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3日目 三峡下り(1)

 

      
 石寶寨で下船観光へ
 
 船は予定通り5時に出航。船首を上流に向けて停泊していた船はいったん長江の中央部に出て半回転し,水嵩を増した川面をすべるように走り出した。いよいよ宜昌まで2泊3日,628kmの三峡下りの始まりである。

 5F甲板で,モーニングコーヒーの無料サービス,続いて太極拳,動きがさっぱり分からないが見よう見まねで身体をほぐす。
 
 8:00  1F 食堂でバイキング方式の朝食
 9:30  安全説明会 救命着や,救命ボートなど非常時の安全設備の説明会で「請全員参加」である。
この時,乗客は,カナダ,アメリカ,アラブ,韓国,香港,シンガポール,台湾,インドネシア,日本人総計150数人であると言っていた。日本人はわれわれだけであった。
 
 
 
 長江は中国第一の大河(ちなみに世界では1位がナイル,2位がアマゾン),全長は6,300キロあまり,これほどの大河がひとつの国の中だけを流下しているのは珍しいし中国にとってはいろいろな面で極めて有利な条件であると思う。
 長江は,四川盆地東縁を出てから高く聳えている山の中に入り,壮観な大峡谷が出来上がっている。瞿塘峡(くとうきょう)・巫峡(ふきょう)と西陵峡(せいりょうきょう)からなっており俗に言う「長江三峡」である。

 現在,重慶から下流600kmの三斗坪に
世界最大の三峡ダムが2009年の完成を目指して建設が進められている。2003年の2期工事終了で水位はすでに135mまで上昇し,更に2009年には水面の標高は175mに達する。これに伴い13の都市と1,200以上の遺跡が水没すると言われ峡谷の姿は確実に変化することになる。というよりもう変化してしまった。
 実はわたし達は,一昨年この三峡を訪れているので,どんな変化があったか興味を持って訪れた。
 そんな視点で両岸の風景を眺めて行こうと思う。

 今回は,「石宝寨」「矍塘峡」「巫峡」「神農渓」「西陵峡」「三峡ダム」「三游堂」を訪れた。
 前回は,「鬼城」「白帝城」「巫峡」「神農渓」「西陵峡」「三峡ダム」「葛洲覇ダム」を訪れた。

 10時ごろ雨が上がったので甲板に出て,両岸の風景を楽しむ。
 重慶から100〜150kmくらい下流あたりだろうか,まだダムの湛水域にはなっていない。ところどころに岩礁が見え小舟式の浮標が岩の上に擱座している,洪水時には水位がもう2,3m上がるようだ。 岸の上の方からパイプが数本川面まで延びポンツーンが接岸している,船のガソリンスタンドと思われる。
 長江はさまざまな船が行き交う水上交通の幹線である,観光クルーズ船,水中翼船,フェリー,貨物運搬船(石炭運搬船がよく目に付いた),漁船などなど。

 両岸には点々と,水没家屋の代替地に新しい町が出来ている。ところどころにダムが出来上がった際の水位標が岸に示されていて,殆どの家屋は空き家になっていて移転はほぼ完了しているように見える。
 また長江には両岸を連絡する橋が数多く架設されている。前回より多くの橋が工事中であった。
数百トンクラスのはしけ状貨物船が多い。 新しい町

 14時 石宝寨(せきほうさい)に到着。先着の客船が離岸するのを待ってポンツーン桟橋に接舷して,3時に下船する。

 
石宝寨
 1662年清の康熙帝の時代に釘を使わずに岩山に張り付いたように建つ12層,56mの木造建築物である。世界で珍しい建築八つのうちのひとつである。日本でもよくある崖に建てられた御堂(例えば山寺の立石寺みたいな)の規模の大きいものと思えば間違いない。
    石宝寨
中段の黄色い門の下部辺りまで水位が上がる

満水位を示す標識

船着場から入り口の門の所までは,門前市の如く道の両側に土産物屋がずらっと軒を連ねている。
 「こんにちは」とか「せんえん!せんえん!」とか言って声をかけてくる。 帰りに冷やかすことにして,まずは急石段の登りにかかる。折りよくと言うか折り悪しくと言うか天候も回復,晴れれば日差しが強くなり暑い暑い!。朝からビールを飲み続けのTさんは,かなりへばっている。わたしがしんがりを勤めてゆっくりと登る。
 
 三峡ダムができあがると石宝寨は島となり,コンクリートの防水堤でぐるりと囲み,村落とは橋をかけて連絡するという計画を示す看板が立っていたが工事は未着工であった。
 山にしがみつくようにして建っている小蓬莱(しょうほうさい)の石門の脇には,横に赤い線が引かれ海抜175.1mと書いた標識がある。ここまで水がくるということ。

 多層塔の中の木組みの階段を登って頂上の道教寺院に出る。
 ペンキで塗りたくったような関羽の像やら明代にこのあたり一帯を清の侵攻から守ったと言う女性の像やらなんやらが並んでいる。
眼下には,石宝寨にぶつかり、向きを変えてダムアップのためかゆっくりと流れ下っていく長江が望める。湖面を渡ってくる風に涼みながら,しばし雄大な眺めに見入り,春秋戦国時代や三国志など悠久の歴史に思いをはせる。
 
ずらりと並んだみやげ物屋
浮き桟橋に接舷中のEASTERN QUEEN号

 下りは別の道をたどって,また例のみやげ物店の列の中を,船着場へ向かう。

 さまざまな色と形の肉塊が板の上に並べられている。豚の顔がある。石畳の上にスイカ、ウリ、ナシが山盛りになっている。生きているニワトリもそのへんをうろうろ。河原でひろってきたらしい、さまざまな形と色の石も売っている。絵葉書やらガイドブック,飲み物類,けばけばしい色をしたシャツ,麦わら帽,タバコ,川魚,古っぽくみせた食器類,古銭などなど雑多な品物を売り込んでくる。
これらを掻き分け掻き分け船に戻る。
 
 わたしの買い物はミネラルウオーター2本で4元(約50円 船内で買うと800円くらいする)のみ。Kさんは缶ビールを10本,50元で買い込んで,黄さんから「ぼられたね!」と言われている,でも船内の喫茶店で飲むよりずっと安い。

 16時30分 帰船。




船長ウェルカムパーティー,ビンゴゲーム,カラオケetc

 17時30分 妻が景品となる帽子が欲しいという”ビンゴゲーム”に参加費一人60元払って参加。
横,縦,斜めでビンゴを競う3ゲームだったが,幸い第二ゲームでわたしがビンゴ! 景品は帽子と,三峡を紹介したビデオと雨合羽で2人分120元の元は取れた。

  夜は,7時半から
船長主催のウェルカムパーティーに続いて歓迎夕食会
 メニューは,
冷前菜
冬瓜付き豚スペアーリブ
たまねぎと牛のこま切れ
新じゃがのごまあえ揚げ
ご飯入り蒸し豚リブ
サヤエンドウの炒めもの
鳥胸肉のレモンソース和え
切り身魚の白ソース掛け
季節の野菜
豚肉入り蒸し団子
季節の果物ほか

  野菜が豊富だ。ビールと老酒を飲む。

 食事後,しばらく甲板に出て夜風に涼む。
 部屋に戻ると,10時からのカラオケに行くと言う,それまで持参のウイスキーで景気をつける。毎日毎日よく飲むグループである。カラオケ会場は,中国系の人たちの独壇場である,女性も男性も皆すごく上手だ,プロ顔負け。
 kさんとEさんは気合負け,わずかに黄ちゃんが中国語の歌2曲で面目を保ってくれた。40分くらいで退散。

 この間も船は航行を続けている。黄ちゃんは夜中も走り続けると言うがどこかで停泊するはずだ,さもなければ明朝には三峡ダム地点近くまで行ってしまうよ。

夜中の2時ごろ,案の定停泊した。どの変だろうか?明朝すぐ瞿塘峡に入ると言うから多分奉節あたりか?
 前回は,この辺りで物凄い雷雨に遭い目を覚ました場所である。
 
 隣の部屋でマージャンをやっていて牌をかき混ぜる音が気になったがいつの間にか寝入る。妻は気になって眠られなかったと言う。

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