稲村ヶ崎
トラウマについて

トラウマについて、いま、私が考えていることをまとめておきたい。これまでにトラウマに関する本を何冊か読んできた。主なものを挙げておく。

トラウマについての知識は増えてきた。そこで問題になるのは、私が心に抱えている問題は「トラウマ」なのか、ということ。

私は二つの問題を抱えている。一つは思春期の初めに遭遇した姉の自死。もう一つは中学時代に受けた異常な管理と暴力

長年、うつ病を診てもらっているS先生は、私がその問題を気にしすぎないように配慮している。うつ病を寛解させることが先決と考えているからだろう。

私自身はどう考えているか。これまでの読書から考えられることは、トラウマ的な体験と言えるものではあったものの、私が日々感じている症状からみると、「トラウマ」と名指しするほど深刻なものではない。

だから、さくいんの見出し語として「悲嘆」は入れても「トラウマ」は入れてない。

しかし裏を返せば、症状は深刻でないものの、私はトラウマ的体験を抱えている、と言うことができる。生活をおびやかすほどではないにしても、いつまでも頭から離れない、突然その出来事を思い出す、などの症状は、私の心理を支配している。

姉の自死については、一昨年、カウンセリングを受けて、だいぶ受け止め方は変わった。とはいえ、ネガティブな感情が完全に消え去ったわけではない。

私自身も、S先生同様に、あまり深刻に受け止めたくはない。必要以上に深刻にはなりたくないと思う一方、症状があるのだから何らかのケアが必要とも思う。

以上が、トラウマに対する今の私の考え。どんなケアが有効なのか、どこに行けばそれを得られるか。それが次の課題。


ブクログ:トラウマ心的外傷

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