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スペインの写真 D

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 コスタ・デル・ソルは、東のアルメリアからスペイン最南端のタリファまで約300キロメートルに及ぶ海岸線で、日本語で太陽海岸と言う意味。その名前のとおり、1年中太陽が降り注ぎ、年間を通して温暖で(平均気温18度)たくさんの観光客で賑っている。

 白い壁の村,トロックスとミハス,ピカソの生誕地として知られるマラガ,ビーチリゾート地のトレモリノスを訪れた。





 白い壁の瀟洒なトロックス市庁舎


 海岸沿いの国道から上った高台に位置するトロックスの町並み


        ミハス       

地中海を望む高台にあり,白い家が並ぶその美しい風景は外国人を魅了し、現在も別荘がたくさん建てられているという。


オレンジ色の屋根と白い家が青い空に似合うかわいい村
  


日本人が経営する土産店もある。
ここでは小石の上に押し花を貼り付け
ネックレスやブローチにして売っている。
 小さな薬入れをお土産用に買う。


マラガ市街

近代的ビルが立ち並ぶ
中央は闘牛場




ピカソ生誕記念館内部
 マラガは地中海に面した主要交易地,北アフリカへの戦略基地として、幾度となく征服、侵略の歴史を乗り越えてきた町である。

 紀元前10世紀前後,まずフェニキア人が交易を行なう為にやって来て(Malaka)と名ずけた。その後、紀元前700年頃ギリシャ人が住みはじめ(Mainake)と呼んだ。
 そしてローマ時代・、ビザンチン時代の後、紀元後570年,アラブ人が北アフリカから渡ってきた。

 洗練された文化・知識を持つアラブ人が治めていた紀元前6世紀から15世紀ここは楽園でものが溢れ優雅で贅沢な時間を謳歌していた。レコンキスタにより1482年アラブ支配時代は終わりを告げ,その後、楽園は荒れ果て凶作、疫病が流行したと言う。
 
 18世紀再び活気のある商業地として注目されるまでになった。
19世紀後半には国際的に重要な産業・商業マーケットとなった,特に砂糖・布地工場、ワイン造り、造船業が知られている。

 1960年頃からからコスタ・デル・ソルのリゾート地の中心都市として知られるようになった。

トレモノリスの海鮮レストランで昼食
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 エビとムール貝のパエリア


イカ墨パエリア

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