トラウマについて
トラウマについて、いま、私が考えていることをまとめておきたい。これまでにトラウマに関する本を何冊か読んできた。主なものを挙げておく。
- 徴候・記憶・外傷(中井久夫)
- 心的外傷と回復(ジュディス・L.ハーマン)
- トラウマ (宮地尚子)
- 震災トラウマと復興ストレス(宮地尚子)
- トラウマにふれる―心的外傷の身体論的転回(宮地尚子)
- 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法(べッセル・ヴァン・デア・コーク)
トラウマについての知識は増えてきた。そこで問題になるのは、私が心に抱えている問題は「トラウマ」なのか、ということ。
私は二つの問題を抱えている。一つは思春期の初めに遭遇した姉の自死。もう一つは中学時代に受けた異常な管理と暴力。
長年、うつ病を診てもらっているS先生は、私がその問題を気にしすぎないように配慮している。うつ病を寛解させることが先決と考えているからだろう。
私自身はどう考えているか。これまでの読書から考えられることは、トラウマ的な体験と言えるものではあったものの、私が日々感じている症状からみると、「トラウマ」と名指しするほど深刻なものではない。
だから、さくいんの見出し語として「悲嘆」は入れても「トラウマ」は入れてない。
しかし裏を返せば、症状は深刻でないものの、私はトラウマ的体験を抱えている、と言うことができる。生活をおびやかすほどではないにしても、いつまでも頭から離れない、突然その出来事を思い出す、などの症状は、私の心理を支配している。
姉の自死については、一昨年、カウンセリングを受けて、だいぶ受け止め方は変わった。とはいえ、ネガティブな感情が完全に消え去ったわけではない。
私自身も、S先生同様に、あまり深刻に受け止めたくはない。必要以上に深刻にはなりたくないと思う一方、症状があるのだから何らかのケアが必要とも思う。
以上が、トラウマに対する今の私の考え。どんなケアが有効なのか、どこに行けばそれを得られるか。それが次の課題。
さくいん:自死・自死遺族、うつ病、悲嘆、中井久夫、宮地尚子、ジュディス・ハーマン、S先生