常時豊富に用意され、参加者達が談笑していた。

 一般発表(すべてポスターセッション)では、企業関係の発表が非常に多いのに驚いた。昔からよく参加している人の話では、これは近年の特徴だそうだ。AOACという名称も、昔はOfficialの意味が入っていたが、現在ではAOACとのみ記し、何の短縮形であるかは述べないことになっているそうだ。製品宣伝が中心の発表は、魅力に欠けると感じた。農薬関連の発表がどんな感じか知りたい人のために書いておくと、発展途上国からのものが多かった。言い方は悪いが、「我々の国の限られた実験環境でここまでできた」というタイプの発表が多く、新しいアイデアを得る機会にはなりにくいと思った。この学会に限らず、農薬分析全体がそういう段階になっているのかもしれないが・・・。

 一般発表に対して、シンポジウム(多数開かれる)の内容は充実していた。この年の一番のトピックスは、ISO17025が本格化し始めた頃でもあり、試験機関のaccreditationを始めとする精度管理関係、二番目はGMO(遺伝子組み換え作物)だった。GMOに対する取り組みには欧州と米国で温度差があるのを感じた。reference materialにスポットが当たっていた。ただし、ヒアリングの不得手な私にはスライドのテキストを追っていく程度しかできず、深く理解できなかった。分科会の内容がポスターでプレゼンされたらいいのにと思った。(しかしこれは希望的な感想で、現実には語学力を磨くしかない。)

私の発表

 私は、日本政府がDEHP含有塩ビ手袋を調理用途に使用することを自粛するよう通知した経緯についてポスター発表した。リスニングがダメな分、ひたすらしゃべった。通行人を次々とつかまえて、3時間休まずにしゃべり続けた。ほとんどキャッチセールス状態。でも、interesting と言ってくれる人が多かった。掲示物はビジュアルに、文字を大きく、写真や図を中心に・・・と心がけて用意した。シナリオは3通りくらい(長め、短め、標準)を頭に入れておき、相手の興味のレベルに応じて選んでしゃべった。それから、不可欠なのは「指し棒」。語学力を補うために、図表のポイントくらいは正確に示さなければ。何かの景品でもらっていた折り畳み式の指し棒を持っていって、非常に役に立った。持っていないなら1本買っておく価値があると思う。

 英国 Central Science Laboratory (CSL) のJohn Gilbert氏に前日ロビーで声を掛けて、「ぜひ私の発表を聴きに来てほしい」と誘ってあった。Gilber氏(白髪の紳士)は約束通り来てくれて、記念に一緒に写真を撮らせてもらった。(ミーハー・・・。)Gilbert氏は長年プラスチック添加剤の研究をして来られて、 Food Additives & Contaminants 誌 の編集委員もしておられるが、近年はGMOとFAPASに力を入れているらしい。

日本人参加者どうしの交流・参加しやすい学会

 この年会の期間中には、日本から参加している色々な機関の人たちと交流できた。それは、私には同じ職場からの参加者がいなかったからという側面があったかもしれない。複数で参加している日本人はたいていどこへ行くにも同伴で、よその人との交流がしにくいのではないかと思った。私は日本人に手当たり次第声を掛けて食事を共にした。特にテロ事件が起こった後は互いに情報交換する必要が生じたため、話す機会は非常に多かった。中でも、日本食品分析センターの荒木恵美子さんと愛知県衛生研究所の岡尚男さんと懇意になれたことは、とてもうれしかった。荒木さんにはその後、 残留農薬多成分スクリーニングに関わる試験技能評価 の仕事を進めるに当たっていろいろと教えていただいた。

 総合的に見て、AOAC年会は食品・医薬品関係の分析を手がける人にとって参加しやすい学会だと思う。開催地が米国またはカナダに限られているため行きやすい、食品や医薬品の分析にテーマが絞られている、日本人参加者が多く非常時にも心強い、学会が小規模な分、知人を作りやすい、などのメリットがある。一方、nativeの英語はやはり聞き取りにくいので、聴講のたやすさを考えたらヨーロッパの学会のほうがよい、という意見もあるかもしれない。なお、年会は発表の場だが、AOACという組織は運動体と言っていいほどの目的意識を持って日常活動を行っている団体で、日本セクション も精力的な活動をしている。会期中にも、各地区セクションごとの会合がある。(次回へ続く。)

 文中、2枚の写真は、上が主会場のウェスティンクラウンセンター(ホテル)、下がセレモニーの行われたユニオンステーション。


13.キャピラリー電気泳動に関するメモ(2004/2/14)

 兵庫県立姫路工業大学大学院理学研究科の 寺部 茂教授 が米国化学会 ACS 2004 National Award in Chromatography を受賞されることになった。キャピラリー電気泳動(CE)の分離モードの一つであるミセル動電クロマトグラフィーの研究開発の功績が認められての受賞だ。

 分離分析の世界でGCとHPLCが完全に定番になっていて位置付けがほぼ固まっているのに対して、CEはどんな守備範囲になるのか、多くの応用分野で現在模索されているところだ。関心はあるけれど、見たことがない、使ったことがない、というかたがおられるのではないだろうか。

 私の勤務先の系列の事業所で、昨年秋、CEを導入した。そして、メーカーの研究所から技術者に来てもらって、一日のデモ&講習会を実施した。私もその企画に参加し、CEの分離モードの中でもHPLCとカバーする領域が似ているキャピラリーゾーン電気泳動(CZE)とミセル動電クロマトグラフィー(MEKC)についてはひととおり理解した。学習した内容をまとめておきたいと思いながら、きっかけがなくそのままにしていたが、寺部教授の受賞というニュースにくっつけて書こうと思い立った。以下の文章は、CEを既に使ったことがある方にはたぶん読む価値がない。(末尾の関連リンクは参考になるかも。)CEについて何も知らないかたが3分でざっと理解する役には立つと思う。

キャピラリー電気泳動装置

 クラシックな電気泳動といえば、平板ゲルの上で電圧をかけて行う電気泳動装置が思い浮かぶ。しかし、CEはキャピラリーを使うから、あの平たいのとはかなり見かけが違う。下のような図を描いてみた。私でも描ける、シンプルな装置だ。HPLCと違って、注入部もポンプもない。二つの容器に緩衝液が入っていて、キャピラリーの両端が浸してある。一対の電極も浸してある。キャピラリーは内径25から75μmで、材質はGCに使うのと同じフューズドシリカキャピラリーだが、あれほど長くないから、ぐるぐる巻いた絵を描かなくてもそれほどはずれてはいない。(実際にはキャピラリーの長さは数十cmから1mくらいあって、何回か巻いてある。)

キャピラリー内で発生する流れ

 CEの中で最もシンプルで基本的な分離モードであるCZEでは、ふつう陽極側が注入口だ。試料を注入するときには、緩衝液の容器をはずし、試料の入った容器にキャピラリーの先端を入れ、液面に圧力をかける等の方法で試料を導入する。それからまたキャピラリー先端を緩衝液の容器に浸し、電圧を掛ける。すると、電圧によって試料中の物質が移動して分離できる。

 こういう説明を聞いたら中学生でも思いつく疑問が、「それじゃあ、プラスの電荷の物質しか動かないんじゃないの?」ということだ。キャピラリーの出口側にかかっているのはマイナスの電圧だから、引っ張られるのはプラスの物質だけで、中性の電荷の物質は最初の場所から動かないだろうし、マイナスの物質は緩衝液の中へ拡散してしまいそうだ。

 ところが、そうはならないのである。このキャピラリーの中には、青い矢印の方向へ電気浸透流(EOF)というものが流れている。EOFは、キャピラリーの中の液体全体の流れだ。なぜそんな流れが発生するのか。キャピラリーの内面には多数のシラノール基 (SiOH) があって、マイナスにイオン化 (SiO-) している。これはキャピラリーにくっついているから動かない。一方、この電荷のバランスを取るために、緩衝液中の陽イオンが内壁表面の近くに引き寄せられて二重層を形成している。この陽イオンの層は動けるから、電圧がかかるとキャピラリーの陽極側から陰極側へ移動していく。こうして起こる流れがEOFだ。圧力をかけたり吸引したりしていないのに、電圧をかけるだけで液体が流れる、これがCZEのすごいところ。(正確には、陰イオンにくっついた陽イオンは動きにくく、過剰な陽イオンが動くらしい。)

どんな原理で分離・検出するか

 キャピラリー内で、電気的に中性の物質はEOFと同じ速さで動いていく。電荷を持った物質は、プラスのものはEOFより速く、マイナスのものはEOFより遅く動いていく。動く速さには、電荷の大きさとイオン半径の大きさも影響する。プラスイオンは電荷が大きいほど速く動くし、マイナスイオンは電荷が大きいほど遅く動く。また、イオン半径による違いは
 小さい陽イオン>大きい陽イオン>中性物質>大きい陰イオン>小さい陰イオン
の順になる。こういう原理で物質が分離される。(非常に小さく電荷の大きい陰イオンは、EOFに逆らって陽極へ移動するため検出されない。)

 ところでもう一つ面白いのは、EOFは平面的な流れであるということ。HPLCのように外部ポンプによって作られた流れは、壁面との摩擦によって、一昔前の新幹線の先頭車両 のような形になって進んでいく。それに対してEOFは、流れの駆動力が内壁面で一様に分布しているから、通勤電車の先頭 のような平らな形で進んでいく。だから溶質ゾーンの拡散が起きず、高い分離能が得られる。CEで使うのはただの中空の管で、GCのキャピラリーカラムのような液相もHPLCのカラムのような固定相もない。それなのにHPLCに匹敵する分離が得られる。検出は、吸光光度検出器や蛍光検出器を用いる。

電気的に中性の物質を分ける方法

 CZEでは中性の物質は全部がEOFと同じ速さで動くから分離できない。これを解決したのがMEKCだ。MEKCでは、泳動緩衝液に臨界ミセル濃度以上の界面活性剤を加える。臨界ミセル濃度とは、界面活性剤がバラバラで溶けていられなくなって、疎水基を内側に、親水基を外側にして球状になったもの(=ミセル)になる濃度だ。界面活性剤にも色々あるが、たとえばSDSのような陰イオン性界面活性剤のミセルは、キャピラリー中でEOFよりも遅く動く。ミセルは、中性の物質を引っ張り込んで道連れにして、遅く動くようにする。ミセルと仲のいい物質ほどミセル並に遅くなり、全然仲の良くない物質は関係なくEOFどおりに動く。こうして、中性の物質でもそれぞれの性質に応じて分離されることになる。

 ミセルと中性物質の相互作用は、疎水性相互作用と静電的相互作用だ。それじゃあ、逆相HPLCと同じではないか、と思いつく。そのとおりで、MEKCにおける中性物質の分離メカニズムは、クロマトグラフィーで用いる式を少し修正した式で表される。

キャピラリー電気泳動法の応用範囲

 CEには他にもキャピラリーゲル電気泳動(CGE)、キャピラリー等電点電気泳動(CIEF)、キャピラリー等速電気泳動(CITP)等の分離モードがある。これらはDNAやタンパクの分離で重要な成果を上げているようだが、私はそういう方面には全然詳しくないので、何も書けない。CZEとMEKCについてだけ、あくまで一ユーザーとして感想を述べると、大ざっぱだが「TLCとHPLCの中間にある分離手法」という印象を持った。CEは注入できる試料量が少なく、HPLCのように分取と一連の検討ができるわけでないし、感度も格別高くはない。(だいたいppmオーダー。)注入はシリンジを使わず加圧などで行うため、定量精度はHPLCほどでない。

 一方、CEはHPLCよりもずっと手軽に扱える。キャピラリーは、そのまま使えるものも売られているが、何十メートル単位で安く購入して切って自作することもできる。HPLCの場合、検出部は精密なセルになっているが、CEは、なんとキャピラリーをライターであぶってポリイミドを焦がしてふき取って検出ウインドウを作ればいい。キャピラリーの途中の透明な部分が検出ウインドウなのだ。HPLCのようにカラムが高価でデリケートで「詰まらせないか、よごさないか」と気を使うということがない。脱気装置もいらない。それから、HPLCのように流路をつないだり、ナットが合っているか確認したり、漏れがないか注意したりする必要がない。なにしろ、キャピラリーを泳動緩衝液に浸すだけだから。そういうシンプルな系でありながら、CZEにもMEKCにも、緩衝液や添加剤や界面活性剤を選ぶことで幅広い分離条件が設定できる。

 このようなCEの特性から、ルーチン分析においては、「試料をあまり前処理しないで(きたないまま)迅速に分析したい、定量精度と定量感度はあまり問題にしない」という場合に特に利用価値が出てくる。私が聞いた範囲では、農薬の原末を急いで同定する場合や、和歌山の亜ヒ酸入りカレー事件を契機として、化学物質による中毒が疑われる緊急の場合に利用されているそうだ。また、電荷を持った物質に関しては、CEはHPLCと分離の原理が違うから、HPLCと相補的な役割も期待できるだろう。まだ勉強中だが、装置のシンプルさと分離の良さの対比にハッとする分離手法だ。

関連リンク

参考資料


12.化学分析で発生する有害廃棄物の管理(2004/2/7)

 私たちが日々行う化学試験で発生する廃溶媒や不要になった農薬標準品は、どう処分すべきか。その全貌をここで語るのは、とても無理だ。でも、化学に携わる者なら絶対おぼえておかなければならない最低限のことというのがある。それは、法律で定められていることだ。知らなかったですまされない。破れば法律違反になる。罰則規定も年々強化されている。

 昨年まで私は数十人規模の試験所にいたから、所内のルールさえ守れば、法律に無関心でも支障なく実験ができた。今はもっと小さな試験室で働いており、分担すべき責任が重くなった。そして先日、 日本産業廃棄物処理振興センター が実施する特別管理産業廃棄物管理責任者に関する講習会を受講した。そこで勉強したことの核心部分だけをまとめておく。自分の記憶のためと、こういう話をあまり知らない人のために。

「廃棄物」って何?

 法律というものは、だいたい冒頭に言葉の定義が書いてある。 廃棄物の処理及び清掃に関する法律 には「この法律において「廃棄物」とは、ごみ、粗大ごみ、燃え殻、汚泥、ふん尿、廃油、廃酸、廃アルカリ、動物の死体その他の汚物又は不要物であつて、固形状又は液状のもの(放射性物質及びこれによつて汚染された物を除く。)をいう」と書かれている。「固形状又は液状」という限定がかかっているから、工場や自動車の排ガスのように気体状のものは廃棄物とは呼ばない。放射性物質は廃棄物ではないの?と疑問がわくけど、これは別の法律があるから対象外になっている。

 そして、廃棄物には産業廃棄物一般廃棄物がある。産業廃棄物は、燃え殻、汚泥、廃油・・・など、20種類が定義されている。20種類の表は、産業廃棄物の種類と具体的な例(東京都HP) で読める。この20種類以外は、事業活動で発生する廃棄物でも一般廃棄物に分類される。(レストランの残飯や造園業の剪定枝・枯れ葉などは事業系一般廃棄物。)さらに、産業廃棄物の中でも爆発性・毒性・感染性その他、人の健康や生活環境に被害を与えるおそれがあるものが特別管理産業廃棄物とされている。具体的には、廃酸、廃アルカリ、PCB、農薬や水銀を含む廃棄物など。特別管理産業廃棄物の種類と具体的な例(東京都HP) にリストされている。

廃棄物処理は排出事業者の責任

 私たちが普通に生活していて出すゴミについては、ルールを守って市町村のゴミ収集に出したり公共のゴミ箱に捨てれば、責任を果たしたことになる。でも、産業廃棄物はそうではない。法律に、「事業者は、その事業活動に伴つて生じた廃棄物を自らの責任において適正に処理しなければならない」と書かれている。ここで「処理」とは、単に処理業者に引き渡すことではない。私が受講した講習会では、「廃棄物処理とは、事業者による廃棄物の排出から収集、運搬、中間処理並びに最終処分までの一連の処理をいう」と教えられた。つまり、廃棄物が無事に焼却されたり埋め立てられたりするまでは、排出事業者に責任があるのだ。

 しかし、処理業者に引き渡してしまった廃棄物について、どうやって責任を持つのか?廃棄物を積んだトラックを追いかけて、最終処分場までついていくのか?

 もちろんそういうことはないわけで、自分で追いかける代わりに、産業廃棄物管理票(マニフェスト)を付けて廃棄物を引き渡すことになっている。マニフェスト(Manifest)とは、積荷目録を意味する英語だそうだ。これは7枚つづりの複写式のもので、
  排出事業者-->収集・運搬業者-->中間処理業者-->収集・運搬業者-->最終処分業者
と廃棄物が移動する各ステップごとに、それぞれの業者が写しを保管し、また、最終処分が終了したらもとの排出事業者に送付される仕組みになっている。排出事業者は、一定期間以内にマニフェストが返ってこなかったら、状況を調べたり対処したり、都道府県知事等に報告する義務がある。(最近は、電子式マニフェストも利用できる。)

特別管理産業廃棄物管理責任者(長い名前だ)

 産業廃棄物全般の話なら、分析屋だけが特別に責任が重いわけではない。しかし、特別管理産業廃棄物(略称 特管物=とっかんぶつ)に関しては、事業所内で分析部門が実質的に責任を持つ場合も多いと思う。分析で発生する廃有機溶媒の中で引火点が70℃未満のもの(ジエチルエーテル、酢酸エチル、メタノールなど)、pH2.0以下の酸性廃液、pH12.5以上のアルカリ性廃液、PCB・チウラム・シマジン・チオベンカルブ等を基準値を超えて含むもの等が、特管物だ。こういうものを排出するのが分析部門だけという事業所では、分析屋が特管物の処理を担当しなければならないだろう。

 特管物を生じる事業所には、特別管理産業廃棄物管理責任者を置かなければならない。その役割は、特管物の排出状況の把握・特管物処理計画の立案・適正な処理の確保だ。こういうことをするには専門知識が必要なので、誰でもいいから適当な人を任命しておくというわけには行かない。どんな人なら特管物管理責任者になれるかは、環境省令で定められている。感染性以外の廃棄物の場合は、特別管理産業廃棄物管理責任者の資格(東京都HP) に書かれているとおり。ほとんどに、学校の卒業だけでなく「廃棄物処理に関する技術上の実務に従事した経験」も求められている。これは、処分業の施設または処理施設に従事した経験をさしており(東京都の解釈)、分析屋では該当しない人が多いだろう。でも、どんな学歴・経験の人でも、今回私が受講したような講習を受ければ資格者になることができる。

廃棄物処理の動向に注意しておこう

 法律では「特管物管理責任者」を決めておくことになっているが、決めても届出義務はないし、罰則規定もない。(ただし、自治体によっては届出を義務付けている。たとえば東京都。)従って小さな事業所では、そんな責任者は決めていないとか、ずっと昔に決めたらしいけれど誰なのかわからないといったこともあるかもしれない。マニフェストの仕組みもよくわからずに特管物を排出しているところもあるかもしれない。

 建て前ではマニフェストは排出事業者が交付するものだが、たいていの場合は処理業者が用紙を作っていて、排出事業者はそれに記入するだけでよい。だから、ちゃんとした処理業者に廃棄物を引き渡す限り、マニフェストを交付し忘れるということはないだろう。しかし、産業廃棄物を排出して90日以内(特管物の場合は60日以内)にマニフェストが返ってこない場合は報告義務がある。これだけは重々忘れないように。また、帳簿の作成・保管は罰則規定付きの義務である。

 自分の事業所では誰が特管物管理責任者なのか知らないというかたは、一度確認しておくほうが良いと思う。産業廃棄物には数量規定はなく、どんなに少量でも定義に当てはまれば産業廃棄物だ。廃液など数年に一度処理するだけだという事業所も、特管物を排出していることには変わりがない。日ごろいいかげんにしておくと、万一の場合に、急きょ誰かを責任者に仕立てることになるかもしれない。講習会は一年を通じて各地で開催されているが、定員があり、申し込んですぐ受講できるとは限らない。私の場合、申し込みから受講まで3ヶ月ほどかかった。そんなことになるよりは、組織の体制として資格者を増やしておき、できるだけ文書で特管物管理責任者を決めておくのがよいと思う。

 また、廃棄物処理に関する法律は毎年のように改正されており、一度講習会を受けたからといって、その後もずっと安心とは思えない。東京都の産業廃棄物適正処理ホームページ大阪府の産業廃棄物のページ にリンクしておく。

参考文献
環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部産業廃棄物課 監修「平成15年度 特別管理産業廃棄物管理責任者に関する講習会テキスト」(財団法人 日本産業廃棄物処理振興センター)


11.「液クロ彪の巻」刊行(2004/1/11)

 「液クロ虎の巻」シリーズといえば、このページを読みに来るようなかたは既によく御存知とは思うけれど、まずは一応概要を書いておく。いずれも、中村洋監修・日本分析化学会 液体クロマトグラフィー研究懇談会編集、筑波出版会発行、丸善発売。副題は「誰にも聞けなかったHPLC Q&A」。多数の執筆者の共同作業により製作されている、HPLCの手引き書だ。

  1. 液クロ虎の巻 平成13年11月22日発行 2800円 執筆者43名
  2. 液クロ龍の巻 平成14年11月30日発行 2850円 執筆者37名
  3. 液クロ彪の巻 平成15年11月30日発行 2850円 執筆者29名

 これら風変わりなタイトルの由来が気になる方は、「液クロ龍の巻」の序をお読みください。それから、彪はヒョウと読む。

最新刊「彪の巻」にはどんな特徴があるか

 最初は「虎の巻」がオールマイティな参考書になるのかと私は思ったのだが、「龍の巻」「彪の巻」と続いて出版された。こうなると、定期刊行物のような雰囲気だ。普通の学術情報誌と違うのは、多彩な項目がQ&A形式で簡潔に書かれていて、各冊ごとにHPLCの全領域を網羅している点。それなら毎年同じ内容を繰り返しているのかというと、そうではない。各巻で重なっている項目も多いが、「虎の巻」は初心者にも抵抗なく読めるソツのない参考書であり、「龍の巻」はより専門的な分析に踏み込んでいる。

 「彪の巻」は、さらに専門的な技法まで紹介するとともに、かなり遊び心や自由奔放さが加わったように見える。「HPLCを発明した人は?」という教養的な(HPLCを使う上ではどうでもよい)質問から始まり、「液クロを短期間でマスターするためのよい方法を教えてください」という、なかなかできない質問が続く。執筆母体である液体クロマトグラフィー研究懇談会が催す各種企画や出版物の宣伝も濃厚だ。「虎」「龍」の売れ行きが好調だったことに、執筆陣が自信をつけて波に乗っている雰囲気が伝わってくる。そういうわけで、「彪の巻」は既刊の2冊よりもマニア向けな面があり、既に深くHPLCの信者であるという方にはこたえられない味わいだろう。

 もうすこし具体的に特徴を挙げると、LC/MSに関する解説がかなり充実している。「龍の巻」でも独立した章が設けられていたが、「彪」では3倍くらいの分量になっている。「ジルコニア基材カラム」「フルオロカーボン系シリカカラム」など耳慣れないカラムも登場して、より応用的な内容である。かといって、全体のレベルが単純に虎<龍<彪の順に高度化しているわけではない。例えば、理論段数、半値幅のような基礎中の基礎の用語が、「龍」では説明されていないが「彪」では再び取り上げられている。

「○の巻」シリーズの活用法

 私は購入時に新しい話題の部分に目を通し、その後は3冊とも実験室の書棚に置いて、必要なときに引っ張り出して参照している。必要なときとは主に、普段やらない分離モードを使うとき、何かトラブルが起こったとき、新人に基礎的なことを説明するときの3シーンだ。

 なぜ3冊ともそろえるのか。それは、ある問題について、複数の専門家の意見をきいてみることが可能になるからだ。例えば、イオンペアクロマトグラフィー後のカラム洗浄について、「龍の巻」のQ48とQ49では「完全に洗浄できるかは保証の限りではありません。精密な定量分析を実施するさいは、専用カラムを用意することをおすすめします」などと書かれているのに、すぐ次のQ50では「現在市販されているODSカラムに使われている充填剤のほとんどは、高純度シリカゲルで、強力にエンドキャッピングが施されています。そのため、イオン対試薬の使用によるカラム寿命の低下や、洗浄し難さといったことがほとんど解消されていると思われます」とある。いったいどっちなのか。3冊の中には、このように同じテーマに関して矛盾する回答がいくつも見つかる。つまり、専門家の間でさえ見解の相違がある場合にはそのように理解し、自分自身の経験と照らし合わせて判断することができる。

どの巻を買えばいいのか

 とは言え、3冊とも買えばけっこう値が張る。1冊だけ買うとしたらどれがいいか。HPLCにあまりなじんでいない初心者には、私は「虎の巻」をお奨めする。ピークテーリングの原因と対策、ベースライン変動の原因と対策、カラムを枯らしてしまった場合の対処法など、初心者が必ず突き当たる事態に即した解説が一通り書かれている。「虎の巻」を持った上で、余裕や必要に応じて他の巻も買えば、「複数の意見」を聞けて理解が深まるだろう。

 一方、HPLCを既に使いこなしているというかたは、どれを買えばいいか。それは、各々のニーズに合わせて考えればよいと思う。各巻の全質問項目はオンラインで読むことができる。虎の巻の質問項目龍の巻の質問項目彪の巻の質問項目。自分の実験内容に合う項目の多い巻を、書店に行かなくても選ぶことができる。前記のとおり、LC/MSに関する記述は、後の巻ほど詳しい。

 私にとって少々残念なのは、このシリーズは生化学分野のHPLC利用(アミノ酸、タンパクや糖など)が主体で、農薬や食品添加物の分析とは、重点の置きどころが必ずしも一致しないことだ。しかしこれは、生化学分野でのHPLC利用の多様さ、奥の深さを考えれば当然の成り行きなのかもしれない。次には「ガスクロ虎の巻」がぜひ出てほしいと希望する。


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管理者:津村ゆかり yukari.tsumura@nifty.com