スペイン美の王国旅行記
オリーブ畑
アムステルダム乗継ぎで,夜遅くマドリッド着,マドリッドは残念ながら日本人にとってスリや強盗の危険性の高いところ,ホテルに入るときも警備員が付いてから下車するといった状態でした。
ホテルはマドリッド市街地南西部のプリンシペ・ピオ駅前のFURORIDA NORTE 団体客専用のホテルといった感じで,部屋はいまいち,エアコンも効かず,朝飯もノーグッドでした。セーフティボックス使用料をとるなんてホテルに未だかつてお目にかかったことが無い。こんな★★★★もあるんだ〜。
いきなり本旅行の最大の目的の一つである世界に名だたるプラド美術館に入る。
エル・グレコ,ルーベンス,ゴヤ,ベラスケスなど巨匠のしかも絵画にからっきし門外漢のわたしでさえ,どこかで見覚えのある絵があちこちにあり,興奮することしばし!
いけね〜フラッシュたいて撮っちゃった
わたしのデジカメはフラッシュ無しに設定しても一回撮るとそれが解除されてしまうのを知らなかった。次に撮るとフラッシュがパシャー! 「ノーフラッシュ」と係員に睨まれてしまった。
しかしさすがプラドですな〜。すげ〜すげ〜。いつかゆっくり観に来たいと思います。
プラド美術館で説明してくれた方は、美術や歴史に造詣が深く話し振りも好感がもて、とてもよく理解できました。
もしかしたら絵描きさんかも?日本人だから言葉の問題がないっていうのもあるだろうけど、すごく勉強しているのが感じられる。
でも、美術館が2時間、そのあとのみやげ物店が2時間というのは、納得できません。
その後,雨模様の中をドンキホーテとサンチョ・パンサのモニュメントで有名なスペイン広場(ここもスリ引ったくりの跳梁する場所とか,引率者が三人警戒する中で写真をパチパチやって引き上げさせられました)と王宮を外から眺めて,昼食をとるためプエルタ・デル・ソル(太陽の門)広場近くのレストランへ。
スリだってカモを選んで商売するんだよ〜!!
マドリッドはものすごくスリの多い町だということで、(後日スペインを旅行されたデュッセルドルフ在住(当時)のKさんによると「そんな話あったの〜」という感じなんです,やっぱり奴らも人を見るんだなあと思いますよ)
市内を自由に歩き回ることができなかったのが残念至極でした。
タホ川対岸から眺めるトレドの町は絶景!絶景!
午後は、トレドへの半日観光(オプション)。
古い町で期待通りだった。町へ入る前のタホ川対岸からの旧市街のながめは絶景でした。町の中は迷路,迷路でガイドに遅れると迷子になってしまいそうでゆっくり写真を撮っているひまが無いくらい。
ソフィア王妃芸術センターでピカソ、ダリ、ミロなど巨匠の作品を堪能。
この美術館の顔はなんといってもピカソの「ゲルニカ」。見た瞬間,丸木俊,位里さんの「原爆の図」に似ている事に気づいた。戦争の悲惨さ不条理を表現しているとのこと,一脈相通じるものがあるのだろう!
そら,おいでなすったよ! スリのお姉さん達!!
ソフィア王妃芸術センターからバスへ戻る途中、一行のある人に若い女の子風が地図を広げて「ソーリー」と近寄ってきました、
周りを見るとグループらしき胡散臭いのが二人ばかり!ピンときたので「やばいよ!」といってその方の手を引っ張ってバスに逃げ込み
ました。
バスでラ・マンチャのドンキホーテの風車小屋の世界を楽しみながらアンダルシア地方へと南下、夕方コルドバへ到着。
夜、タクシーを飛ばし、ローマ橋を渡ってライトアップされたメスキータをカメラに収める。ちょうどクリスマスシーズンでダウン
タウンはいたるところクリスマスイルミネーションで飾り付けられていてきれい!きれい!
メスキータと旧ユダヤ人街を見学後、グラナダに向かう。
AC786年から建設が始まったという世界最大級のモスクであるメスキータの規模の大きさに圧倒される。完成までに240年かかっているという。メスキータとはスペイン語で[祈りの場所]と言う意味だそうだ。
レコンキスタ(国土回復運動)でキリスト教徒がコルドバを奪回した後,イスラム寺院の中にキリスト教会を造ったと言う。凄い発想だ!日本人なら考えつかないと思う。まずは,ぶっ壊してお寺を建てるか,あるいはそのまま放置するかどちらかだろう。
アンダルシア地方へ向かう道路の両側は,見渡す限り延々とオリーブ、オリーブ、オリーブの畑。
イタリアやフランスのオリーブ油はすべてこの地方のオリーブの実から作られているという。昼食に寄ったレストランのお店ではオリーブ油を安く売っていてお土産と自家用に購める。
子供のころからどんなところなのかと気になっていた
憧れのアルハンブラ宮殿へ
3時ごろグラナダ着,いったんホテルで荷を降ろしてから本旅行の最大の目的のひとつアルハンブラ宮殿を見学。日本で
W・アービングの「アルハンブラ物語」や写真集「新アルハン ブラ物語」(新潮社)を読んでいたので、「裁きの門」へと通じる坂道を心ときめかして登った。写真集/解説と本物とを見比べながら(写真の方がきれいに感じたが),ひと時すばらしい幻想の世界を楽しんだ。
宮殿は独立した丘の上にありながら隣接したフェネラリヘ庭園ともども実に流水に富んでいる,どうやって水をひっぱて来ているのか不思議に思っていたのだが謎が解けた。やはりサイフォンの原理を使っているということだった。当時のイスラム文明の高さを垣間見た思いである。
夜、妻はオプショナルツアー「フラメンコショーとディナー」へ、わたしは、テレビでスペインサッカーを楽しむ。
雪を頂くシェラネバダ山脈を越えて、地中海沿いのコスタ・デル・ソルへ。
この地方の人は午前中はスキー,昼から海水浴を楽しむという贅沢が出来るそうだ。
途中、白い壁の町トロックスに寄ったあとマラガで、 ピカソ生家博物館見学後、高台にあるヒブラルファロ要塞跡近くに立つパラドールでTEA & TOILET。
市街と地中海を眺めながらしばらくゆったりとした時間を過ごす。。
トレモリノスの海岸沿いのシーフード店で、昼食、ボリュームたっぷりのイカ墨とパスタのパエリアをマラガワイン片手に腹いっぱい食す。
小さな白壁家屋の町ミハスを散策してグラナダに戻る。
ホテルから20分ほど歩いて街中のクリスマスイルミネーションを見に出かける。帰途,飲食店街の一杯飲み屋風の店でワインを飲みながら夕食。
今日はほとんど一日バスでの移動。
雪をかぶったシェラネバダ山脈を右に見て一路東海岸バレンシア地方をめざす。アリカンテで昼食、夕刻近くバレンシア着。
バロック、ロマネスク、ゴシックと3っの様式の門をもつカテドラル、15世紀に建てられたラ・ロンハ(交易取引所)や中央市場を見学。
ホテルはスーパーというかショッピングセンターというか,とにかくがやがやと騒がしい場所にある。
夕食を摂るため町に出る,あたり一帯はクリスマスムードで一杯。クリスマス用品の市が開かれていて,妻は孫のまあちゃんに数品(いずれガラクタになるようなもの)をもとめていた。
食事は、適当なところが見つからず 結局ホテルに戻る。ずう〜っと飲み続けなので,今晩は休肝日でアルコールなしとした。
午前中,約300km離れたバルセロナに移動、一時ごろサグラダファミリア教会着。
12年前(バルセロナオリンピックの前年)に来たときと比べて工事はそんなに進んでいるようには見えなかったが,観光客用の施設がかなり整備されているよう,当時は工事現場内を歩く感じであった(それこそ保安帽をかぶりたいくらい)。妻たちは8ユーロ(ちょっとボリ過ぎじゃないの!)を払って入場,わたしは
近くのピザ屋にはいって簡単な昼食。
その後、サン・パウ病院,グエル公園、ピカソ美術館を巡る。ガウディとピカソ一色の時間を過ごす。
ガウディの作品は依然良く分からないって言うか,ゲテモノ趣味といったら怒られるだろうか。前回来た時,疲れていたこともあったが,グエル公園は途中で引き返してバスの中で寝ていたことがあったけ。
それに引き換え,ピカソに対する印象は改めることになった。今回は、 ピカソの絵をたっぷり見ることが出来、若い時代のピカソの絵を鑑てあらためてピカソの偉大さを認識。ゲルニカの強烈な印象の影響かもしれない。
閑話休題,この町もまたスリの王国だそうだ、ガイドの警戒のおかげで何事も無く,夕刻,バルセロナをあとにしてスペイン最後の宿となる約50キロ
北の保養地カレージャへ向かう。
夕食はホテル近くのシーフード店、地中海で獲れた新鮮な魚とリオハワインは、今回の旅行中で最高の美味でした。
ホテルに戻ってからRマドリッドと世界選抜の実況中継を観戦。前半に中田も出場して、そこそこの働きぶりだった。