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5日目 三峡ダム→宣昌→上海

      
 三峡ダム見学
  
 ダム展望台へ

 

 翌朝目が醒めると,船はダム下流の右岸の茅坪に停泊していた。
6時45分にロビーに集合,朝食前にダム見学に出発。
 
 マイクロバスの中ではローカルガイドのお嬢さんが行きも帰りもずう〜っと一時も休まず説明しているが,中国語なので何をしゃべっているのかさっぱり分からん! 国内の旅行は黄ちゃんが手配してくれたので,われわれはいつも中国語チームに組み入れられる,英語チームであれば何をしゃべっているか少しくらいは分かるのだが!
 
 ダムの見学といっても,展望台へ登ってモデルルームでダム施設の全景模型を前に説明がされ,あとは勝手にダムを遠望し閘門を見るだけである(一昨年は,三峡工程公司の方がダム上まで案内してくれて,展示室でくだんの模型を前に質疑応答の時間もとってくれた)。
 今回は観光であるから仕方ないか!

 
展望台からでもダムはやっぱりちょっと遠いよ〜

 展望台は昨夕下ったシップロックとダムサイトの中間の小山にありダムはすこし遠いが,シップロックはすぐ眼下に見ることが出来る,5000t級の船を通過させることが出来る巨大さに改めて驚愕する。
 昨夕,上流側から見て,シップリフトがまだ完成していないものとみたが,下流側も仮締切堤内側で工事がまだ行われていることが確認できた。
 
 展望台にはダムの基盤から取り出された大きな石が鎮座している,花崗岩である。この辺り一帯の地質は石灰岩で出来ているのだが,幸運にもこの三峡ダムが建設された所だけに堅硬な花崗岩が分布していると言う。ダムサイトとして格好な地形と地質条件を天が与えてくれたと言うしかない。

         三峡ダムの模型

 手前が工事用に架設された西陵長江大橋,対岸が工事基地,上流に向かって右手がシップロック,中央の小山の上に展望台,左へシップリフト・ダム本体。
        展望台からダムを望む
 右側の出張った部分がシップリフト,中央に堤体内発電所,左手奥の水しぶきをあげている部分が洪水吐。

 おおよそ1時間弱の展望台での観光と写真撮りを終えて船に戻る。がバスから船に乗り換える際がたいへん!たいへん
 物売りがわんさと囲んでくる,モデルルームで定価60元で売っていた冊子「長江三峡ダム工事」を買いたいのだが,仲間全部であわせて10部ほどになる。10部も買うと言ったら大混乱になるのが目に見えている。ここは黄ちゃんに任せる事とする。わたしらはしつこく乗船口ぎりぎりまでついて来る売り子を振り払って帰船。
 さすがの黄ちゃんも10部買うと言ったら,売り子達がわれもわれもと寄ってきて大変だったようだ。結局,言い値30元を20元(定価の1/3)にして大幅安で無事ゲット。
2004年3月に発行されたもので2期工事までの最新の写真がいっぱい載っている,一昨年一緒に訪れた中国通かつダム好きなNさんに差し上げようと思って2部購入した。

 
三峡ダムの概要

 ガイドの説明やら文献から三峡ダムの概要を下記にまとめた。

1.ダム
 ダムサイト 湖北省宣昌県三斗坪  
 形式  コンクリート重力式  
 堤防の高さ 175m(標高185m) 黒部186m,奥只見157m
 堤防の長さ 2309.47m  
2.ダム湖
 通常水位 標高175m   
 面積 1084平方km 琵琶湖の1.62倍
 長さ 約570km 重慶まで湛水
 総貯水容量 393億立方m 日本のダム全部合わせても250億立方m
3.発電所 
 形式 ダム式  
 発電機数 26基 右岸地下に6基増設計画あり
 1基の発電容量  70万kw  
 発電容量 1820万kw 九州電力の総発電容量に匹敵
 年間発電量 846.8億kwh  
4.航路 
 形式 閘門式  
 閘門の寸法 長さ280m幅34m  
 閘門の数 2航路×5段  
5.昇船機 
 形式 垂直式 1基  
 輸送寸法 120×18×3.5m  
6.副ダム  満水位より低い右岸鞍部に造られている
 形式 ロックフィル  
 堤体積     
 堤高さ     
7.事業費 
総経費  900.9億元 1993年5月時点の価格)
うち工事費  500.9億元  
うち補償費  400億元   
 金利,物価変動換算して 2039億元 日本円で約3兆円
8.その他 
 水没面積  278.2平方km 東京23区のほぼ半分(300平方km)に匹敵
 水没する市 13市  
 水没する歴史的遺産 1208  
 移転住民 約113万人 富山県全人口(112万人)に匹敵 

 三峡ダムプロジェクトは2009年完成の予定である,いまのところ工程,予算とも計画通り順調に進んでいると聞いている。 が,完成後に問題がないわけではない。私見を以下に記す。

   @ 住民の移転問題
       
 今のところ,順調のように見える。しかし将来にわたってこの状態を維持出来るのか?
 黄河に建設された三門峡ダムの場合は,一旦移転した住民の多くがダム完成後幾許も無く戻ってきたという。上海などに移転した住民の生活が不安定であるやとの話も仄聞する。

   A 斜面崩壊

 水没の経験のない斜面が100m以上も水浸するからには,斜面崩壊,地すべりが多数発生することは確実である。長江沿岸には地辷り地帯が存在していると言われている

   B その他

 巨大ダム湖の出現により,気象への影響と水流の滞留による水質汚染が懸念される。さらに,あれだけ広大な地域が水没することにより,予測出来ない部分からの逸水による事故も考えられる。堆砂の問題も持ち上がってくるだろう。
         
三遊堂 園内散策

  
宣昌で下船

 さて,朝食を摂っている間,船は西陵峡の残りの区間を宣昌へ向かって航行を続ける。


 宣昌で10時下船の予定なので荷物をまとめドアの外に出し,再びデッキに上がり三峡最後の風景を眺める。ここらあたりはまだ西陵峡の一部であり,三峡ダムの下流38km地点に1988年に完成した葛洲覇ダムによりここも湖水と化してはいるが両岸の風景は見るべきものが残っている。

 船は10時きっかりに宣昌の船着場に到着。 
 下流に
葛洲覇ダムが霞んで見える。
 また長江を突っ切るロープウェイが見える,お客のいないゴンドラが数基,河の上にぶら下がったままである。
あとで分かったのだが対岸に蜀の将軍
関羽の像があるということだ。

 さあ ここでEAST QUEEN号とお別れであるが,前日配られたスケジュール表の下欄に「一人当たり20US$のチップを下さい」と堂々と要求してある。
 チップの習慣のない中国なのになぜ? 一昨年も違う船であったが同様であった,その時は,衆議一決無視したのだが,今回は,サービスが結構行き届いていると感じていたので,二人でつまり一家族で百元(おおよそ1400円)で応えることとした。
宣昌の船着場

 さて船着場であるが,

      
えっつここが船着場かいな?

  っていうとんでもないところだ
 岸に上がると,すぐ急な崖を登らなければならない,自分の荷物を自分で船から降ろし駐車場まで運ぶことはまず無理だ。
したがって頼まなくてもポーターが自動的に担ぎ上げてくれる。われわれも一汗かいて迎えのミニバスに乗り込んだ。

                 
おっちゃんトランク返してくれ〜

 そのあと,ひと騒動がおきた!
 ポーターの手配師らしきギョロ目のおっさんと黄ちゃんがののしり合いを始めた。大きな声で互いに譲らない,ギョロ目がEさんのトランクを引き渡さない。人質ならぬトランク質だ! 黄ちゃんが運び賃一個10元がべらボーだ5元にしろと文句を言っている様子。
 一方ギョロ目は10元払わないんならこのトランクは渡さねぇ〜,船に戻すといって脅す。
 この勝負,人質を取られてしまった黄ちゃんの負けであえなく決着した。
 それにしてもこの船着場はナンだ! ちょっと見たところ,路線バスも,タクシーもないじゃないか,ここからどうやって10キロ近くも離れた市街地へ行けと言うんだ。中国語が喋れなかったら,個人では絶対これない!

 上海へ向かう飛行機は16時発なので,時間はまだたっぷりあるので,
三遊堂へ行くこととする。(入園料30元)

 三遊堂へ

 宜昌の郊外に「三遊洞」という洞窟がある。唐代の詩人白居易とその弟白行簡および元槙の三人の詩人が詩作に興じた洞窟で名前はこれに由来する。

 下牢渓という支流が長江に合流する大変美しいところで,昔から詩人がたくさん集まってきて詩を作ったそうだ。洞内外には歴代の石壁題刻と碑刻が沢山残っている。

 洞窟の前に印鑑彫りと願掛け屋さんが屋台を張っている。
前者は1個10元,北京よりずっと安いとN夫人は二つも三つも彫ってもらった。
願掛けの方は小さな南京錠に願掛けをして洞窟内にかけると願いがかなうという,T夫人が娘さんの相手が早く決まるようにとお願いしていた。


 
 この洞窟と隣接して長江の岸へかけての一帯が庭園風になっている。
 門を入ってすぐ右手に土産物店がある。
売っているものは菊花石みたいな模様の入った石と化石。
 
 ここらあたりは4億4千年前古生代の石灰岩でできていると言う。細長い円錐状の化石が沢山売られている。
本物か否か分からない!あまりにも立派過ぎるのがあって全部が本物とは思われない。でも日本円で2万円もするなんてよほどのマニアでもなければ,ちょっと買う気は起こらない。
  
 園内の石段に使われている石灰岩の中にあったのをカメラに収めたのが右の写真。
 この化石は,直角石(トレプトセラス)といって古生代 オルドビス紀・後期  オウムガイの先祖である。中国では,「多宝塔石」と呼ばれ,表面を磨いて皿や台などの工芸品として売られていることが多い。

 店を出て更に進むと頂上に蜀の将軍劉封が築いたと言う砦(
劉封城)を復元したと言う建物がある。内部にはさっきと同じようなみやげ店や演劇を上演する小舞台がある。
 
 そこから少し下ると石に印を彫った印石を一面に展示してある
印石園がある,現代の作家達のものが多い,箱根の彫刻園みたいなものか?

 さらに進むと長江を望むあづまや風の建物が建つ展望台にいたる。
 ここからの長江の眺めが素晴らしい。
 一帯は
南津関(みなみしんかん)といって三峡の東口,西陵峡の末端にあたる。長江はここを出ると広々とした中流の平原にいたる。
 先ほどの洞窟前の渓谷は下牢津とも言われ,劉備がこの津の南に守りの兵をおいたことがあるので南津関という名がついたとの伝聞もあるという。
 
 長江を渡ってくる風に涼み,黄ちゃんが売店から買ってきてくれた冷たいミネラルウォーターで喉を潤しながらしばし休憩。
劉封城を復元した建物? 張飛雷鼓台
遥か下流,葛州覇ダムが霞んで見える

 あとで気が付いたのだがここで撮った写真(右上)に
「張飛雷鼓台」が偶然写っている。赤壁の戦い(魏と呉・蜀連合軍の戦い)のあとこの高台で三国志の英雄・張飛が兵士を訓練・鼓舞するために太鼓を叩いたと言われている場所(ちょっと眉唾くさいが)で,張飛の石像が建っている。
 先ほど船の上から見えたロープウェイは,そこから西陵峡を突っ切って対岸の関羽の石膏像を拝めるようになっていると言うことだ。


 田舎料理に舌つずみ

 三遊堂を出て,すぐ右手にある長江の岩壁の上に立つ”望江楼”というレストランで昼食。
 完全なる田舎料理だがなかなか美味であった。
 
 珍しい料理としては長江で採れた草魚みたいな魚の煮付け,小魚のから揚げ,かぼちゃの花のから揚げ,ゴム豆腐などなど。なまあったかいビール,氷を入れたいのだがここら辺りの氷はちょっとやばそうなので止めておく。
 この店で一番上等だと言う酒(高粱酒みたいな強烈な香りとアルコール度が物凄く高い)がでてきたが,昼間からこんなのを飲むと,大変なことになるのでわたしはちょっと口をつけただけ。


 美味しい料理を戴いたあと,飛行場を目指す。
 途中,
宣昌の市街を通過。
 宣昌市の人口約50万,旧称は夷陵である。
 長江の上流と下流,峡谷と平原の境に位置するので楚と蜀の喉首とも言われ春秋戦国時代以来10数回の戦が行われた場所である。蜀漢の劉備が白帝城に退き世を去った直接の原因とも言われる呉・蜀の夷陵の戦い(219年)は有名である。
 今は葛州覇ダムに引き続き三峡ダムの水利電力の都市として,また長江中上流の経済中心として発展を図っている都市である。
 街中は幅広い道路,交通量もそれほど多いとは感じられない,上海,重慶を見てきた目にはやはりかなりの田舎都市といった感じを受けたのはやむを得ないか。
 
 
値引きは 半値八掛け2割引きからはじめよう

 ここでまた,地元旅行社が慣行としているみやげもの店に連れて行くという恒例行事につき合わされた。
町のはずれ辺りの一角にあるキンピカ風ビルの前でミニバスが停まる。

 うん?店の雰囲気,周りの建物に見覚えがある! 売り場の配置が変わっているけどトイレの位置,部屋の相互位置などからして一昨年も連れ込まれた店に違いない。

 妻は何も買うものはないと言いながらもあちこち眺め回っている。とうとう捉った! わたしから見るとプラスチック製みたいな感じのエメラルドペンダントネックレスを8000円(約600元)で売りつけられている。いらないと玄関を出てもついて来る,わたしが「100元だ」というと,200元にしてきた,一気に半値以下にディスカウント!
結局,中をとって150元(約2000円)で手打ち。言い値の25%だ。わたしはそれでも高いと思う。こういった品物の原価はせいぜい1割と言ったところだろう。E夫人もつられて購入。
 
 ”半値8掛け2割引き”という値引き交渉の鉄則がある。つまり言い値の3割くらいから値引き交渉を始めよと言うことだ。
 会社勤めの頃,AOちゃんという海外工事の猛者(今もインドで水力発電所工事の指揮を取っている)から教わった鉄則である。相手がそっぽを向いたらあきらめる,ちょっとでも反応すれば少なくとも半値にはなる筈だ。
 
        一度試して見ては!

上海へ

 三峡・宣昌空港に14時過ぎに到着,飛行機は16時発上海航空FM366便,220人乗りB757はほぼ満席,17時20分上海虹橋空港着。
 
 出迎えのマイクロバスを探すのに手間取ったが,すこし混みはじめた高速道を飛ばして,市街中心部にあるホテル着。

 シャワーを浴びて一休みしてから,夜の外灘(バンド)に出かける。

      
外灘は,ひと・人・ひと・・・・・・・・

 ホテルから徒歩で20分くらいで,
黄浦江沿いの外灘(バンド,わいたん)に着く。日曜日の午後8時近くで,川沿いの遊歩道は人・人・ひと, 凧を揚げている人,対岸の浦東新地区の高層ビルの夜景に見入るアベック,物売り屋台や物売り人が動きまわり日本の夜店で見られるような光景だ。ちょっと写真を撮ったりして立ち止まると置いてけぼりを喰って迷子になりそう。
 
 中山路をはさんだ反対側は,ライトアップされた西洋風の石造ビル群が並んでいる。1842年の南京条約によって治外法権エーリヤとなった租界地となった場所で,ネオバロック風,アールデコなどのデザインを折衷したユニークな建築様式が多い。
 上海市はそれらを壊すことなく内部を改装して保存・利用している。そのため当時の外灘の景観がほぼ残されていると言うことだ。前身は横浜正金銀行であったり日清汽船ビル・ジャーデンマセソン商会・香港上海銀行であったりして上海の歴史に思いをめぐらさせられる光景である。

 これらの美しい建築群は毎晩19時〜22時の間ライトアップされ、素晴らしい夜景は必見である。(外灘のライトアップ時間は 夏 19:00〜22:00 冬 19:00〜21:00)

外灘のコロニアル様式の建造物群 旧香港上海銀行上海支店
(1923年竣工)
浦東新区のテレビ塔と高層ビル群


 一方,黄浦江の対岸は現代上海のシンボル浦東新区,高さ468mのテレビ塔をはじめ超高層ビル群が中国の金融・貿易の中心を誇るかのように林立している様は美しいと言うより”末恐ろしい”というのがわたしの実感であった。

 さて黄浦江沿いを歩き終わって,タクシー3台に分乗して”プラザ66”へ向かう。租界地時代の建築の1つ和平飯店の角を曲がって,南京路を西進,20分くらい(料金17元)走ったところで降ろされた。だが,最後尾の黄ちゃんの乗ったタクシーがなかなかやって来ない。われわれはどうも,プラザ66の裏口で降ろされたようだ,動き回ると往々にして行き違いになるので,ここで待つことしばし,大汗掻いた黄ちゃんが探しに来てくれた。
 
  
ヨーロッパブランド店のオンパレード! ここがあの中国かいな〜

 中に入ると,20年ほど前の中国を知る同行者達にとっては”ここが中国か!”と見間違うばかりの光景が展開していた。眩いばかりのショーウィンドウ。グッチ・シャネル・ヴィトン・エルメス・プラダ・カルティエール・ショコラ・ディオール・セリーヌ・・・・・・・ブランド店のオンパレードだ。商売になるんだろうか?人事ながら心配になってくる。いっぽう街中ではで偽者ブランドが大手を振っていて殆どの人はそちらを買うと言うことだ。

「可愛そう」と言ってご婦人方が残したピジョン肉

 これらの店をざっと見回してから階上へ。「鷺鷺酒店」というレストランでお待ちかねの上海料理。いつものとおり黄ちゃんが料理を見繕って注文してくれる。すべて美味しいものばかり。ヨーロッパの料理と違って,材料とか料理法が馴染みのあるものなので日本人の口によく合う。食べ過ぎないようにしないと!
 
 美味しいものばかりの中でもおすすめはジューシーな”上海ギョーザ”,変わったディッシュとしては”鳩”である。

 

 



    今日は三峡ダムから宣昌,上海とずいぶん離れた場所を一日で駆け回った。
    ホテルに帰って早めに就寝,日本にまたまた台風がやってくるというテレビを見ながら。



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